京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/10/02
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「ありがとう」は魔法の言葉          (お詫び訂正です。エピソード3,管長を官長としていました。管長に訂正します)

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「ありがとう」は魔法の言葉?   

 「ありがとう」については,色々な本も出版されていますし,多くの方がその大切さを言っておられます。そんなに言われている「ありがとう」は,一体どういう意味があって,魔法があるとしたら,一体どこが魔法なのでしょうか?
 結論を先に言いますと,「ありがとう」と言える人は,あるいは心の中で言っている人は,
イ どんな物事にも感謝できる人
ロ 心が本当に豊かな人
と言うことができます。
 感謝できる人は,出会う物事すべてに感謝の姿勢で臨みますし,そこでさらに「すごいなあ」「教えてもらったなあ」と学んでいます。ですから,ますます成長し心が豊かになっていきます。自分を見つめる力がますます高まっていきますので,腰も低くなっていきます。「実るほど 頭(こうべ)を垂(た)れる 稲穂(いなほ)かな」です。
 また,「ありがとう」が言える人は心が豊かですから,相手の気持ちも場の空気も読めるようになっていきます。とにかく「ありがとう」を始めていると,心も調ってきますので,上記のイ,ロになっていくのです。と多くの方たちは言われますし,私もそう思います。
 下記の1〜4のエピソードを読んでいただき,「ありがとう」について考えていただけたら幸いです。そのうち,1,2は昨年度から載せているものです。3,4を新たに付け加えました。

エピソード1
 ある会社にAさんという社員がいました。特別な技術があるわけでも特別な才能があるわけでもない人だったそうですが,1つだけ心を込めて明るい挨拶や言葉掛けをする方だったそうです。「おはようございます」「こんにちは」「ありがとうございます」 誰かが出張と言えば「ありがとうございます。ご苦労さまです」「気をつけて行って来てください」帰ってきたら「ありがとうございました。」「お疲れ様でした。ごくろうさまでした」など,とにかく会社の上司や同僚だけではなく,当然お客様には率先して言っていたそうです。時には駅まで送って行ったり出迎えたりする心の優しい人だったそうです。  そうするうちに課長さんが一人必要になりました。「誰が次の課長さんにいいだろう」という会議が開かれました。「才能の有るB君は」「いや,技術の有るCさん」「いやいや上司の覚えのいいDさん」などともめていた時,「Aさんはどうでしょう。Aさんといっしょに仕事をするとやる気が出るとみんなが言っています」という声があがりました。
調べてみるとなるほどその通りです。「確かにその通りですね」「それはいい」と満場一致でAさんが課長さんになりました。その課長さんの下では,みんなが温かい「ありがとう。よくがんばっているね」と声をかけてもらい挨拶をしてもらいます。失敗しても「これをバネにしてまたがんばろう。ドンマイ」と言ってくれるので,「今度こそは」とみんなはやる気を出して頑張る課になったそうです。
 何年かして,次の部長さんはだれにしようという会議が持たれました。その時も「Aさんの課は明るく元気でみんなが成績がいいです」「Aさんを部長に推薦します」ということで,またAさんが部長さんに推薦されました。Aさんの部が成績がよくなったお蔭で会社も黒字になってきました。そして,とうとう最後には社長さんになったというのです。お寺さんの和尚さんが,本当の話ですよと話してくれました。「ありがとう」の威力はすごいものですね。

エピソード2
 あるおばあさんが語ってくれました。「私は冬になると足がガサガサになり霜焼けができて痒くて痛くて,毎年冬は難儀しています。だから冬は嫌いなんです」「お医者さんには行かないのですか?」「いえ,毎年行っていますが一向によくなりません。本当にどうしようもありませんわ,この足は。みんなの足が羨ましいです」という事でした。
 それから数年経ちある冬の日,おばあさんに会いました。「足はどうですか?」とたずねてみました。すると「どうもないです。もうどうもなくなったんです」ということです。「霜焼けはなくなったんですか」「そうなんです。実はね」と以下のような話をしてくれました。
 冬が近づいてきたある秋の日,自分の足を出して,今年もまた霜焼けになるのだろうなあ。この足本当に困るわと思って眺めていたのです。その時,気付いたのです。口には,グルメだと言って美味しいものを食べさせた。目には,旅先や四季の変化によい風景を見せてきた。でも足はどうだろう。生まれてからこの体を黙って支え続けてきてくれたこの足に感謝した事はあったのだろうか。「ありがとう」を言ったことはあったのだろうか。と気付いたのです。 それからです。「今日も重たい体を支えてくれてありがとう」「遠くまで歩いてくれてありがとう」と毎日寝る前に感謝して撫でたりマッサージをしたり,クリームを塗って大事にしたんです。すると,あれほど頑固でお医者さんも治せなかった霜焼けが,その冬は出ませんでした。それどころかガサガサ足がツルツル足になったのです。不思議な事です。その後は,冬になってももう霜焼けにはなりません。もう大丈夫,世界一の本当に有り難い足です。

エピソード3
 妙心寺派の第26代管長さまで,花園大学の学長さまもされていた山田無文(むもん)ご老師さま(1900年〜1988年)は,たくさんの著書も残されています。確か,そのご本の中に,次のようなお話があったと記憶しているのですが。山田ご老師が,インドを旅していた時のことを綴っているお話でした。
 早朝,茶色く濁ったガンジス川でみんなが沐浴(もくよく)をしています。歯を磨いて口をすすぎ,川に入って体や頭を洗い身を清めているおびただしい人がいます。上流でも下流でも同じガンジス川の水で体を洗い,またその水で炊事もしているのです。牛もその水を飲んでいるのです。何というエネルギーでしょうか。きれいとか汚いとかそんなことをいちいち気にすることなく,聖地であるガンジス川と共に毎日の習慣がある。人々の生と死もこの川と共にある。みんなが黙々と身を清めている姿を見ながら,そんなことを考えていると,ガンジス川の対岸から朝日が昇ってきました。
 すると,沐浴をしていた人々が岸辺にあがり,みんなが直立して太陽の方を向いて手を合わせているのです。本当にたくさんのおびただしい人たちが,太陽に合掌しているのです。その時,ご老師さまは何とも言われない深い感動を覚えました。貧富の差は激しく,カースト制度も残っていて混沌としているインドです。しかし,この計り知れない人々のエネルギーとたくましさ。太陽に感謝し,ガンジス川に感謝し合掌する,どっしりと大地に根ざしたその人々の厳粛で敬虔な心(けいけんなこころ・・深くうやまって態度をつつしむさまとその心)を見たのです。その時,ご老師さまは確信を持って思ったと言うのです。このインドという国は,今は雑然とし混沌としているが,近い将来きっとすごい国になるだろう。世界をリードする国になるだろうと。ご老師さまのお話は,このようなことであったと記憶しています。
 あれから三十年,もう少し経ったでしょうか。2011年の「現代ビジネス」というデーターの中に,アメリカの医師の38%,NASAの技術者の36%はインド人。また,世界最難関といわれるハーバード大学の学生の増加率は,過去十年間で190%で,中国の164%を超えるとあります。さらに,「学生だけでなく、教授陣にもインド系は多い。たとえば、ブラジル、ロシア、インド、中国、いわゆるBRICs諸国の中で、ノーベル経済学賞を受賞しているのは、インド人のアマルティア・セン、ハーバード大学教授だけ。ハーバードビジネススクールの学長は、インド生まれのニティン・ノーリア氏だ。」(同「現代ビジネス」とあります。 
 母国語のほかに英語をスムーズに使いこなし,2けた×2けたの九九を暗算できる数学を学ぶインドの人たち。そのような毎日の一所懸命な学びの土台に,さらにどっしりと大地に根ざした感謝する心を持ったインド人が,世界で活躍しリードしている姿を,ご老師さまは三十年前にすでに見えていたのです。人間の根っこの根本のところで,感謝する心がいかに大切なことなのかを物語っていると思います。

エピソード4
 最後のエピソードです。
 「ありがとうは魔法力」(佳川奈未 よしかわなみ著)と言う本に書かれていることです。大雑把な内容は,「自分にありがとうと言います。自分の手にも足にも頭にも,目にも耳にも体の全部に,心にもありがとうと言います。体を支えてくれて足さんありがとう。聞いてくれて耳さんありがとう。悩んだり苦しんだりしているのに踏ん張ってくれている心さんありがとう・・」と言う具合です。また「今日もお家さんありがとう。安全に乗せてくれて車さんありがとう。入らしてくれて部屋さんありがとう。・・」と言う具合です。だから,始める前には「今日は出かけてきます。お家さん留守番をどうぞお願いします。車で××に行かせてもらいます。安全をどうぞよろしくお願いします。・・」とお願いをするのだと言うのです。
 この筆者は,実母にかわいがられたことがなく何も感謝できませんでしたと始めています。自殺をしようと思いつめて自分の体を傷つけていた時に,あるお寺の尼僧さんに「とにかく出会う物事すべてに声に出して,出ない時には心でありがとうを言いなさい。必ず奇跡が起きます」と教えられて,始めたのだということでした。これを始めてから「お母さん,私を生んでくれてありがとう。・・してくれてありがとう」と心から感謝できるようになった,奇跡が起きたということです。また,経済的にも裕福になってきたのだそうです。財布にもお金にも「財布さん,お金さん××してくれてありがとう」と感謝するわけですから,そうなるのだろうなあと思います。その筆者さんが,自分に感謝できると他人にも感謝できる,自分に感謝すると他人にも感謝するということも書かれています。
 私もこの本を読んで思いました。他人に感謝できにくい人は,先ず自分に感謝する言葉「ありがとう」を手や足や心や胃や心臓や脳や・・に言ったらいいと思います。宇宙の始まりから138億年の歴史を持っているこの身体です。この自然です。それだけで,そこに自分が在るだけで「ありがとうございます」と言えると思います。その次に,家とか自分の服や靴や持ち物に・・,すると,他人にも必ず感謝できるようになると思います。すると,些細なことにでも「ありがとう」と声に出して他人にもいうになります。その時には,本にも書かれていますが,自分の身の回りに奇跡と思えるような大きな良い変化が起き始めている,あるいは起きているはずだろうと思うのです。
 話は変わります。私の尊敬している和尚さんから聞いた話です。ある息子さんのところにお嫁さんが来ました。息子さんのお母さん,お嫁さんから見たら義母,つまり姑さんですが,息子を盗られたような気がして全く面白くありません。お嫁さんが来る前の息子なら,「お母さん,今日のご飯美味しかった」「お母さん,今日はうれしいことがあって,お土産を買ってきたよ」「お母さん,お母さん」だったのに,お嫁さんが来てからはそうはいきません。
 2人が仲よくしていると腹が立って腹が立ってたまりません。ストレスを全部お嫁さんにぶつけます。「こんな水臭い味噌汁,誰が飲めるの?」「これで片付けたといえるの?埃だらけごみ屋敷じゃないですか!」と人差し指でなでた指のわずかな埃を見てののしります。お嫁さんが,近所のどこよりもきれいに竹ぼうきで外掃除しても,一枚の枯葉を見つけて,「あなたは何度言ったら分かるのですか!掃除の仕方も知らないの。情けない,どんな教育を受けたの。やり直しなさい!」それでも,お嫁さんはどんなに言われても,反抗するどころか「すみませんでした。教えていただきありがとうございます」と,また用事や家事をがんばるのです
 近所でも評判になりました。「あのお嫁さん,もう直ぐ実家へ帰るで」「鬼みたいな姑さんやなあ」「よう辛抱してはるわ」 近所の少し意地悪さんが,お嫁さんの本音を引き出してやろうと考えました。「そうだ,これがいい」そして,ある日お嫁さんに会いました。近所の少し意地悪さんが言いました。「しゅうとめを おにばばあと ひとはいうなり,と近所のみんながあなたのお義母さんのことを言っていますよ。この上の句に続けて,下の句を完成させてください」少し意地悪さんは,さあ,お嫁さんは何と答えるかな,本音が出るだろうと心の中でニヤニヤしていました。
 すると,少し意地悪さんには予想もしない驚くべき下の句を,お嫁さんは答えました。お嫁さんは即座に「ほとけのこころをしらずして」と答えたのでした。「しゅうとめを おにばばあと ひとはいうなり ほとけのこころを しらずして」 近所の人は,お義母さんの本当の仏の心を知らないで鬼ばばあと言っている,という意味です。さらに言えば,仏さまの心のお義母さんが,あえて鬼に姿を変えてお嫁さんのために一所懸命に教えようとしているのに,近所ではおにばばあと言われている,という意味になります。これがまた近所の評判になりました。
 そして,姑さんの耳にも入りました。この句を聞いて,姑さんはボロボロ涙を流しました。「ごめんなさい。ごめんなさい。ひどいことを言ってきたこの姑を許しておくれ」とお嫁さんに心から謝ったそうです。が,お嫁さんは,「お義母さん,何をおっしゃっているのですか。謝ることなどありません。いつも教えていただき本当にありがたいと思っています。ありがとうございます」
 2人は近所でも評判な仲の良い嫁と姑になったというのです。
   
 四つのエピソードに共通しているのは,「ありがとう」の心の底に感謝の気持ちがあるということです。私のような者に「そんなにしていただいて,ありがとうございます」という心からの気持ちがあるということです。人間は,根っこのところで感謝する心があり,ありがとうと言葉にして感謝の心を相手に伝えていたら,必ずや道が開けていくということを,この4つのエピソードは教えてくれます。その時,新たな学びを実践もしています。実践者になって,さらに自分を豊かに成長させているという事実があうということです。そうすると,人は益々謙虚になっていきます。そして,いつの間にか「ありがとう」と言われるようになるそうです。(「ありがとうは魔法力」より)
 「ありがとう」=感謝の言葉 は,ものすごい威力のある言葉で,魔法の言葉だということです。
 最後まで読んでいただき,一緒に考えていただきました。このように長い話を最後まで読み,共に考えていただけるのは本当に有り難いこと(めったにないうれしいこと)です。どうもありがとうございました。
「園長室から」をどうぞまたのぞいてください。

2013/9/9(月) 園庭の遮光ネット

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 このところ朝晩涼しく気持ちよく過ごせます。
 昼はまだまだ陽射しがきついので,教職員で園庭の北側半分近く遮光ネットを張りました。
 ネットは,光を90%遮ります。その下で1周走をしたり色水をしたりして遊びました。待っている間も涼しいですね。

2013/9/9(月) ジャングルジムの消防自動車

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 年長さんがジャングルジムで遊んでいます。
 「ここはね,消防自動車です」「出動」
 思い思いの場所に上ってそれぞれの役割をイメージして遊んでいるのです。
 先週,上京消防署へ行って,はしご車も見てきました。消防士さんのキビキビ行動しハキハキ声掛け応答するところも見てきました。そのイメージでみんなで遊んでいるのです。
 

2013/9/6(金) 預かり保育で相撲をしました

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 預かり保育が始まっています。今日の預かり保育では,相撲をしたいという子どもたちの声で,相撲をしました。体をほぐして,ストレッチをしてけがをしないようにしました。
 「○○ちゃんとしたい」「では,はっけよーい,のこった」「のこった,のこった」
 押し出された方が負けです。押し出した方が勝ちです。「のこった,のこった」
 相手をかえて何度も挑戦する子もいます。ずーっと見ている子もいます。
 「私もやってみる」と,ずーっと見ていた子が声を出す場面もありました。


2013/9/5(木) 上京消防子ども大会

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 年中年長さんで上京消防署へ行ってきました。
 始めは,消防音楽隊の演奏を聞いたり,火遊びをしないようにお話を聞きました。
みんなでアニメの歌を歌いました。
 演奏会の後は,子ども消防服を着せてもらったり,消防自動車を見せてもらいました。
はしご車の先のバスケットに消防士さんが乗って上まで梯子が伸びました。ずっと上まで上って行きました。消防士さんがありさんくらいに見えました。

2013/9/2(月) 2学期始業式

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 2学期が始まりました。大きな事故や病気がなく「おはよう」と元気に登園してきました。
 すぐに始業式がありました。
 園長先生のお話を聞きました。2学期は,運動会や毎日の生活でもいろいろ挑戦することがあります。心の中に,「がんばるぞーという自分」と「もういい,あきらめたという自分」の2人の自分がいます。「がんばるぞーという自分」を応援していきましょう。というお話でした。
 その後,先生や友達と笑顔で語ったり一緒に遊んだりしました。「キャー」久しぶりに幼稚園に黄色い声が飛び交いました。
 2学期も,みんなで元気に楽しくしていきましょう。

9月たんぽぽ組

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○幼稚園説明会 11日(水),25日(水)11:00から行います。幼稚園教育についてもっとよく知ることができます。何歳児でも結構です。お待ちしています。

○たんぽぽ組さんは,クラスに通うことで,子どもやお母さん同士も一緒に育ち合っていきます。悩みも分かち合えます。暑い日もありますが,楽しみにして来てくださいね。

○これからママデビュー予定の方も大歓迎です。お母さんが,自分の子たちとふれ合う様子を見たり声を聞いたりします。自分でも子たちとふれ合い遊べます。子たちが生まれて育てる時に,とっても役に立つ良いヒントがもらえます。お気軽に遊びにおいでください。

「自分の心と対話をする」根っこの根っこの教育

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 「自分の心と対話をする」根っこの根っこの教育で「自尊感情と自己有用感をもつ」京都市立幼稚園の子どもたち

 「見えないものが,見えるようにする教育」こそが,全16京都市立幼稚園で最も力を入れて実践している教育です。自分の心を自分の力で育て,自信をつけたりもっとやってみたいという意欲を持ったり,様々なことに感じる感性を自ら育てていくように支援する教育を行っています。
 それは,外から見えやすいものでしょうか? いいえ,なかなか見えにくいものです。 体操のブリッジをしたり鼓笛で歩いたり,英会話や水泳などは進歩がよく見えます。でも,心の成長は外から直ぐに見えるということがなかなかできないのです。しばらく一緒にいたり付き合ったりしないと,外からちょっと見ただけでは,なかなか見えないのです。
 しょうらん幼稚園の子どもたちの心の成長について,次の3つのエピソードから考えていきましょう。これら3つのエピソードは,同じ教育を実践追求している京都市立幼稚園の16園のどこの子どもたちにも当てはまることです。

 エピソード1 「土の中で育っていたジャガイモ」
 子どもたちは,3月にジャガイモを植えました。芽が出て4月,5月に葉が茂り花も咲きました。水も少しはやって育てました。そして,6月も中旬に近づくと,葉っぱが黄色く枯れてきました。
 「ジャガイモさん枯れてきたね。どうしたのだろう?」みんなで掘ることにしました。掘り始めると「ジャガイモが出てきた」「こんなに大きい」「何個も出てくる」「ワー,すごい!」と賑やかに掘っていきました。
 「土の中でジャガイモが育っていたのだね」外からは見えなかったけれども,ジャガイモが葉っぱを大きく広げ,一生懸命に「土の中で赤ちゃんを育てていたんだね」ということが,自分で植えて世話をして掘ってみて初めてわかりました。
イチゴ,エンドウ,ジャガイモ,キュウリ,ナス,トマト,ピーマンやシシトウ,ポップコーン,ゴーヤ,ニンジン,タマネギ,ダイコンなどの野菜を,1年を通して「早く大きくなってね」「元気に育ってね」と言葉をかけ水をやり育てています。
 この毎日の園庭畑の栽培教育の中から,「どうなっているのだろう?」「どうしたのだろう?」という先生の声かけや毎日の育ちを見て,外からは見えない野菜や花の根っこや土の下で起きていることを想像する力を付けていきます。「水が欲しいのだろうか?」  「葉っぱがクターとしている。暑いんだろうなあ」見えない野菜や花の心を見るようになっていきます。
 掘ったジャガイモは,みんなが小さなお母さんお父さんになって調理して,みんなで一堂に会しカレーパーティーで楽しみます。

 エピソード2 「自分で決心してステップを上る」
 京都市立幼稚園では「自分の好きな遊び」をとても大切にし,登園後やお弁当の後などに時間も結構たっぷりと保証しています。子どもたちが夢中で遊び,みんなで遊びを発展させているような場合は,クラスで予定していた設定保育を後ろにずれ込ませていくぐらいの力を入れているのです。
 なぜでしょうか? 見ていたらとてもじれったい。「こうしたらいいよ」「このようにしなさい」つい言ってしまいたくなります。
 しかし,先生方は本人の心の動きを見ながら,チャレンジし易いような「環境作り」や「声をかける励まし」と「見守る援助」をします。本人が自分の意思で決断し次のステップを自分の力で上るようにしていきます。
 子どもたちは,自分の力で一歩ステップを上って自信をつけます。自信をつけていく自分がまた大好きになるように,遊び環境を準備したり励ましの声かけや見守りの援助を大切にしているのです。
 女の子のA子ちゃんは運動や人との関係作りが苦手です。何事にも自信がないようです。みんなの後をついて行ったり,他人の活動を見て真似をしたりして作品も仕上げています。園庭で自分の好きな遊びのドッヂボールをしている友達をずーっと見ています。次の日も次の日もA子ちゃんは見ているだけでした。
 先生が誘いました。「一緒にしよう」友達が誘いました。「一緒にしよう」「う〜ん。今はまだいい」それから何日か経ちました。A子ちゃんが「寄せて」と言いました。「いいよ」
 A子ちゃんはボールから逃げるばかりです。当たらないように,ボールも見ないで走り回っています。その逃げ回る日がまた何日か続きました。その逃げ回る中で,友達がボールに向かって手を出し受けようとする姿を見ていました。
 そして,一月近くが経ったある日のことです。A子ちゃんは,ドッヂボールでボールの正面を向いて手を出して受けようとしていました。何度も何度も手を出しますが,ボールを受け止めることができません。それでも手を出し続けました。「すごいね。A子ちゃん」先生がA子ちゃんの意欲を褒めます。そして,とうとう生まれて初めて相手の投げるボールを受けることができたのです。
 A子ちゃんの心の中を見ていきましょう。
 最初「みんな楽しそうだなあ。でも私には無理」見ているだけの日が続きます。ボールから逃げ回ってばかりいる友達を見ているうちに,「私もできそう。やってみようかなあ。でも無理。あんなに逃げ回れない」心の中で2人の自分が戦っています。対話をしています。何日か見ていると,当てられても楽しそうな友達の笑顔があります。
 「よし。私もやってみよう。寄せて」逃げ回っても当てられます。でも,「みんなの中に寄って遊べている自分が楽しいし嬉しい。自分もドッヂボールに寄ることができた」「自分の力で寄れて一緒に遊んでいる。自信がついてきたわ」「ボールに挑戦してみよう。えい」と手を出しました。何度か手を出しているうちに「ヤッター。ボールを受けられた」「お母さん。今日ね,今日ね,初めて,初めてボールを受けられたよ」
 2人の自分が心の中で対話をします。葛藤します。より高い価値を求めようとする自分と今のままでいいよという自分が対話をし葛藤します。単なるおしゃべりではありません。より高い価値へ上るか上らないかの厳しい対話です。A子ちゃんは,より高い価値を求めようとする自分が勝ち,新たな世界へ挑戦して行ったのです。
 自分が心で対話をし葛藤して,次のステップへ自分の力で進む。この事実について先生や保護者や周りの人たちが褒めて励まします。この作業を子どもたちは日々繰り返し,螺旋(らせん)階段を登っていきます。
 自ら対話をし自ら決断し実行する力は,同時に自分に大きな自信をもたらしていきます。自分で情勢や物事を見て判断し自分で決断して実行していくという,人間としての根っこの教育を日々積み重ねています。
自分が経験していることなので,相手の葛藤している心に気づくようになり見えるようになります。だから,相手が悩んだり苦しんだりしていたら,寄り添える力がついてきます。
 このような心の育ちを最大限に大切にされる幼稚園教育に包まれた生活の中で,自尊感情も自己有用感も大きく育っていきます。
 もちろん型から教えることも集団生活では沢山ありますし,翔鸞幼稚園でもしなければならないことは子どもたちに丁寧に話して実践しているところです。
 以上のように,京都市立幼稚園の教育は,好きな遊びをさせているだけだという教育ではありません。一人一人の子どもの心に寄り添い,心の揺れや成長に常に共感し励まし,参加し易い環境をさりげなく作り援助していく教育,一人一人の心を豊かに逞しく育てる教育を行っています。
 子どもたちは,自分の心と正面で向き合います。相手の心を感じ相手に共感し,お互いを認め励まし合う力を身に着けていきます。みなさまに是非ご支援いただきたいと思います。

 エピソード3 「しょうらん幼稚園が気に入った。お母さんこの幼稚園へ来たい」
 12月もあわただしく過ぎていき,2学期の終業式が数日後に迫ったある日のことです。
 「こんにちは。見学に来ました」とお母さんと男の子Bちゃんが職員室へ入ってきました。「どうぞ。こちらに座ってください」とイスをすすめました。「遊んできてもいい?」男の子が尋ねました。「いいよ。いろいろ見てきたらいいよ。ウサギやチャボやカメもいるよ」3歳児という男の子は廊下へ飛び出していきました。
 お母さんが話し始めました。「実は,この4月からある私立の幼稚園へ行っていたのですが,4ヶ月ほど経った7月中ごろには,行きにくくなったのです。幼稚園へ行こうと言うと,泣いて嫌がり行かなくなったのです。家の子はマイペースで,自分で納得して活動するタイプなのですが,そこの先生やみんなとペースが合わないようです。だんだん指摘されたりする回数が増えていったようです。そして,9月の,・・そう中旬頃からは全く行っていません。ですから,もう3ヶ月以上幼稚園へは行っていないです。その間,3つほど別の私立の幼稚園に見学へ行ってきました。でも,一緒に見学へ行っても,子どもが「どの幼稚園へも行かない。家にいる」というのです。「もうここで最後。最後にしよう」と言って翔鸞幼稚園へ連れてきました」ということでした。
 「そうですか,お母さん。よくお話をしてくれましたね。よく来てくれましたね。ここの幼稚園は,子どものペースで,子どもの心や思いに寄り添って保育をすすめます。無理強いはしません。いやなものを無理強いしても力がつきませんから。気に入ってもらえたらいいですね。子どもたちも優しいですし,きっと気に入ると思いますよ」と語りました。
 男の子は,15分以上経っているのに職員室へ戻ってきません。お母さんが「どこへ行ったのですかねえ?見に行ってもいいですか?」と廊下へ出ようとしたので,一緒に見に行くことにしました。「この職員室の隣の部屋が3歳児の部屋です」と言って,部屋の前まで行き中をのぞきました。
 お母さんは,部屋の中へ入っていきました。「ここで遊んでいたの?」「うん,ぼくな,ここが気に入った。この幼稚園が好き。この幼稚園へ来たい」クラスの子どもたちと溶け込んでおもちゃで遊んでいました。保育時間中なのですが,ちょうど子どもの好きな遊びの時間だったので,男の子は「遊んでもいい?」と言ってスーッと入って行ったようです。
 翔鸞幼稚園の子どもたちは,どのクラスの子どもたちも受け入れる力があると思っています。これは外から見ただけではわかりません。一緒に遊んだり声を交わしたりして少しづつわかってくるものです。でも,この男の子は感覚的にそのオーラーを感じ取り,自分の安心できる居場所だと分かったのでしょう。ですから,何の躊躇もなく初めての同い年の友だちのいる,先生もいる初めての部屋へ入って,遊び始めることができたのでしょう。感性の豊かな子だからオーラーを感じ取れたのだと思います。この心の豊かさは,前の幼稚園では十分生かされなかったのだろうと思いました。
 初めての友だちを当たり前のように受け入れて,何のこだわりもなく一緒に遊べるクラスの子どもたちの優しさというか,人間力というかには本当に感心します。大人ではなかなかこんな具合にはいきません。
 「3歳ぐらいの子どもって,誰でもそんなものよ」と言われる方もおられるでしょう。しかし,本当にそうでしょうか? 家でお姫様,王子様と育てられたプライドが本当に高く,わがまま一杯の3歳児のこの時期です。教育を受けていなければ,自分が王様、自分が王女様の論理には,大人なんか足元にも及ばない厳しい排除の論理もあります。「先生。誰か知らない子が勝手に入って来た」「お前誰や。勝手に入るな」と言われそうです。言わなくても,関わらないようにするかもしれません。
 でも,子どもたちは自然に「どうぞ」みたいに受け入れ,「ここな,もっと延ばそう」「こっちへ来て見て」などと一緒に溶け込んで遊んでいる。担任の先生も「いいよ」とそれをにこにこ笑顔で見守っていたのでした。
 男の子が言いました。「園長先生。明日お弁当持ってきてもいい? みんなと一緒に食べてもいい?」「いいよ。お弁当持って遊びにおいでよ」「ありがとう」とBちゃん。「Bちゃん,さようなら。また明日も来てね」とクラスの子どもたちの声を後にして,2人は帰っていきました。
 次の日,本当にお弁当を持ってきてクラスで遊び一緒にお弁当を食べました。男の子の御祖母さんも翔鸞幼稚園を気に入って,転入を全面的に応援してくれました。
 そして,3学期の初日から翔鸞幼稚園へにこにこと転入してきました。「Bちゃんは毎日幼稚園の登園が待ち遠しいようです。朝になると早く行こうよといつも言うのですよ」とお母さんが笑顔で語ってくれました。

 見えないものについて,「なぜなのか?」「どうなっているのだろう?」「どうなるのかな?」と考えたり想像したりすること。また,自分の心の中で,自問自答したり対話したり葛藤したりすること。この二つのことは,自分自身を次へのステップに上げていくためには,欠かせないことです。相手の心が見えるようになったり,人としての力をつけたりすためには,どうしても欠かせないことだと思います。
 子どもたちは,自分の力で1つステップを上って1つ自信をつけていきます。それを回りの大人や友達が,言葉や態度で励まし認めてくれる。この営みの連続が京都市立16園の幼稚園教育の本質です。そのうえ,小学校との連携交流も年間を通して行っています。ですから,子どもたちは,優しくて柳のような粘り強い心を育て,自信を持って小学校へ入学していきます。小1プロブレム(1年生で小学校へ行きにくい状態)の言葉は見当たりません。
 「自問自答や葛藤も含めた自分自身の心の対話により,より高い価値を追求していく。その中で心を育てていく」ということについて,ここまで一緒に考え学んでまいりました。ここまでくるまで長かったですね。大変お疲れ様でした。
 最後までお付き合いいただきまして,どうもありがとうございました。


2013/8/27(火) 乾隆幼での合同預かり保育

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 今日から3日間預かり保育を行います。場所は乾隆幼稚園です。8人から11人の友達が参加します。
 今朝は少し肌寒かったのですが,元気にプール遊びから始まりました。乾隆幼のお友達と一緒に遊び絵本を読み,読んでもらいました。
 みんなでのお弁当も楽しみな時間です。翔鸞幼稚園の先生も行っています。

2013/8/22(木) みつば幼稚園で合同預かり保育

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 今日は,みつば幼稚園で上京区の幼稚園の園児さんを合同で預かりました。
 翔鸞幼稚園からは,年長さん年中さんの7人が参加しました。
 屋上にあるきれいなプールに入ったり,うちわ作りをしたり,みんなで一緒に遊んだりして楽しく過ごしました。
 朝の9:30〜午後の2:30まで楽しみました。26日にも申し込んでいた人は参加します。
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京都市立翔鸞幼稚園
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京都市上京区御前通今出川上ル鳥居前町671
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