学校日記

Global CitizenshipⅠ~国際理解Ⅰ 第3回:伝えることで社会とつながる。寺子屋リーフレットを発表する~

公開日
2026/10/15
更新日
2026/10/14

学校の様子

 こんにちは、GC教育部です♪1年生の総合的な探究の時間「Global CitizenshipⅠ」では、「国際理解Ⅰ―世界寺子屋運動」の単元に取り組んでいます。


 第1回では、世界には「学びたいのに学べない」人たちがいることを知り、その背景に貧困や社会の仕組み、歴史的な事情など、複数の要因があることを学びました。第2回では、その学びをもとに、世界寺子屋運動について「誰かに伝える」ためのリーフレットづくりに取り組みました。


 そして第3回。今回は、完成したリーフレットを互いに発表し合い、「どのように伝えれば、人の心に届くのか」を考える時間となりました。世界寺子屋運動の学びを、知識として自分の中にとどめるのではなく、他者に向けて表現し、共有していく。まさにこの単元が大切にしている、「伝えることで社会とつながる」学びです。


 今回の発表で印象的だったのは、どの作品もただ情報を整理しただけではなく、「どうすれば相手が立ち止まり、考えたくなるか」を真剣に考えてつくられていたことです。


 たとえば、ある生徒は、子どもたちの目の訴えかける力に注目して作品をつくっていました。数字や説明文をたくさん並べるのではなく、一人の子どものまなざしが読む人に何を問いかけるのかを大切にしていました。教育を受けられない現実を、「遠い国のかわいそうな話」としてではなく、「この子は何を思っているのだろう」「この子は何を願っているのだろう」と想像させる入り口にしていたのです。


 また、写真を重ね合わせて「12」という文字をつくり、その中身が子どもから大人へと成長していくストーリーになっている作品もありました。書きそんじハガキ12枚が、単なる「12枚」ではなく、一人の人の学びの時間や成長の過程につながっていることを表現した、とても印象的な作品でした。数字をそのまま示すのではなく、その数字の向こうにある人生を見せようとしていた点に、大きな工夫がありました。


 さらに、クメール文字だけが書かれていて、スマートフォンの翻訳機能を使うと意味が浮かび上がるという仕掛けのある作品もありました。これはとてもおもしろい発想でした。読む人は最初、その文字の意味が分かりません。しかし、翻訳して初めて内容にたどりつく。その体験そのものが、「文字が読めない」「言葉が分からない」ときに、情報から切り離されてしまう感覚を少しだけ追体験させるものになっていました。単に「識字の大切さ」を説明するのではなく、読み手自身に体験させることで伝える、非常に探究的な作品だったと思います。


 また、伝統的な影絵を用い、その中に子どもたちの夢や願いを投影した作品もありました。寺子屋運動のテーマを扱いながら、支援される側をただ受け身の存在として描くのではなく、「その人たちにも夢がある」「願いがある」「未来を思い描いている」ということが伝わってくる作品でした。文化的な表現と教育のテーマが重なり合い、一枚のリーフレットの中に深い物語が生まれていました。


 このように、同じ「世界寺子屋運動」を扱っていても、表現の仕方は本当にさまざまでした。問題提起型のように、まず「知らなかった現実」に気づかせる作品もあれば、共感型のように、一人の子どもの立場に立って考えさせる作品もありました。さらに、行動喚起型として、「知ることから始めよう」「あなたにもできることがある」と、読み手の次の一歩につなげようとする作品もありました。


 発表を通して改めて感じたのは、リーフレットづくりは単なる「作品制作」ではないということです。授業の中でも大切にしてきたのは、  

・データだけでなく、その向こうにある「人の物語」を伝えること

・長い説明ではなく、短く、心に残る言葉で届けること

・「助けてあげる」ではなく、「共に考える」視点で表現すること

  でした。今回の作品には、まさにそれが表れていました。


 数字を見せるだけでは伝わらないことがある。けれども、一枚の写真、一つの言葉、一つの構図によって、人の見方が変わることがある。生徒たちは、自分なりの表現を通して、そのことを確かにつかみ始めていたように思います。


 発表後には、こんな声も聞こえてきました。

「同じテーマなのに、こんなに伝え方が違うのがおもしろかった」

「自分は言葉で伝えようとしていたけれど、写真や仕掛けでも伝えられると分かった」

「“かわいそう”で終わらせないようにするのが難しかった」

「相手に届く作品って、情報が多いものじゃなくて、見た人が少し立ち止まるものなんだと思った」


 今回の発表は、自分の作品を通して、自分は何を大切だと思ったのかを確かめる時間であり、他の人の作品を通して、自分にはなかった視点に出会う時間でもありました。そして何より、「世界の教育課題」という一見遠く感じられるテーマが、言葉やデザインや表現を通して、少しずつ自分の近くに引き寄せられていく時間だったように思います。


 学ぶ機会をもてることは、単に知識を得ることではなく、自分の人生を選び、社会の中で生きていくための土台です。だからこそ、世界のどこかでその自由を十分に享受できていない人がいるという現実に目を向けることは、他者の自由だけでなく、自分自身の自由のあり方を問い直すことにもつながります。


 「知ること」から始まり、「伝えること」へ進み、そして「共に考えること」へひらかれていく。世界寺子屋運動の3回の学びを通して、生徒たちは、世界の課題を“遠い国の問題”としてではなく、自分がどう関わるかを考える問いとして受け取り始めています。


 一枚のリーフレットは小さな表現かもしれません。けれども、その一枚には、「誰かの学ぶ自由を、自分はどう受け止めるのか」という、生徒たちなりの真剣なまなざしが込められていました。