学校日記

ダイバーシティと学校教育〜「めでたし めでたし?」から見る多様性 〜

公開日
2018/05/01
更新日
2018/05/01

校長室から

「ダイバーシティ(Diversity)」,日本語に訳すと「多様性」になります。これまでの学校教育は,「皆同じ」であることを大前提として,「一つの正答」を求めることを重要視してきました。しかしながら,新しい学習指導要領には,これからの学校は,「一人一人の児童が,自分のよさや可能性を認識するとともに,あらゆる他者を価値のある存在として尊重し,多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え,豊かな人生を切り拓き,持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。」と示されています。つまり「多様性」が学校教育のポイントとなるわけです。
「多様性」について考える資料として,新聞広告クリエーティブコンテスト2013最優秀賞「めでたし,めでたし?」のポスターを活用したことがあります。ポスターでは,「鬼の子」がたどたどしい文字で以下のように書き記しています。
「ボクのおとうさんは,桃太郎というやつに殺されました。」
そしてポスターの下部に,
「一方的な『めでたし,めでたし』を生まないために。広げよう,あなたがみている世界。」
とのコメントが小さく記してあります。
また,ポスターの作者は,「ある人にとってしあわせと感じることでも,別の人からみればそう思えないことがあります。反対の立場に立ってみたら。ちょっと長いスパンで考えてみたら。別の時代だったら。どの視点でその対象を捉えるかによって,しあわせは変わるものだと考えました。そこで,みんなが知っている有名な物語をもとに,当たり前に使われる『めでたし,めでたし。』が,異なる視点から見ればそう言えないのでは?ということを表現しました。」と語られており,このコメントからも「多様性」についての「問いかけ」や「視点」の大切さを見て取ることができます。
しかしながら,このポスターのインパクトに圧倒され,単純に「一方の側からものごとを捉えることは間違いである。」とすると,これまた一方の側からの正否や善悪の押し付けとなりかねません。学校では,善悪や正否は「普遍的なもの」であると教えることがあります。しかし,「普遍」の根幹となっている国・民族・文化・宗教等が異なれば「普遍的なもの」自体が変わってしまうのではないかと考えると,本来変わることのない・変わってはならないとされる「普遍的なもの」についても,多面的に捉えることが,「多様性」の理解の第一歩であると思います。
「人は皆同じ 人は皆違う」,相反することを一括りにしていますが,人は皆「人間として同じ」であると同時に,人は皆「違う人間」です。「一人一人がみな同じく違う」ことの「多様性」を「認め合う」ことから,社会を創ることが始まると考えています。
 校 長  三浦 清孝