学校日記

【校長室から】ミッドナイト・エクスプレス

公開日
2026/03/28
更新日
2026/03/28

校長室から

春は、出逢いと別れの季節である。


毎年のことだとわかっていても、この季節に流れる時間には、どこか特別な重みがある。やわらかな陽射しの中に、まだ冷たさを残した風が混じる。終わりと始まりが、同時に押し寄せてくるような感覚。人の心もまた、そのあわいに揺れる。


「出逢いは最良の別れのためにある」という。出逢いは喜びであり、別れは寂しさであると、どこかで決めつけてはいまいか。時間が経つにつれて、その言葉は、ゆっくりと意味を変えながら沈殿していく。出逢いの価値は、別れの瞬間にこそ感じられるものであるのかもしれない。


3月2日、卒業式。その場には、確かに「最良の別れ」があった。厳かな空気の中で、一人ひとりの名前が呼ばれる。返事の声は、それぞれ違う。はっきりと響く声もあれば、少し震える声もある。証書を受け取る手の動きにも、それぞれの感情が現われていた。その場には、三年間という時間の重みがあった。言葉にできないものが、そこにはあった。視線が交わされる。小さくうなずく。その一瞬のやりとりに、過ごしてきた日々のすべてが凝縮されていた。


生徒同士の別れがある。ともに笑い、ときにぶつかり、同じ時間を生きてきた者同士が、静かにそれらの時間を確認する。生徒と教職員の別れがある。教室での何気ない言葉のやりとりが、どれほど意味を持っていたのかに気づく瞬間を振り返る。そして、教職員同士の別れもある。同じ場所で支え合い、悩み、前を向いてきた時間が、ひとつの節目を迎える。いずれも、「最良の別れ」に向き合う時間である。これまで、最良の別れに向かって、確かな時間を積み重ねてきた。


出逢いと別れ。それは、「旅」を想起させる。1年生は宿泊研修という「旅」から、先日京都に帰って来た。2年生は720日余りの「旅」を終え、間もなく最高学年を迎えようとしている。3年生は卒業し、それぞれの人生へ旅立っていった。


旅に生き、旅を表現し続けてきた、ノンフィクションライター・沢木耕太郎は、26歳の時に会社を辞め、全てを投げ打ってユーラシア大陸横断の旅に出た。多くの若者を熱狂させてきた、「深夜特急」の旅である。乗り合いバスでユーラシア大陸を踏破するという、酔狂な野望を持って。その旅は、単なる移動ではなかった。不自由で自由な日常を離れ、自由で不自由な中に身を置く試みであり、同時に、自分という存在を問い直す時間でもあった。彼が旅の途中で出逢う人々もまた、どこかで同じ問いを抱えている様子が描写される。日常と非日常のあいだで揺れながら、それぞれの選択を生きていた。


旅には必ず偶然が入り込む。思いがけない出逢い。予期せぬ出来事。それは、旅に厚みをもたらす。同時に、困難や危機が立ち現れることもある。その偶然にどのように向き合うか。同じ出来事が起こっても、それをどのように捉え、意味づけるかによって、事後の展開は変わる。人生すら変わる。様々な出来事により、人は少しずつ鍛えられる。結果として、日常に戻ったとき、より自由に生きるための力を身につけている。


沢木耕太郎は、高校時代に一人で東北を巡る旅に出たことがあった。誰にも頼らず、自分の判断で旅をし、帰ってきた経験。その感覚は、彼のユーラシア大陸横断の旅を支えた。「やり遂げた」という小さな確信は、その後の人生の底に、静かに横たわっているという。


学校という場所もまた、小さな「旅」の連なりである。日々の出逢いと別れ。予期せぬ出来事。思いがけない気づき。その一つひとつが、人を少しずつ変えていく。だからこそ、別れは終わりではない。それは、一つの旅の区切りであり、次の出逢いへと続く扉である。卒業式の日に会場を出ていく生徒たちの背中を見送りながら、離任式の日に惜別の思いを込めたスピーチをする教員の言葉を聴きながら、そうしたことを考えていた。


そこに居合わせた全員が、4月からそれぞれの場所へと向かう。新しい環境へ、新しい出逢いへ。そしてまた、そこで時間を積み重ね、新たな別れに出会う。終わりと始まりが重なり合い、静かに次の季節へと移っていく。


「出逢いは最良の別れのためにある」

そしてまた、新たな出逢いの季節に向かっていく。


船越 康平