Global CitizenshipⅠ~国際理解Ⅰ 第1回:「学べること」は当たり前? 世界を知り、教育の自由を考える~
- 公開日
- 2026/10/15
- 更新日
- 2026/10/14
学校の様子
こんにちは、GC教育部です♪1年生の総合的な探究の時間「Global CitizenshipⅠ」では、地域巡検を終え、新しい単元「国際理解Ⅰ」に入りました。
これまでGCⅠでは、「自由」を一つの大きなテーマとして学んできました。校内巡検では、自分たちが毎日過ごしている学校の中にある「不自由」に目を向けました。地域巡検では、学校の外へ出て、自分とは年齢や立場の異なる誰かを想像しながら、「その人にとって自由とは何だろう」と考えました。
そして今回からは、さらに視野を広げます。学校から地域へ。そして、地域から世界へ。国や文化、生活環境の異なる人々の暮らしを通して、「自分とは違う条件の中で生きる人の自由」について考えていきます。
第1回のテーマは、「世界を知る―学ぶことが当たり前でない現実から考える」です。まず生徒たちに挑戦してもらったのは、世界の現状についての13問のクイズ。
「低所得国に暮らす女子の何割が初等教育を修了している?」
「世界で最も多くの人が暮らしているのは、低所得国・中所得国・高所得国のどこ?」
「世界の極度の貧困にある人の割合は、この20年間でどう変化した?」
など、『FACTFULNESS』(ハンス・ロスリング著)で紹介されている問いをもとに、自分たちが世界をどのように捉えているのかを確かめました。
答え合わせをすると、意外な結果が次々と出てきます。
「もっと悪いと思っていた」
「ニュースを見ていると、世界はどんどん大変になっているイメージがあった」
「自分が思っているより改善していることもあるんだ」
そんな反応が出てきそうな問題ばかりです。
ハンス・ロスリングが指摘したのは、私たちは知らないから間違えるだけではなく、「知っているつもり」で世界を実際以上に悲観的に見てしまうことがあるということでした。もちろん、世界に課題がなくなったわけではありません。大切なのは、「世界はひどい」と決めつけることでも、「昔より良くなったから大丈夫」と考えることでもありません。どこが改善し、どこにまだ課題が残っているのかを、データや事実から確かめること。国際理解の学びは、まず「世界を正しく見ようとすること」から始まります。
そこから授業では、「教育」に焦点を当てました。私たちは普段、学校に来て、文字を読み、必要な情報を調べ、自分で考えて行動しています。あまりにも日常的なので、「文字が読めること」そのものを自由だと感じることは、ほとんどないかもしれません。そこで、こんな問いを考えました。
もし、とても喉が渇いているのに、目の前に置かれた三つの液体に書かれている文字を読むことができなかったら?
水なのか、毒なのか、ガソリンなのか。文字が読めなければ、自分にとって安全なものを自分自身で選ぶことさえ難しくなります。世界では現在も、多くの子どもや若者が学校に通うことができず、十分な読み書きや基礎的な学力を身につける機会を得られないまま生活しています。 ここで生徒たちに考えてほしかったのは、「教育とは、勉強ができるようになるためだけのものなのだろうか」という問いです。
文字を読む。情報を得る。比較する。考える。そして、自分で選ぶ。そう考えると、教育とは、自分の人生を自分自身で選択していくための土台でもあります。つまり、「学ぶことができない」ということは、「選ぶことができない」という不自由にもつながっているのです。
今回、世界の教育問題を具体的に考えるために取り上げたのが、カンボジアです。カンボジアでは、1970年代後半のクメール・ルージュ政権下で、多くの学校が閉鎖され、教師や知識人が犠牲となり、教育制度そのものが大きな打撃を受けました。その後、復興は進みましたが、現在も家庭の経済状況、学校までの距離、教師不足、学習環境など、さまざまな事情が複雑に重なっています。
ここでポイントになったのは、「学校を建てれば、みんな学校に通えるようになるのか?」という問いです。一見すると、「学校に行けない」という問題には、「学校を増やす」という解決策が思い浮かびます。しかし、実際にはそう単純ではありません。
家庭に経済的な余裕がない。→子どもが家計を支えるために働く。→学校を休む。→読み書きや基礎学力が十分に身につかない。→安定した仕事に就きにくくなる。→次の世代も経済的に厳しい状況になりやすい。
このように、一つの問題が別の問題を生み、それがまた最初の問題を強めてしまうことがあります。そこで今回は、「システム思考」を使って、カンボジアの教育課題を考えました。
貧困、学校へのアクセス、子どもの就労、中途退学、学習環境、衛生環境、将来の仕事など、12の要素をつなぎながら、
「どこが問題の出発点なのだろう」
「どのつながりが問題を長引かせているのだろう」
「自分が教育担当大臣で、任期が5年間しかなかったら、どこから手をつけるだろう」
と考えていきました。
生徒たちの中にも、
「最初は『貧困をなくせばいい』と思ったけれど、そんなに単純ではなかった」
「一つだけ解決しても、他の問題が残っていたら元に戻ってしまいそう」
「学校をつくるだけではなく、家族が子どもを働かせなくても暮らせることも必要だと思った」
といった気づきが生まれていました。
世界の問題には、きれいな一つの正解があるとは限りません。だからこそ、「誰かが悪い」で終わらせず、問題を生み出している仕組みそのものを見ることが大切になります。
そして授業の最後に登場したのが、この単元の中心となる「世界寺子屋運動」です。「学びたい」という気持ちがあっても、社会の仕組みや貧困、歴史的な背景によって学ぶことができない。では、「学ぶことができない状況そのものを変え、学ぶ自由を創り出すためにはどうすればよいのか?」その問いに向き合ってきた取り組みの一つが、世界寺子屋運動です。
生徒たちは、
「なぜ世界寺子屋運動は始まったのか」
「どんな人たちが、どこで活動しているのか」
「寺子屋では、どんな学びが行われているのか」
という視点から、その活動について調べました。
今回の授業では、世界の課題について「かわいそう」「大変そう」と感じることだけを目指しているわけではありません。事実を知る。仕組みを考える。一人ひとりの人生を想像する。そして、自分と世界とのつながりを考える。その順番を大切にしています。
「世界」という言葉を聞くと、とても大きく、自分から遠いもののように感じます。けれども、学校に通えること。文字を読めること。知りたいことを調べられること。自分の将来を考え、進路を選べること。私たちが普段「当たり前」に使っている自由から世界を見てみると、世界の問題は少しだけ自分の生活とつながって見えてきます。
今回の第1回は、まさにその入口でした。次回からは、知ったことを「自分の中だけ」にとどめません。世界寺子屋運動をまだ知らない誰かに、どうすればその意味を伝えることができるのか。「知る」から「伝える」へ。生徒たちは、世界寺子屋運動のリーフレットづくりに挑戦します。