最新更新日:2024/09/20 | |
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間合い
ある日の通勤電車内での出来事。
電車の一番先頭車両の運転席後ろに立っていた。 ななめ後ろにはお母さんと男の子がいた。 男の子は一生懸命先頭車両の一番前の窓から電車が進んでいくのを楽しんでいた。お母さんはその横で優しげに微笑みながら男の子を見つめていた。 子どもは総じて一番前の窓から、電車が進んでいく様子を見るのが大好きで、よくこのような親子連れを先頭車両で見かけた。 地上を走る電車からの先頭車両から見る景色や様子は、その電車に乗っているすべての人の中でも、自分ひとりだけだ。独り占めの景色である。特等席だ。 男の子はそんなことこれっぽっちも考えてない。ただただ、電車の進んでいく様子を楽しんでいる。 ところが、この電車は途中から地下に潜ってしまう。そうなると景色を楽しむことができなくなる。なぜなら、運転席後ろと男の子がのぞいている窓に暗幕が下されてしまうからだ。運転手さんがトンネルに入る手前でそのスイッチを押す。電車前方の景色を楽しんでいた子どもたちは、その時点でお楽しみが終了してしまう。そんな光景をよく見た。 この日の男の子も、そんなことをこれっぽっちも考えずに楽しんでいる。 いよいよ地下に潜る手前にきた。スイッチが押され、暗幕が上から下りてきた。 お母さんはやさしく男の子に「ああ、見えなくなっちゃうね。楽しかったね。」と声をかけた。 男の子は何のことかわからないのか、聞こえないくらいに景色に集中していたのか、お母さんのことばにまったく反応せずに見入っていた。 私もその様子を眺めていた。結論は見えなくなるという事態と決めつけていた。 ところが、その日のその時は結論が違ったのだ。本当にびっくりした。 暗幕は降りてきていて、もうすぐ窓の一番下まで到達しようとしていた。運転手席の後ろの窓は完全に暗幕で閉じられたが、なんと、男の子が見入っている窓の暗幕は、男の子のオデコのあたりで、「ピタッ」と止まったのだ。だから男の子は、トンネルに入っても、電車の進んでいく前を、ずっと見入りつづけていた。 お母さんは「わぁ、すごい!え〜っ、すごいね!」と男の子に話していた。話していたというよりも感嘆していたといった方が適切か。あまりにも想定外のできごとだったので、言葉が見つからなかったのだろう。しばらくして、「ありがとうございます。」と、見えない運転手さんに言葉をかけていた。 運転手さんに届いたかどうかはわからない。 周りにいた乗客もこの様子に驚いていた。そして、心和んでいた。 男の子はそんなことにはまったく見向きもせず、ずっと電車の前を眺め続けていた。 運転手さんと子ども、そしてその様子を見ていた私たちの間には、言葉は介されてはいないけれども、まちがいなく強く繋がっていて、なにか大きなエネルギーが生まれていたように感じた。感動という一言では言い表せないエネルギーが存在していた。熱く、そしてすがすがしいエネルギーだ。新しい何かが生み出された感覚だ。言葉はお互いには交わされてはいないが、新しい価値が生み出された瞬間と感じた。これは、ある意味、「対話」が成立したととらえてもいいのではないだろうか。 対話は、自分の考えや感じ方などが他者の考えや感じ方などに出会い、結合、変形しながら新しい見方や考え方、感じ方などの新しい価値観が生み出されるところに醍醐味がある。今回のこの電車での男の子の文脈も、この対話にあたるものと言えはしまいか。 そんなことを考えながら、すがすがしい思いで、職場に向かった。 学校長 谷内 秀一 |
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