京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/23
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Art(豊かな感性・表現力・創造力のある生徒)  Science(論理的に真理を追究し、知性あふれる生徒) Toughness(夢に向かって、支え合い、果敢に挑戦できる自立した生徒)  

平成24年度 第6回卒業証書授与式 式辞 ―青雲―

3月15日(金)に挙行致しました、本校第6回卒業証書授与式において述べました「校長式辞」を以下に掲載します。


                 式 辞 ―青 雲―



未だ雪の残る中、身も心も寒き日々を過ごされている方々が数多くおられる我が国において、今日、温かき春の日よりの中、保護者のご参列はじめ、ご来賓のご臨席を賜り、第6回卒業証書授与式を、ここに挙行出来ますことを、深く心より感謝しますとともに、教職員を代表し、厚く御礼申し上げます。
 
卒業生の皆さん、卒業、おめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます。
そして、保護者、ご家族の皆様方、本日は誠におめでとうございます。重ねてお祝い申し上げます。

校長として、卒業生の皆さんに、はなむけの言葉を贈ります。

春風興りて青雲飛ぶ
花その色冴え香り高し
旅の道程違えども
深き草木の地に道創れ
時と情この学舎に刻まれし
誇りを胸に
志を立てよ

どんな時代に生きようとも,
“志 きらめく”自分であり続けよう。

 目を閉じ静かに、想像してください。穏やかで温かい春の風が、自然界のあらゆる生命を持つものに、長い冬の眠りから目を覚ますようにと、やさしく、触れながらささやいていってくれています。そして、この下京の学舎の空には、今、悠々と高く、皆さんの志をのせた雲が幾重にも重なり、連なり、飛んでいきます。まるで皆さんの姿そのもののようです。  
この三年間で培ってきた力は、皆さんのその姿に、その内面にそれぞれの個性を持って確実に培われてきました。これから皆さんの歩む道はそれぞれ違いますが、この下京中学校で過ごした自分に、自身と誇りを持って、この大地にすっくと立ち、新しい旅の一歩を踏み出してください。
 
2011年・平成23年の3月と5月の出来事を私達は忘れることができません。皆さんが1年生の終わりに経験した3月11日の東日本大震災、そして、2ヶ月後に亡くした尊い仲間の命。本来ならばその仲間は、今日この日に、ともに巣立っていくはずでした。
人は狂おしいほどの悲しみや、時には不幸と思えることも背負っていかなければなりません。順風満帆な船旅も、時には嵐にも遭遇します。座礁もし、帆も破れ、船体が壊れるほどの衝撃を受けることもあるかもしれません。きっと予測のつかない出来事の方がそうではないことよりも、この世界では多いのでしょう。しかし、私達には、それらに立ち向かう強い力があります。それは繋がるという力です。人と人とが、手と心を繋ぎあい、破れればつくろい直し、壊れれば、組み立て直し、亡くなれば新しく生み出すという力があります。今日よりも明日、明日よりも明後日、より良い未来を創り出そうとする力を、私達は持っています。
「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」
智恵ある人はぐずぐずしない。愛ある人はくよくよしない。勇気ある人はびくびくしない。
智恵がなければ一生懸命学ぶことを。愛が乏しければそばにいる人への思いやりの心を自ら持って、勇気がなければそこに何があるかを、まっすぐに見すえる力をつけてください。
生涯に渡って、学び続け、友と語らい、人を愛し、人のために力を尽くす。そんな人になってほしい。

グローバルで変動と混迷の時代と言われる現代社会においては、解決のための道筋や答えが一つではないという課題に満ち溢れています。幅広い知識を大切にし、思いをめぐらし、考え抜き、時には仲間と激しいディスカッションを行い、自分の考えをさまざまな方法で表現していく必要があります。これまでにも教科の授業や道徳、特別活動、総合的な学習の時間を通じて、その学習は行ってきました。これからはそれらを基礎にしてさらに、発展した課題解決能力を身につけていってほしいと思います。

「自分の正義は人にとっても正義であるのか」、「自分の命は人の命よりも重いのか」、「自分の幸せは人にとっても幸せなのか」、「平和は戦争の土台の上でしか築けないのか」、「真の豊かさとは何か」、「生きる意味とは何か」、「仲間とは何か」、「家族とは何か」、「学ぶとはどういうことなのか」、「学校とはどんな場なのか」、そして「自分とはいったい何なのだろう」。
それらの限りのない問いはこれからも続いていきます。その問いに向かう様は、言わば、自分自身が一本の杭のようになり、大地に向かって、自分自身で、自分という杭を打ち込んでいく行為に似ています。しかしその打ち込む力は、巨大な力ではなく、「努力」という小さな力の積み重ねであります。私達人間は非力で、時にはとてつもなく無力であることもよく知っています。だからこそ、小さくとも確実に、継続して打ち続ける力が必要です。そしてその力を生み出すことが出来るのは「夢」や「希望」であります。「夢」を追いかけてほしい。「理想や希望を追究してほしい」。それが皆さんを輝かせるものとなります。

184名の卒業生の皆さん。
「大義に依りて志を立てる」仲間と、互いの健闘を祈りましょう。そして、変わらぬ友情を確かめ合いましょう。
いよいよ旅立ちの時です。良い春風が吹いています。まさに青雲となり、勇気と誇りを持って未来へと旅立ってください。 
私は皆さんとの出会いに感謝します。これからの世界を築いていく、皆さんの可能性に心の底からわくわくしています。 どうぞ、すばらしい人生を送ってください。

 最後に、この下京中学校という場を通じて、保護者、地域の方々、またご来賓の皆様方もあわせて、人生のよき出会いを与えていただきましたことに教職員を代表して心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
 
それでは卒業生の皆さん。
志きらめいて、これからの大きな世界で、一層の活躍をされることをお祈りします。
 今後のご健闘と前途を祝して式辞といたします。
          
平成25年3月15日
            京都市立下京中学校
            校長  村上 幸一

ある一日

ある一日

 朝食をとりながら新聞に目を通す。習慣とは言え,その行為がその日の生活のリズムに少しは影響している。見出しに目をやり,気になるところを丁寧に読む。首相の1万字超の施政方針演説は夜に読むことにする。しかし,目にとめた箇所があった。江戸時代の学者,貝原益軒の言葉を引用した「寛容」という二文字である。益軒の言う初心と寛大さに触れておられる。
次元は違うが,最近,「包容力」という言葉を何度か使い人に話したことがある。人や社会そのものに包容力が乏しくなってきているのではないかと感じている。「ならぬことはならぬ」という言葉は正義の通らぬことの多い現代社会においてはわかりやすい言葉だ。学校教育と旧会津藩の幼育訓と重なることも多い。時代を超えて戒めなければならない人のありようなのだろう。しかし,報道される諸記事を一読してリズムが不安定に微妙に乱れるこの感覚は何なのだろう。変動と不透明な社会において優先されるべき事実は未来肯定的な人の努力とその成果ではないのかと思う。事を曖昧にするのではなく,事の本質を見抜くためにも多角的な視点と,多様な価値観が必要なのだろう。「ならぬ」の言葉のアンチテーゼは「(良く)なる」でありたい。良くなった“過程”は見過ごされがちである。

昨日,午前中にドイツと日本の教育学者の方がお越しになり,授業視察とともに,授業者への聞き取りを丁寧にされていった。日本の指導技術の高さに驚かれながら,指導のプロセスについて限られた時間ではあったが特に聞いておられた。
昼休みに,本校の伝統文化部がお茶席でのおもてなしをした。緋毛氈の上に緊張した面持ちで座られ,掛け軸や花の紹介をしながら,靜かで豊かな時間をともに過ごせた。
文化の違いを知ることで人は豊かになる。ドイツでは学校教育において,伝統の作法について学ぶということがないらしい。生徒・教職員が心を一つにして,良い“おもてなし”が出来たことを嬉しく思う。
同日の午後,日本が世界に誇るロボットクリエーターの高橋智隆氏をお招きしての講演会を催した。「ロボットと暮らす未来」という演題で,これからの未来におけるロボットをはじめとした科学技術とヒューマニティ(人間性・人間愛と解釈した)について先見性を持って述べられていた。見事なロボットの動きとそれに注がれている氏の眼差しや所作に愛情と情熱を強く感じた。洗練されてスタイリッシュなロボットと高橋氏の容姿はイノベーターとしての日本の革新的存在を思わせる。同時に,創られてきたロボットは伝統工芸に近い“手作り”と仰っていた通り,校長室で拝見した氏の指は,刃物や工具を使われている職人の手そのものであった。それを見て,氏の言葉に一層の厚みを感じた。
宇宙ステーションにロボットを送られるらしい。「次はどんな場所でロボットを動かされるのですか?」という生徒の質問に,「秘境と言われるような大自然や,人間が創り出した建造物を舞台にチャレンジしてみたい。」と目を輝かせて答えておられた。
学ぶことの喜びを再確認できたことがとても嬉しい。すばらしい一日を,多くの人たちと過ごせたことに感謝したい。

                  2013.3.1
校長 村上 幸一

経済と教育

経済と教育

最近、仕事の合間によく思い浮かべることがある。「鶏が先か、卵が先か」という因果性のジレンマと同じように、「教育が先か、経済が先か」という直接仕事の役に立たないようなことである。「どちらでもいいこと」であり、「どちらも一緒でしょ」と一笑されてしまうようなことを、時々「君はどう思う?」なんて風にたずねてしまう。「人口学」という、普段はあまり聞き慣れない言葉がある。統計学だけではなく、経済学、社会学も含めた学際(複数の異なる学問領域が関係する)領域である。政権が変わり、日本経済の建て直し(再生と成長)についてマスメディアが連日、大きく取り上げている。まさに国民総経済学者という様相である。教育にたずさわる者にとって、子どもの不登校数や少年犯罪件数等はよく聞きもし、目にすることも多い。文部科学省は「データから見る日本の教育」(Japan’s Education at a Glance)として、2008年に教育関係の基礎データを提供している。そこには教員数や国の教育費、子どもの体力から生活習慣、いじめ件数まで、多岐にわたり掲載されている。社会事象を数量的に捉え、教育を取り巻く環境をより理解し、個々の現場における実践に生かしていくことを願っているのである。
 もう片方で、毎年、経済的困窮による自殺者が10,000人近くいるという別資料のデータもある。この10,000人の方々には、家族はもとより、血を分けてその死を悼むもの、また、共に日々を過ごし,苦楽を分かち合った仲間も数多くおられたに違いない。そして、そのことに繋がる子どもの数はいかほどか・・。  国や自治体が整える教育環境、家庭で構築していく教育環境、いずれも、なけなしの金で成り立っているものである。学校の経営に際しては、無駄遣いは許されない。国の無駄遣いを許さない、そして、生きた金遣いが出来る大人を育てていくのも教育の大切な仕事の一つである。
話が前後したが、人口学による日本の将来予測の一つに高齢者(65才以上)が人口の40%に達するというデータがある。2040年、すなわち今の中学生が40才前後になる時である。「領土棚上げ論」ではないが、その時にどんな知恵を持って国家の危機に望むのか。果敢に挑む姿を見てみたい。子ども達に託すということは、私達の今の責任を問うことでもある。
 受験を直前に控えた3年生の教室を見て回った。真剣な眼差しで授業に臨んでいる。
 それぞれ様々なものを背負っているんだろう。
 負けずに頑張ってほしい。

                 2013.1.22
校長 村上幸一

言葉と命の重み

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― 言葉と命の重み ―
  大切なものは目には見えない
                             
「これ、なににみえる?」
(※帽子ではありません)

「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ。」
「家でも星でも砂漠でもその美しいところは、目に見えないのさ。」
上記は、「星の王子様」(作アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ)の中の一節です。
校長として1年に一度、全校生徒を前に2時間ほどの授業を行っています。「全校道徳」と称して、12月の人権週間の期間に行っているものです。世界人権宣言をはじめとして、私自身が大切にしている言葉や体験したこと、そして今、実際に社会(世界)で起きていることを中心に授業を組み立てています。今年は、「言葉と命の重み」という主題で、モラル・ジレンマとして、一つの尺度や視点では判断できない心の葛藤をさらに揺り動かす授業を目指しました。“命の重み”や、“人の存在価値”、“正義とは何か”などの、根源的な問いを、わかりやすい題材を通じて行うことを心がけています。しかし、結局は毎年、とても難しい内容になってしまいます。今回も自分で教材を作りながら、自身が悩むことになりました。600枚近い生徒達の感想文を全て読み終えた時にあらためて教育の責任を感じました。こちらの予想以上に深く、重く受け止めている様子に成長を感じると同時に、これからの社会の担い手がまさに、ここに存在しているという実感があります。私がサンテグジュペリの言葉を借りて、「大切なものは目に見えない」と話したことについて、一人だけ次のように述べていました。・・・「校長先生の話を聞いていくうちに、何かを感じたり、想像したり、考える心が、とても大切なのだと思いました。」、「でも、私は一つ、校長先生の話につけたしたいことがあります。本当に大切なものは、目に見えないと言っておられましたが、私は親友や家族、目に見えているけど大切なものもあると思います。」・・・
彼女の感想文を読み終えて、私は、自分の話の拙さを反省するとともに、彼女の友や家族との間に流れる温かい風のようなものを感じました。風もやはり目には見えません。けれどもその暖かさは彼女の言葉を通じて私に届きました。また一つ教えてもらったように思います。  感謝。  来年も心温まることの多き年でありますように・・・。

                             校長 村上 幸一

平成24年度全国・学力学習状況調査 結果概要

全国学力・学習状況調査について

 4月17日に実施された今年度の「全国学力・学習状況調査」の結果が届きました。
 本校では4月の調査当日にも担当教科が主となり、問題と解答の状況について分析を行ってきました。調査に向けては、特に答えを追究する姿勢を重視し、無答の回避をねらっていました。このことは、2年間本校が追究してきた、研究テーマでもある「思考力・判断力・表現力の育成」と「言語活動の充実」にも一部関連することであります。基礎基本を大切にしながら、それらを活用した「活用型・探究型」の学習をさまざまな形で進めてきた成果検証の一つでもありました。
 今回、本校は希望利用校でありましたが、返却されたデータをもとに全国比と京都府比をもとに、正答率や誤答傾向はじめ、学力の構造的な概要について他の調査とともに、把握する努力を続けているところです。また、生活環境や学習環境等に関する質問紙調査についても傾向の把握が一定出来ました。長所・短所あわせて、本校及びご家庭での大きな課題が読み取れます。今後の本校教育の指導改善に結びつけるとともに、各ご家庭におかれましても、さらに充実した家庭教育の在り方の一助にしていただけましたら幸いです。
別紙、学校だより「Shimogyo J.H.S NEWS」にて紙面および、HPにてお伝えしますので、保護者の方には、是非ご一読くださいますよう重ねてお願いいたします。

                            2012.10.15
                              校長  村上 幸一

祝・山中教授ノーベル賞受賞

                「感謝」と「責任」

 昨夜ラジオのNHKワールドニュースをたまたま聞いていて、「・・・Professor Yamanaka・・・iPS・・・」と、聞こえてきた。ほとんど他の内容は耳に残っていない(恥ずかしながら)が、もしや!という思いですぐにTVをつけた。
昨年のちょうど今頃、教職員・生徒一同は大きな期待を寄せていた。ノーベル賞の発表日であった。その前の月、9月に本校でご講演をいただいた京都大学iPS細胞研究所所長 山中 伸弥教授の受賞を願っていた。そして1年の月日が経ち、多くの人々の願いとともにそれは実現した。TVの会見を見ながら、思わずうれしさで目頭が熱くなるとともに、会見でのお話のメモを取り出した。ちょうど3日前にも大阪で山中教授のお話を聞く機会があった。どの場面でも必ず話される言葉がある。ここまでの研究の成果は、自分ひとりのものではないということ。若いスタッフや、他の研究者、恩師や同僚、家族へのあふれるような「感謝」という言葉だ。そして、挫折や苦悩を乗り越えることが出来たのは、現代医学では救えない難病に苦しむ多くの人々の命を、ひとりでも多く救いたいという、「夢」を持ち続けたということ。その二つの言葉は、1年前、本校生徒の心にしっかりと刻まれていたと確信している。そして、昨夜の会見では、その「感謝」という言葉と合わせて、「責任」という言葉を添えられていた。「明日からでも、すぐにでも、さらに研究を進めていきたい。それが私の責任です。」と語気を強めて話されていた。その言葉を聞き、比べようがないが、果たして自分は責任をここまで本気で、日々の仕事に落とし込んでいるだろうかと自責の念が過ぎった。
朝一番の職員室では、全員で祝福の拍手を送った。教室では担任を中心に生徒達と拍手と共に歓びを分かち合った。
山中教授に「感謝」するとともに、教育に対する私たちの「責任」をあらためて見つめ直すことのできた一日であった。
山中先生、本当におめでとうございます。
 心よりお祝い申し上げます。
                            2012.10.9
                            校長  村上 幸一

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 始まりだした。
 新しい空気が校舎内に流れている。生徒の顔つきや姿勢に、学年が一つ上がることの重みを感じる。教師の声や、生徒を見る目から真剣さが伝わる。環境や状況が変わることへの不安と期待は誰にでもあり、あたりの空気はまだ定まらない。しばらくすれば、それぞれの前に小さな壁もできはじめるだろう。時間は確実に流れ、学舎の生活を一日一日重ね続けた先に、成長が待っている。いくつものハードルを越えながら、たくましくなってくれることを願う。
 
 一月前の「志 花の式(修了式)」で「風雪に耐え、先んじてただ咲く梅の花となれ」と話し、今日は、雨に濡れる遅咲きの桜に、“華美ではなく、その香りは淡く人を飽きさせない”という日本人としての一つの美学を見る。花期は短く、風に舞い散るその姿は、もしかしたら、私たちが1年にただ一度、心同じくして感じる日本の心かもしれない。
 教室の窓越しに見える桜の花が優しく生徒を包み込んでいる。


                            2012.4.11
                                 村上 幸一

志 きらめく

 新年度が始まりました。新しい仲間を迎えて、下京中学校は今年度も「志 きらめく」学校として保護者・地域の皆様はじめ、様々な方々からのご支援、お知恵をいただきながら頑張る所存です。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 ※以下は新年度、冒頭の職員会議で教職員に伝えた私の所信です。



経営のはじめに(本校教職員への言葉)

              ― 志 きらめく ―

唯一無二
心を一つに
未来を創る

 我が国においては、昨年3月11日に起きた東日本大震災の深い傷跡の復旧そのものの遅れと、未だ復興とはほど遠い現状であることに、国民として人として、そのもどかしさと、被災された人々の日々の暮らしや心中を察する中、誰もが今も心に痛みを感じているのは同じであります。あまりにも大きな衝撃を受けた私たちは、命の儚さや、自然の猛威と恩恵そのものについても深く考えさせられました。全国の公教育に携わる者は新学習指導要領の下でも強く求められている「生きる力」の育成のためにそれぞれが叡智を振り絞り学校経営の邁進に努めているところです。本校ももちろんその一つであり,学び舎に関わる内外の様々な人々の連綿とした努力により今日に至っています。しかし,「生きる力」という言葉は時にはとても便利でオールマイティな面を併せもっています。そのことを錦の御旗のように掲げていれば学校経営の方向性は客観的にはまず間違うことはありません。しかし,この震災をはじめとした平成23年に起きた様々な自然災害や原発事故などは,まさに戦後の奇跡的な復興を成し遂げた我が国の国民性や技術力の功罪をあらためて考えさせられることになりました。「学校で教わることは社会では役に立たない」と言われて久しいです。そんな言葉を跳ね返すべく私たちは懸命の努力を続けてきました。しかし,今一度,真に「生きる力」とは何なのかを,与えられた言葉ではなく,眼前の子どもたち,地域,社会,世界を見据えたビジョンの下,自らの内面から必然的に生まれてくる「生き抜く力」の育成のためには何をなすべきなのかを,深い反省と共に自身の胸に刻み込もうと考えているのは教育に携わる者、皆同じではないかと考えます。
 これまで以上に、私たちの使命(教育)への強い自覚と教育への熱意が求められています。国家の再生とさらなる発展のために、新しい仲間とともに、それぞれが教育の意味を深く考え、合わせてこの下京中学校の使命とは何か、また、チームの一員として“何をすべきなのか”、“何ができるのか”を、自身に問い続け、それぞれが研鑽を深め、学び合い、助け合い、励まし合いながら日々歩んでいくことが大切です。良き未来の創造のために、さらに一層“志きらめく”学校にしていきましょう。
                        
                            平成24年4月2日 
                            校長  村上 幸一

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学校行事
3/29 離任式 9時〜 在校生 8時40分登校
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