【校長室】令和7年度(第78回)卒業式(「穂(みのり)」の25期生)
- 公開日
- 2026/03/04
- 更新日
- 2026/03/04
校長室から
3月の風が街を吹き抜け、桜のつぼみが春へとつづく中、令和7年度・第78回卒業式を挙行いたしました。
京都市教育委員会指導主事・安川隆司様、堀川同窓会長・門川大作様、堀川教育財団理事長・仁科繁一様、学校運営協議会理事長・森里龍生様、学校運営協議会理事・奥村美佐緒様、PTA会長・南出貴志様、はじめ、関係の皆さまのご臨席を賜り、ありがとうございました。また、保護者の皆様にも数多くご出席いただきましたことを深く感謝いたします。
式辞の一部(抜粋)を、以下、ご紹介いたします。
卒業生諸君、卒業おめでとう。
諸君がこの堀川高校に入学した日、「自立する十八歳」という言葉が皆さんに手渡されました。それは、個人やごく狭い範囲での人間関係における幸福、また、自分だけのために自立するということを意味してはいませんでした。十八歳の卒業の日に、自分の頭で考え、自分の言葉で語るとともに、他者とともに生きていく存在へと成長してほしい―そんな願いが込められた言葉として手渡され、皆さんの高校生活は始まりました。
三年間の高校生活の道のりは、決して一直線ではなかったはずです。努力しても結果が出なかった日。他者と比べ、自分の未熟さに打ちのめされた瞬間。未来が見えず、立ち止まったあのとき。眠れぬ夜。明けぬ朝まだき。それでも皆さんは、今日の卒業式にたどり着き、この場にいます。この事実そのものが、皆さんが、自立へ向けて確かに前へ進んできた証です。
本校は、明治41年に創設された、京都市立堀川高等女学校を前身とし、戦後の学制改革を経て堀川高等学校となり、現在に至っています。百年以上にわたり、この場所には、学ぶ若者たちの問いと葛藤、挑戦と失敗が幾層にも積み重なってきました。平成11年、教育改革の大きな転換点において、堀川高校は新たなチャレンジに踏み出しました。「探究」という、問いに向き合う姿勢。それは、効率や即効性を求める社会の流れとは、どこか逆行する営みでもありました。しかし、だからこそ堀川高校は、「すぐに役に立つ知識」を得ることに注力するのではなく、「問い続ける姿勢」を育てようとしてきました。―すぐに役に立つものは、すぐに役に立たなくなる― 皆さんが積み重ねてきた時間は、その只中にありました。
卒業生諸君、新たな旅立ち・船出を前に、3つの話をしたいと思います。
まず、1つ目、私たちが生きる、この混沌たる世界について。
私たちが生きるこの世界は、混沌と混迷の中にあります。世界各地で争いが続き、貧困や差別、怨嗟と憎悪の連鎖が人々を苦しめています。理由がいかなるものであれ、自分と他者の尊厳を踏みにじることは断じて許されません。人としての掛け替えのない尊厳を公平にたっとぶことこそ、望むべき未来への出発点です。人間は困難のただ中にあっても、未来を信じて歩んできました。過去を学び、現在を知り、状況に向き合う。その不断の努力と見識によってこそ、望むべき未来は築かれます。個人の生活は世界の動きと無関係ではありません。誇り高く自由に生きるために、社会を創造する一員であるという当事者としての自覚が必要です。そう、当事者意識こそが、悲しみの連鎖を断ち切り、「かく、あれかし…」と願う未来の礎となるのです。「他人のせい」にするのではなく、当事者として「自分のこと」と捉え、考え、行動する。そんな人として、この世界と渡り合ってほしい。いや、私も含め、お互いそうやって、この世界と対峙していこう。
次に、2つ目、校訓について。
堀川高校の校訓は、「立志・勉励・自主・友愛」本校では、学ぶ者としての姿勢を表す校訓の意味が、日々の学校生活の中に根付き、息づいた中で皆さんは時間を積み重ねました。普段は意識することもほとんどなかったでしょう。しかし、意識することがほぼないという事実そのものが、「根付き、息づいている」ということを意味しています。この校訓の背景に、何があるのか。そもそも、あなた方は、また私は、ここにいる全ての人々は、何のために高校に通ったのか。何のために学び、何のために大学へ行くのか。あるいは、何のために働くのでしょうか。その根源的な意味は?それは、自分だけが高い目標を掲げ、自分のためだけに勉学に励み、自分のためだけにクリティカルな観点を養い、グループで徒党を組んで、その範囲内だけで融和することを意味するのでしょうか。自分とごく親しい人だけが幸せになる準備のために、学校に通ったのでしょうか。勉学、探究活動、クラスの活動、課外活動、校外での活動、部活動…。一体、何を目的として、誰のために取り組んできたのだろうか。これらは、自分のためだけでは決してなく、自分以外の誰かのために、あるいは自分と他者のためにこそ、学び、取り組むことを意味してきたと確信します。
「立志・勉励・自主・友愛」-自分のためだけでなく、他者のために、志を立て、学び続け、自ら行動し、他者と向き合う。互いに感謝する。そんな時間を重ね、成長し、今ここに、皆さんが未来への扉を開けようとしていることを、確認したい。
最後に、3つ目、25期生の皆さんの学年のテーマとなった漢字は、「稲穂の穂」-「穂(みのり)」について。
-大地のめぐみ みずみずしくはずみ やわらかく揺れて-
大地はみなさんの存在を喜び、皆さんはその若さで弾むように生き、心地よい風のなかでやわらかく揺れる高校生活でした。一方で、高校生活は、甘美な世界だけではなかった。いやむしろ、思春期の最終局面における、激動の日々だったのではないでしょうか。穂(みのり)とは、稲が実を結ぶ最終形であり、収穫を意味します。しかし同時に、それは終着点ではありません。次の命へとつながる、始まりの姿でもあります。稲穂は、心地よい風の中で、温室のバラのごとく育つわけではない。風に吹かれ、雨に打たれ、倒れそうになりながら、それでも根を張り、養分を吸い上げ、実りを深めていきます。やがて、穂(みのり)は静かに頭(こうべ)を垂れます。
―実るほど 頭を垂るる 穂(みのり)たれかし―
単なる謙虚さを説く教訓ではありません。学び、経験し、悩み、考え抜いた者ほど、世界の広さと複雑さを知り、自分が決して万能ではないことを知る。だからこそ、他者の声に耳を澄ませ、異なる立場を想像し、自分と他者に敬意を持った姿勢を身につける。その在り方こそが、本当の意味で「実った」姿なのだという、強い願いを込めています。皆さんの中に芽生えた「穂(みのり)」は、確かな足跡を残し、今、豊かな穂(みのり)を堀川高校にもたらした。しかし、完成形ではありません。これからは社会という、より風の強い場所で、雨に打たれても、日照りが続いても、大地を踏みしめて、穂(みのり)の時へ向けて歩みを進めていくことになります。
これから皆さんが向かう世界は、広く、複雑で、そして不確実です。誰かが用意してくれた「正解の地図」「唯一解の記された海図」は、存在しません。しかし、だからこそ、皆さんが生きるこの世界、この時間には意味があります。揺れ動く世界の只中で、自分の頭で考え、自分の言葉で語り、他者と関係を結び直していくこと。皆さんは、これから自らの小さな船で、この広い世界へと漕ぎ出していきます。その船は、決して大きくも、豪華でもないかもしれません。向かい風に進めなくなる夜もある。自分の進む方向が見えなくなる瞬間もある。それでも、どうか思い出してほしい。 その小船には、堀川高校で挑戦してきた時間という、かけがえのない「穂(みのり)」が積み込まれています。
卒業生諸君、別れの時がやってきました。
出逢いは、別れのためにある。「人は、別れるために出逢う」と言います。人には、必ず、別れの時がやって来る。出逢いは、「最良の別れ」のためにあると言います。堀川高校でともに過ごした時間、「この出逢いは、間違いでなかった」と言える、最良の時間の中で、大海原へ漕ぎ出そう。実るほどに静かに頭(こうべ)を垂れながら、嵐の中で折れない強さをもつ、「穂(みのり)」であり続けてください。皆さん一人ひとりの航海は、やがてこの世界のどこかで、誰かに穂(みのり)をもたらす日が必ずやって来る。
皆さんの前途に、確かな「穂(みのり)」と、新たな挑戦があることを心から祈念します。
令和8年3月2日
京都市立堀川高等学校長
船越康平