学校日記

教え子からのメール(1)

公開日
2011/01/26
更新日
2011/01/26

学校経営の基本方針

私が26才の時に担任した女の子である。昭和43年生まれなので今年、43才になる。私の父が亡くなったのがちょうど昭和43年だったので印象に残る学年だった。剣道部に所属し、勉強もピアノも優秀な生徒だった。当時は戦後何番目かの中学校は荒れの時代で大変であったが、私も若くて元気だったので生徒も大変だったと思う。

 あることでその子をひっぱたき(今では許されないことだが)、家庭訪問したことがあった。お母さんに「娘は一生、先生とは口をきかないと言っています」と言われ、お父さんは「先生、そんなのいいですから、飲みましょう」と誘われ、何のために家庭訪問したのかも忘れ、意気投合して飲んだのを思い出す。帰りにお土産までタバコのキセルの根付けという木彫りのものを頂いた。

それから30年が過ぎたが、毎年年賀状のやり取りは続いている。ピアノの先生になった彼女は子どもはもちろん、大人にも教えている。国際交流会館で「大人のピアノコンサート」というものを長年やって来て、いつも招待状を送ってくれるのでよく出かけた。ある時、お母さんから「娘のボーイフレンドなのです。」と紹介された。ドイツ人だった。よく海外に出かけていて、交友関係も広い。感じのいい男性で結婚したらいいのにと思っていたが、やっと昨年結婚にいたり、今はドイツで暮らしている。おそらくこれからも。

その彼女からのメールである。時々メールはくれるのだが、返信がうまくいかず、年賀状を初めてドイツなる国へ出した。50円ハガキに20円切手を付けると届く。それに禅語の「『天の与える艱難辛苦は見事なまでに、あなたに足りないものを教えてくれる。』を謙虚にとらえ、頑張ろうと思ってはいる。」というコメントを書いたので、それに強く共感してくれてドイツ人の夫に英語とドイツ語で必死に伝えたというような内容が書いてあった。届いていたらしい。

 これをいかに醍醐中学校と結びつけるかは無理があるが、教師と生徒、親と子との繋がりは、その糸を切らずに、前向きな姿勢で接すればいつの日か分かり合えるときが来ると理解して欲しい。8年ほど前に私が大学院にいたころに彼女がくれたメールを「哲学の小径」に載せた。それを「配布文書」のコーナーに載せましたので、興味のある方はご覧下さい。これは2回シリーズで、明日か明後日にもう一度載せようと思います。