京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/26
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入園のご相談・見学など、随時OKです。園庭開放は9時30分から15時30分まで毎日行っております!お問い合わせは461−3642までお電話ください! みんなあそびにおいでよ!翔鸞幼稚園に!!

あけましておめでとうございます

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あけましておめでとうございます
新しい年が始まりました。子ども達の夢の実現へ向かって,教職員一同笑顔で精一杯の力を注ぎます。今年もよろしくお願いします。

今年一年ありがとうございました

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 平成24年があとわずかで終わります。今年1年間,翔鸞幼稚園の子ども達一人一人が本当に驚くほどの力を身に付け,自分を発揮してますます輝きを増してきていますのは,保護者のみなさまの日々のご尽力ご協力の賜です。同時に,地域のみなさまの温かい支えも忘れてはいません。
 ここに,翔鸞幼稚園教職員一同,改めましてみなさまに心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
 すべての方々がよい年を迎えられますことを願って,平成24年のHPを閉じさせてもらいます。温かく応援いただきまして,またご多用の中いつもご覧頂きましてありがとうございました。

「片付ける力」も練習で少しづつ身についていきます

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 あるお母さんが不満をぶっつけてきました。「家の子ばかりが最後まで後片付をしています。他の子の後片付まで,家の子がやっています。不公平じゃないですか」「その通りです。不公平です」「なぜ他の子にも最後までさせないのですか?」「そうしようとしているのですが・・直ぐにはできないのです。すみません」
「家の子は真面目だから先生の言われたことを最後までやるんです。みんなが中途半端で終われるところを,家の子は終われないのです。家の子は損してばかりです。本人も,いつも僕が大体最後まで片付けている,でも先生はサボっている子をそんなに叱らないと言っています」ということでした。
「お母さん,すみませんね。ご心配をかけて。指導が至らなくて申し訳ありません」「どうなんですか?園長先生!」怒りが憤りがなかなか治まりません。
「お母さん。片付ける力があるのかないのかなんです。この力がお家の子は身についてきているのです。片付ける様子を見ていてください。片付ける物の大きさや順番や整理する場所など実にスムーズです。普通はああはいきません。見事じゃないですか。今日また最後まで後片付をしてくれましたよ。ますます整理整頓する力がついています。頭の中が脳の中がよく整理されてきているのですね。だから片付けることができるのですよ。お母さんは損をしたと思うかもしれませんが,私から言わせたら反対に一番得をしていると思いますよ。ようがんばっているなあ。片付ける力がずば抜けているなあ。すごいなあと褒めてください」ということを話しました。お母さんは「ええ・・? 何なのですか。片付ける力って? ええ?」と不満なような不思議なような様子でした。
「この片付けるという力は自分の血や肉になって,どんな場面でも自分を支える応援団となって自分を助けてくれます。片付ける力があるなんて,何と有り難いうれしいことではありませんか。どうか,毎日最後までよく片付けているね。片付ける力がついてきているよ。この力は,自分を助けてくれる大変な力なんですよ。と園長が褒めていたと語ってください」とお願いしました。「そうですか」お母さんは少し納得したようでした。
 この子が,仮にスーパーへアルバイトに行ったとしましょう。「この辺のダンボールを片付けて」と店長さんに言われたとしたらどうでしょう。ダンボールを潰して一箇所に片付けたり,同じ製品の箱を一緒にしたり,この子だったら直ぐに段取りを飲み込んでやってのけるでしょう。言われなくてもその辺りを掃き清めるでしょう。店長さんからは「できる子だなあ。助かるなあ」ということになります。
 よいことならどんなことでも身につけたらよいと思います。全部が自分自身の力となって自分の人生を助ける応援団となっていきます。
 幼稚園では,たくさんの活動をしています。準備や片付けも活動です。同じ比重で大切にしています。お家でも少しでもできたことは,「このことが,これだけできたね。えらいね。がんばれるようになったね」と語って欲しいと思います。お母さんやお父さんのこの言葉は子どもにとって最大の褒め言葉ですし認める言葉です。この褒め認める言葉は,子どもの心の中に灯火となって燃え続けます。その炎は心の核となってその子の一生を支えていきます。
 お家でも幼稚園でもそうして褒められ認められ「ようし、もう少し」と子どもはだんだんできるようになります。共に協力して子どもに力をつけていこうではありませんか。

「ありがとう」は魔法の言葉

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「ありがとう」は,魔法の言葉といわれます。
 相手に「ありがとう」と言われたら,「私の気持ちや行いを喜んでくれた。認めてくれた」「自分も相手の役に立てたのだ」「よかった」と誰でもうれしい気持ちになります。そう考えていきますと「ありがとう」はとても短い言葉ですが,自分のうれしい気持ちを相手に伝えると同時に,相手を真正面から認めていますと宣言している言葉でもあるのです。日常生活の中でとても重要な役割を果たしている言葉ということができます。魔法の言葉と言われる理由がわかります。
「ありがとう」をお互いがもっともっと使い合えば,喧嘩やいじめが減っていき,きっとこれまで以上によい関係が,お互いが笑顔で過ごせる関係が築けると思います。
 思い出した二つのエピソードを載せたいと思います。
エピソード1
 ある会社にAさんという社員がいました。特別な技術があるわけでも特別な才能があるわけでもない人だったそうですが,1つだけ心を込めて明るい笑顔で挨拶や言葉掛けをする方だったそうです。「おはようございます」「こんにちは」「ありがとうございます」 誰かが出張と言えば「ありがとうございます」「気をつけて行って来てください」帰ってきたら「ありがとうございました」「お疲れ様でした」「大変だったでしょう」など,とにかく上司や同僚にだけではなく,会社のお客様にも同じように言っていたそうです。時には駅まで送っていったり出迎えたりする心の優しい人だったそうです。  
 そうするうちに課長さんが一人必要になりました。「誰が次の課長さんにいいだろう」という会議が開かれました。「才能の有るB君は」「いや,技術の有るCさん」「いやいや上司の覚えのいいDさん」などもめていた時,「Aさんはどうでしょう。Aさんといっしょに仕事をするとやる気が出るとみんなが言っています」という声があがりました。「なるほど」「それはいい」「一回やってもらいましょうか」と満場一致でAさんが課長さんになりました。その課長さんの下ではみんなが温かい挨拶や声をかけてもらい,失敗しても「これをバネにしてまたがんばろう。ドンマイ」と言ってくれるので,「今度こそは」とみんなはやる気を出して頑張る課になったそうです。この課は明るく笑顔が増えて成績も上がっていきました。そうこうするうちに何年か経ち部長さんの席が空きました。次の部長さんはだれにしよう,という会議の時,「Aさんの課は明るく元気でみんなが成績がいいです」「Aさんを部長に推薦します」ということで,また満場一致でAさんが部長さんに推薦されました。Aさんの部が成績がよくなったお蔭で会社も黒字になってきました。そして,とうとう最後には社長さんになったというのです。
 特別目立った才能や技術があったわけではないAさん。Aさんの「ありがとう」を大切にして人と関わってきた会社での働きが,周りの人や出会う人のやる気を引き出し,人の力と人の力をつなぎ合わせ何倍もの力にしていく推進力を引き出したと言えるのではないでしょうか。「ありがとう」の威力はすごいものですね。

エピソード2
 あるおばあさんが語ってくれたお話です。「私は冬になると足がガサガサになり霜焼けができて痒くて痛くて,毎年冬は難儀しています。だから冬は嫌いなんです」ということでした。「お医者さんには行かないのですか?」「いえ,毎年行っていますが一向によくなりません。本当にどうしようもありませんわ,この足は。悪い足です。みんなの足が羨ましいです」ということでした。
 それから数年経ちある冬の日,おばあさんに会いました。「足はどうですか?」とたずねてみました。すると「どうもないです。もうどうもなくなったんです」ということでした。「えっ,霜焼けはなくなったんですか」「そうなんです。実はね」と以下のような話をしてくれました。
 冬が近づいてきたある秋の日,自分の足を出して,今年もまた霜焼けになるのだろうなあ。この足本当に困るわと思ってしみじみと眺めていたのです。その時,ハッと気付いたのです。口には,グルメだと言って美味しいものを食べさせてきた。目には,旅先や四季の変化によい風景を見せてきた。でも足はどうだろう。生まれて歩けるようになってから,毎日毎日朝から夜寝るまでこの体を黙って支え続けてきてくれたこの足,私はこの足に感謝した事はあったのだろうか。「ありがとう」を言ったことはあったのだろうか。全然なかった。遅いとか痛いとか文句を言うことはあっても,「いつもありがとう」と感謝することはなかったということに気付いたのです。 それからです。「今日も重たい体を支えてくれてありがとう」「遠くまで歩いてくれてありがとう」と毎日寝る前に感謝して撫でたりマッサージをしたり,クリームを塗って大事にしたんです。すると,あれほど頑固でお医者さんも治せなかった霜焼けが,その冬は出ませんでした。それどころかガサガサ足がツルツル足になったのです。不思議な事です,有り難いことです。その後は,冬になってももう霜焼けにはなりません。もう大丈夫,世界一の本当に有り難い足です。ということでした。
 
 二つのエピソードに共通しているのは,「ありがとう」を言う時は,同時に温かい気持ちや態度で相手に優しさをも実践しているという事です。ということは,私たちも先ず言葉で「ありがとう」を言っていると,いつのまにか優しさと感謝の実践者になっていくということです。いえ,もっと突っ込んで言うと実は「ありがとう」を言っている時は,相手から見たらすでに優しさと感謝を実践しているということになるのです。
 みんなで「ありがとう」の言葉を大切にして広めていきたいですね。

加点主義で子どもを育てたい

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 子どもは加点主義で育てると自信を積み重ねぐんぐんやる気を出して前向きになっていきます。
 裸で生まれてきた赤ちゃん。ゼロからの出発の赤ちゃんも直ぐにいろいろなことができるようになります。「ハイハイできるようになった,すごい」「1歩あるけたね,パチパチ」「トマトもモグモグ食べたね,えらかったね」などお母さんお父さんは赤ちゃんに声をかけ一緒になって喜びます。これらは全部加点主義です。「できた」「できたと認めてもらえた」と子どもは自信をつけ自己肯定感や発想力を高めていきます。
 しかし,日本の子育てや教育ではどこの時点からか減点主義になっていきます。完璧なことから少しでも外れてマイナスがあると「何でできないの」「80点? 何でここ間違えたの!」「さっきから言っているでしょ,どうしてしないの」などと,叱られます。減点主義は「ここはアカンかった」という否定ですから,いつもそのパターンで大人や友達に言われていると,言われる子どもはだんだんと嫌になります。また自分が否定されているという意識になっていきますので,自己肯定感も低くなり「どうせ僕なんか・・」「どうせ私なんか・・」と意欲も何もなくなっていくのです。
 私たち大人もまだまだ未熟です。だからこそ,その子の良いところをたくさん見つけて言っていきたい,その子の1ヶ月前より・1週間前より伸びたところや良く変容してきたところを見つけて「ここがすごいな,がんばっているな」と加点主義でどんどんと語っていきたいと思います。
 子どもの良さを見つけて言葉に出して言うことができるということは,その良さや変容に少しでも私たち大人が気付き感動できているということです。気付き感動できるということは,すごいと少しでも思い,すごいと思えるということは,自分もそうなりたいというあこがれもあり同時に自分もそうしよう,マネしよう,そうなりたいという実は学びでもあるのです。肯定的に気付いたり感動したりそれを口に出して言っているということは,言っている大人自身がその時点で着実に学び成長しているのです。
 翔鸞幼稚園では一人一人の子どもの良さやその子のがんばっていること,がんばって伸びてきたことを子どもに語り伝え励ますことで,子ども自身が自信を重ね主体的で相手にも優しくなっていくという教育に教職員が一丸となって取り組んでいます。そのため教職員も保護者も子どもたちに負けないくらい笑顔を明るくして日々変容進化していっていると言っても過言ではないでしょう。ぜひ翔鸞幼稚園で共に育っていきましょう。

なぜ,挨拶,挨拶って言われるのでしょう?

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 幼稚園でも小学校や中学校でも高校でも「おはようございます」「ありがとう」と挨拶や感謝の言葉が言えるようにしましょう。といいます。なぜ,挨拶挨拶,ありがとうが言えるようにしましょうというのでしょうか? 誰のために言うのでしょうか? 挨拶しても返ってこないことも多いし自分から言うことはあほらしい時もありますよね。
 挨拶や感謝の言葉は,「私はあなたの敵ではありません。味方ですよ」という気持ちを,感謝の言葉は「本当に助かりました。めったにないことでうれしかったです」という心を言葉に乗せて相手に伝えているものと言えるのではないでしょうか。丁寧な人は挨拶のとき頭を下げてお辞儀もします。相手に頭を下げて地面や自分のおへそを見ます。昔で言えば相手が敵なら「面〜(メーン)」と頭を砕かれることでしょう。でも,頭を下げて「おはようございます」「こんにちは」「私はあなたの味方です。友達になりたいです」「どうも有り難う」という態度の人に「メーン」と頭を砕きにくるでしょうか。普通はいかないと思います。挨拶をしてくれる人は悪い気はしない相手ですし,お辞儀までしていたら隙だらけの無防備状態の人だからです。そんなところに「メーン」などと卑怯なことはしないということが昔からの日本人の人の道だからです。
 では,挨拶は相手との紛争を避けるもので折り合いをつけるところに,その意味があるのでしょうか?
 毎朝通用門でお母さんやおうちの人と一緒に登園した子ども達を迎えます。「おはようございます」と大きな声で挨拶をします。子ども達もおはようございますと挨拶を返してくれます。在園児やお父さんお母さん方にも「おはようございます」と言うので50回以上は自分から言っていると思います。すると心の中に不思議な感じが沸き起こってきます。「今日は朝からいまいち調子が悪いなあ。疲れたのかなあ,・・」という日でも,自分の挨拶の回数が増えていく度に心が元気になっていくのです。
 みんなを迎えた頃にはすっかり元気一杯百杯になっています。なぜなのでしょう?
 みんなに元気を与えたつもりで実はみんなからパワーをもらっていたのだということに気がつくのです。
 私の知り合いの和尚さんがおっしゃいました。「挨拶をしたり他人に優しくしたり,ありがとうと感謝の言葉を言ったり掃除や片づけ整頓をしたりした後は,何か心がスッキリとしませんか? するでしょ。なぜだと思いますか? 私たちの体には毎日埃や垢がたまりますね。だからお風呂に入りシャワーをかかるとスッキリします。実はね,心にも毎日毎日垢がたまっていくのです。垢が積み重なり分厚く硬い殻になるまで垢がたまったら容易には取れませんよ。頑固一徹になって他人の話も,その固い殻のところで跳ね返すようになるのですよ。素直に他人の話が聞けないので,いつまでも成長できなくて益々意固地で頑固になっていくのです。そうなったら周りの人からは相手にされなくなりますよ。さあ,その心の垢をあなたはどのようにしてとりますか?毎日毎日たまっているのですよ」ということです。「えっ?そうなったら大変なことです。和尚さんどうしたら心の垢がとれるのですか?教えてください」「挨拶をしたり他人に優しくしたりありがとうを言ったり,掃除や片づけや整頓をしたりした後は,何か心がスッキリとするでしょう。心がスッキリしたという時は、心にシャワーがかかって少し垢が取れているからなのですよ。だから,自分から挨拶をしたり感謝の言葉を言ったりよい行いをたくさんしたら良いのですよ」ということでした。
 自分からの元気な挨拶や優しい行いや掃除も片付けも,和尚さんがおっしゃるように実は自分で自分の心にシャワーをかけていたのです。そう考えていくと全部自分のためにしていたということです。一番得をしていたのは自分だということです。

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