岩倉の歴史を学ぶ
- 公開日
- 2020/02/02
- 更新日
- 2020/02/02
校長室から
1月から,3年生の社会科の単元「京都市と岩倉のうつりかわりの様子」の授業をする機会を得ました。久しぶりの授業に,私自身が毎日ワクワクし,子供たちの活発な学びに支えられながら,授業だけでなく楽しく教材研究もすすめています。特に,岩倉のことをくわしく調べる機会を得ましたので,皆様と共有をしたいと思います。
では,ご存知の方もたくさんおられると思いますが,共有をお願いします。京都市左京区岩倉地区は,明治元年に山城国愛宕(おだぎ)郡下の岩倉村・長谷村・中村・花園村・木野村・幡枝村の六カ村が,京都府に編入し,1878年の郡区町村編制法により,愛宕郡岩倉村・長谷村・中村・花園村・幡枝村の五カ村になり,1889年の町村制施行により,五カ村を統合して京都府愛宕(おだぎ)郡岩倉村が発足,旧村名を5大字(おおあざ)として残した歴史があります。その後,1949年(昭和24年)に京都市左京区に編入し,現在に至っています。住所については,京都市左京区の後に「岩倉」の大字がつき,その後に「長谷町」「中町」「花園町」「幡枝町」「木野町」のかつての六カ村や大字に由来するもの,「忠在地町」「中在地町」等のかつての小字に由来するもの,「村松町」のように通称名が残っているものがあります。授業では,岩倉北学区の大字・小字や屋号についても楽しく学ぶ機会を設けました。
岩倉の発展の様子を学ぶためにかかせない人口推移については,昭和24年の京都市編入時の人口を起点に学びました。1949年(昭和24年)京都市編入時は,4300人であったものが,岩倉北小開校の1970年(昭和45年)には12500人,岩倉南小開校の1980年(昭和60年)には21330人に増加し,現在は28000人と急激な増加を遂げ,さらに増加の予測がされています。
急激な人口増加の背景には,宅地開発と公共交通の充実が要因に挙げられます。岩倉北学区では,昭和40年代後半の府営長谷団地,村松テラス等の大規模な開発と完成にともない人口が急増しています。その後も長谷地区や村松地区の宅地造成が続き現在に至っています。
公共交通では,1925年(大正14年)に岩倉三宅⇔出町柳間の京都バスが開通(その後,岩倉中心地への乗り入れ拡大),1929年(昭和4年)に鞍馬電鉄(現叡電)の開通,京都国際会館の建設(1966年)後の1970年に京都市バスが岩倉南部と京都市中心部間の営業を開始,1997年(平成9年)に京都市地下鉄の延伸により国際会館駅が開設されました。現在,京都バス及び京都市バスの運賃が市内均一区間料金となりました。
最後に学校については,学制発布の翌年1873年(明治6年)に岩倉実相院内に岩倉小学校が設立,1875年(明治8年)に,岩倉小(小杉の醤油屋北)・長谷小(長谷八幡宮)・木野小(木野愛宕神社)・高野小に分離し,明治22年に岩倉小・長谷小・木野小の3校が岩倉小に再統合,明治25年に岩倉小が再び岩倉小・長谷小・木野小に再分離,明治41年に明徳小(現在地)として3校の再統合を経て,岩倉地区の人口の急増にともない1975年(昭和50年)に明徳小から岩倉北小が分離,さらに1985年(昭和60年)に明徳小から岩倉南小が再分離し現在に至っています。岩倉小から始まり,分離と統合を繰り返して現在に至っていることが分かります。奇しくも長谷小は岩倉北学区,木野小は岩倉南学区に位置し,150年近く前から岩倉3校が互いに高め合いながら,岩倉の子どもたちが学びを深めていった様子がわかりました。学ぶことは楽しいことです。
校 長 三浦 清孝