同じ考え
- 公開日
- 2013/02/06
- 更新日
- 2013/02/06
校長室から
2月3日には同志社大ハーディーホールで第21回民族の文化にふれる集いが行われ,16日には大谷大学で第44回人権交流京都市研究集会が行われます。前者は主に在日朝鮮・韓国の文化の紹介や外国人教育の取組の報告をもとに様々な民族の文化伝統の違いを知って尊重し合うきっかけを願う催しであり,後者は被差別部落への偏見を取り除き,部落解放を目指す取組から始まり,歴史や認識や同和教育の取組を通して広く人権にかかわることを考えるきっかけとなるような大会です。
先日,世界を震撼させる事件がアルジェリアで起きました。日本や英国が主に出資している企業での人質テロ事件です。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。イスラムの過激派による犯行と報道されています。世界各国で勃発しているイスラム過激派の戦いはアラーの神にそむくものやそむく人あるいはそむく考え方に対して行われているようです。
古来より日本人は小さな島にたくさんの人間が住んでいました。そこで揉め事を起こさないようにするには,物事に対して同じ考え方ややりかたをもつようにしてきました。それは一つの文化であり素晴らしいことです。これが風習や伝統であるうちはよいのですが,どうしても違う考え方や行動を起こす者に対しては,差別や忌避や,はては暴力での抑えつけをするようになるとこれは大きな社会問題です。
なぜ,こんな話を書いたかというと,学校でもこれと似たような仕組みの小さな社会問題が表れることがあります。「自分たちとは違う考え方をもっているので一緒に遊べへん」とか「みんながやらはったし,私はアカンと思ってたけど,一緒になってやってしまった」「あいつが言うこときかんと自分勝手やし手を出してしまった。」とか…
人と違うことに対して,どうも受け入れることが苦手な国民性が昔からあるようです。でも今の世の中は,もう日本の中だけで考えていればよい時代ではなくなっています。まして,自分個人の考え方だけが,またやり方だけが正当性をもっていると思っていることは,全くの時代遅れです。親子であっても親の考えだけが正当性があるわけでもないでしょう。学校でも教職員が子どもの意見にハッとさせられることは多いものです。子どもは自分の手足でもなければ社会のロボットでもありません。新しい考え方や違う文化を受け入れることがもともと得意ではない!ということを自覚して,人と接したり,子どもに対応したりすることが大切かも知れませんね。自分の考え方の押し付けには危険性があるということを考えておくと今,話題になっている体罰をなくすキーになるかもしれませんね。
校 長 安 田 曜