あの時の前には戻れないから
- 公開日
- 2011/10/12
- 更新日
- 2011/10/12
校長室から
堀川北門近くのユリノキ。もう秋です。
昨日お届けするはずでしたが,諸般の事情により遅れました。申し訳ありません。
先週土曜日に3年生と話しました。舞台美術をやりたいという生徒に,音楽座のミュージカルと高台寺のライトアップのすごさを紹介しました,
夜は,以前に担任をしていたクラスの同窓会に出席しました。費用を払おうとしたら「今回はご馳走します」。初めてでしたので感激しました。担任であったときの私の年齢を越えた彼らはさまざまに苦労を重ねているはずですが,それらを心にしまい込んで笑い話すことのできるおとなになっていました。ただし,笑顔は高校生のままで。
日曜日に卒業生の結婚式に行きました。式では参列者の前で誓いを立て,続く披露宴も仰々しくなくて,親しい仲間のパーティといった感じの実にさわやかな結婚式でした。空がとても青くて,会場からは,秋というよりも懐かしい夏を思わせる海が見えていました。どうぞお幸せに。
若々しい生徒たちと,落ち着いた卒業生たちと。年齢の違いこそあれ,いずれもがすがすがしい笑顔。あのとき以前には戻れないけれど,否,戻れないから,これからに向かってまっすぐ歩いていこうとしている。そういう姿のもつ清い力。
同窓会に来ていたひとりからのメールです。
……老人ホームで人生の最後の時をみて,私の役割とともに生き方を考えることがあります。でも,最近はやることが多すぎてパンク寸前でした。……また来年もみんなに元気で会えるように,リセットしてがんばります……。
自然であれ人為であれ,圧倒的な「暴力」の前に人間は無力です。哀しいくらいに。
しかし,そういう人間の間違いなく誰もが,存在していることによる力をもっています。いのちの力と呼べるようなものです。この力は,その人自身が生きていることによって生じる力で,その人自身には気づかれないこともありますが,周囲の人は,やはりそれを意識するかどうかは別としても,その力を受けて生きています。人は近しい人から力を吸収しているからこそやっていけるのだと言えます。
だから,それが失われたときに生じる喪失感は,言葉に尽くせぬものになります。
母が亡くなったとき,私は22歳でした。呼吸の間隔が長くなり,しだいに不規則にもなり,息をするだけの母になり,吸った息をいつまで待っても吐かなくなって,医師が静かにいくつかの動きをしたあと,母の腕を布団に入れて,そこにまだ姿があるのに,私の母がいなくなりました。病室は6階でした。私は,もう母のいない部屋を出て,階段を下りて,地下の洗面所で何度も顔を洗いました。
祖父母や叔父の葬儀に出たことはありましたが,身近な人が死ぬのに直面するのは初めてでした。しかも,それが母だったので,私は相当に揺れ惑いました。ずっと入院していましたから気持ちの準備もできていようはずなのに,実際の死は,私にとっては突然に訪れ,したがって衝撃もまた突然襲いかかってきたのでした。
そのときの私の気持ちはてんでばらばらで,言葉に表せるものではありませんでしたが,そんな中でひとつの言葉が頭の中をぐるぐると回っていました。いなくなった,いなくなった,いなくなった……。私は母の死に,言いようのない理不尽を感じました。
3月11日から7か月。1995年1月17日は午前5時46分,2011年3月11日は午後2時46分。地震発生の時間の違いについて,哲学者の鷲田清一氏は「同じ46分だが,人の生活を考えると午前5時と午後2時は意味合いが異なる」とおっしゃいました。早朝なら家族は一緒にいる場合が多いけれど,昼間はそれぞれが別の場所にいる,したがって,親や知り合いのおとなを失った子どもが多いのではないか,と案じておられました。
ヘリコプタから撮られた,火を上げつつ見る間に田畑を呑み込んでいく津波。あまりにも簡単に流される家や車。阪神淡路大震災とは異なる,別種の驚愕の映像がいまも焼き付いています。けれども,それらのカメラに映った場面とは別に,映像にならなかった現実が無数にあったという事実を思うと言葉を失います。
あれからの時間が,被災された方それぞれにとってどのようなものであったか。なかなか進まない復旧と原発問題の未解決。二度と戻らない時間といのち。
先が見えず,社会全体もまた,どうしてよいのかわからない閉塞感にとらわれ,さらには,どう言えばよいのか,私たちは自然に振る舞うことにためらいをもつようになったのではないか,とさえ感じます。
力を受けていたいのちを失った人が多くいて,それがめぐりめぐって数知れない人が喪失感を抱き,また,多くのいのちが,見えない不安にさらされていることで,言うに言われぬ頼りなさにさいなまれているようです。
こういう状況は,わかりやすさを求める傾向を増幅します。不確かであることや,よくわからないことに向き合う手続きの複雑さや面倒が徐々に敬遠され,排除されていくため,時にはある種の「スローガン」が,正当な合意のないままに喧伝されることになります。一方で,判断の基準になるデータが「不足」しているため,最新の科学的知見による適切な対応ができていないのではないかと思われるケースも見られます。
困難のさなかにあって,私たちの知恵が試されています。
2011年3月11日午後2時46分以前に戻ることはできません。理不尽であっても,状況を受け入れざるを得ません。しかし,どういう状況であっても,人為で理不尽を作ってはなりません。
ならば私たちは,これからをどのように生きればよいのでしょうか。どう人と関わって生きるのか。いのちをどのように守るのか。育てるのか。本当の安全をどう確保するのか。どのような社会をつくっていくのか。考え,語り合わねばなりません。それらを行動につなげていくために。立場や世代を超えて。不十分ではあっても言葉の力を尽くして。なお希望をもって。
24号(2011.10.12)……荒瀬克己