最新更新日:2024/04/30 | |
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2年生 道徳の時間教室の中のさまざまな様子が描かれたイラストをみながら、いじりといじめの境界線はどこかを班で考えました。 そのあと映像と読み物教材を読んで、「いじめにならないいじりはあるのか」について考えました。 さまざまな考えや意見が出て、普段の自分たちの言動を振り返るきっかけになった授業でした。 以下に感想をいくつか紹介します。 「自分自身がいじっているつもりでも、人のとらえ方によっては、いじめられていると思うんだなと思った。相手が笑っているからいじりという訳ではないと思った。人によって【いじり】と【いじめ】の境界線はさまざまだった。」 「自分も小学校のころ、体型のことでいじられたことがあって嫌で傷ついたけど、友達だったのでそこで笑ってごまかさないと空気が悪くなるように思った。今振り返れば、イヤだと言えばよかったなぁと思います。だから自分が経験してきたことを友達には絶対にしないようにしようと思った。」 「最初は笑っているからいじめではないやろと思っていたけど、ビデオや資料を見たり、皆の意見を聞いていると、周りが楽しんでいるからいいやと思っていじられている方も笑っていることがあると気付いた。そのままどんどんたくさんの人にいじられて、苦しくなってくることもあるかもしれない。相手も笑っているから許されるいじりはないのかもしれない。相手が笑っていることが境界線の基準ではなく、その場の空気や雰囲気もあると思う。その空気を感じられる力が自分にあるのか不安になったけど、感じられるようになって、いじりがいじめにならないようにいい空気に変えられるようにしていきたい。」 「私はいじめはその人がいやな気持ちになって、いじりは相手も自分も楽しいと思っていることだと思っていました。けど、今日の時間でいじっている人は気付いていないけど、されている人が嫌な気持ちになっていたらいじめと同じなのだと分かった。これからはいじめといじりの違いをしっかり理解していきたいと思った。」 「それぞれの個性や味というものを見出すために相手に言うのはいいと思うし、そのことを言われた相手が生きづらさをかんじなければ成り立つのではと感じた。」 「ただ表面的に見ていてもわからなくて、その関係性が大事だと思った。【いじり】は簡単に【いじめ】になると分かった。【いじり】に気付けるのか不安になった。」 「自分がいじっているつもりでも相手が嫌な思いをしているかもしれないと考えると、今まで自分がいじっていたことでも、相手にとってはいじめだと思っていたかもしれないと思った。」 「【しつこさ】と【集団で】が加わると、いじめになる。」 「いじりをしていたら必ず誰かが傷つくし、調子にのったやつがいじめの段階までやってしまうから、いじめにならないいじりはない。いじられて嫌な気分になるのは僕もやられていたのでよく分かる。その気持ちを知っているから、僕はいじりをしないようにする。 」 「私はよくいじったりいじられたりするけど、私はあまり嫌な気持ちになったりはしなかった。でも他の人の感じ方は違うし、いつのまにか傷つけてしまっているのかもしれないという自覚を持って発言に気を付けたり、責任を持つようにしたいです。」 「人を使って笑顔になるのではなくて、本当に楽しいことをして笑顔になれるようにしていきたいと思いました。」 |
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