ユリノキ
- 公開日
- 2012/03/29
- 更新日
- 2012/03/29
校長室から
これまで読んでくださった方々に感謝します。
ありがとうございました。
お世話になったみなさん。
本当にありがとうございました。
また,お会いできるのを楽しみにしています。
数年前に朝日新聞の文化欄に書いた文章です。
すべての揺れる心に贈ります。
冬に玄関前のユリノキが枝を伐られた。天に向かって伸び,若葉を茂らせ,木陰をつくり,秋,黄色い葉が美しかった。
それが冬のある日,知らないうちに枝をはらわれた。広がっていた梢が短くなって,寒々とした空に突き刺さっていた。
職員に尋ねると,あんまり広がって時計が見えなくなると困るから伐った,ということだった。時計は見えなくなってもいいから,これからはそのままにしておくようにと頼んだ。
先日,二十四歳になる卒業生がやってきた。相談があると言う。「仕事を辞めようと思うんですが」。「どうするの」。「音楽をやりたいんです」。
檀一雄は子どもたちへ,「お前たちの人生が多難であることを祈る」と書いたそうだ。親がわが子に多難を祈るというのを不可解に思う人もあるだろうが,私はこの言葉に,絶対の愛とも呼ぶべきものを感じている。
それで,卒業生にもこの話をした。彼は言った。「消去法で今の会社を選びました。でも,自分の中に,本当にやりたいことをやってみたいという声が響くようになって。先のことはあんまり考えていないんですが」。「大変ですよ。しかし,先を考えないのは若者の特権とも言える。まあエイヤアッだよね」。一緒に食事をした後,「じゃあ元気で」。握手をして別れた。
歩いていたら,生徒が近づいてきた。「先生,この木,短くなりましたね」。ユリノキをさして言う。「ねえ。そのままがよかったんですが」。「私,この木が好きなんです。なんか伸び伸びしていましたから」。「去年葉が落ちた後,気がついたら枝がなくなっていたんです。ちょっと寂しいことですね」。
「ユリノキっていうんですか」と言って生徒が枝を見上げた。そして小さく叫んだ。「あっ,先生,あそこに緑が。あれ,葉っぱになるんでしょうか」。
三月,進路がかなわなかった三年生,何かで傷ついた二年生,思いのままにいかない一年生。彼らにかける言葉はふるえる。
高校生はずいぶんおとなでもあるが,それでも若いから,目の前のものが世界のすべてであるように受けとることがある。だから,何かの失敗が自己否定につながることもある。逆に,幸運に出会って有頂天になることもある。よくも悪くも,それが決してそうとばかりではないということを言っても,本人には届きにくい。
そういうときには,言葉にするようにと言う。うまくいったこと,いかなかったこと,なぜそうなったのか,どういう思いでいるのか,どうしたいのか,それらを言葉にしてみる。書いてみるのも有効だ。そうすると,少し自分と距離が保てる。目の前のことが,世界のすべてではないことに気がつける。そして,次にどうしたらよいのかが見えてくることさえある。
とある会合で知り合って以来たまに会う,同い年の友人がいる。心地よい毒舌家だ。神戸に家を買ったが,気が付いたら管理職になっていて,単身赴任が続いている。次はどこに行くのかと思っていたら,「まず行くことはない」はずだった東京に,この春転勤することになった。二人でささやかな送別会をした。「波のまにまに漂う人生さ」。苦笑いをして,彼は盃を干した。
ユリノキは不格好な枝にささやかな芽をつけた。目の前の木は貧弱な姿だが,確かに春を内包していた。仕事を辞めて挑戦する卒業生にも,さまざまな思いの生徒にも,そして東京に行く友人にも伝えたい。
ユリノキハ,キット咲クヨ。
45号(2012.03.29)……荒瀬克己