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最新更新日:2025/07/24 |
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修学旅行 2日目(1) 読谷村の風景(8)![]() 読谷村漁港の食堂での昼食 海ぶどうとマグロの丼に見えます。 生徒も地元の方々と地元ならではの昼食を堪能している頃です。 修学旅行 2日目(1) 読谷村の風景(7)![]() ![]() ![]() 写真 左:サトウキビ畑でざわわ 写真 中:座喜味城です 写真 右:想像より素敵でした(*^^*) 修学旅行 2日目(1) 読谷村の風景(6)![]() 生徒発見! 塩ソフトクリーム!かなり美味しいです! 修学旅行 2日目(1) 読谷村の風景(5)
校長先生からは,座喜味城址の写真です。
いくつかのグループが集まってきています。 昨夜は楽しかったとのこと。 なんとか雨も降っていません。 座喜味城は15世紀の始め頃、護佐丸によって築城されました。 一の郭と二の郭からなり、それぞれの郭にはアーチ石門が造られています。アーチの石がかみあう中央にはくさび石がはめられ沖縄に現存する最も古いアーチ門と言われています。 ![]() ![]() ![]() 修学旅行 2日目(1) 読谷村の風景(4)
石垣先生からの写真は,読谷村にあるチビリガマです。
チビチリガマから世界へ平和の祈りを チビリガマの石碑に刻まれている碑文です。 1945年4月1日、米軍はこの読谷村の西海岸から沖縄本島へ上陸した。それは、住民を巻き込んだ悲惨な沖縄戦・地上戦であった。その日のうちに、米軍はチビチリガマ一帯に迫っていた。翌2日、チビチリガマへ避難していた住民約140名中、83名が「集団自決」をした。 尊い命を喪った。 あれから38年後、やっと真相が明らかになった。その結果、83名のうち約6割が18歳以下の子供達であった。その他、2名が米兵の手によって犠牲になった。 「集団自決」とは「国家のために命をささげよ」「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義による強制された死のことである。 遺族は、チビチリガマから世界へ平和の祈りを、と「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」を彫刻家金城實氏と住民の協力のもとに制作した。しかし、像の完成から7ヶ月後、11月8日、心なき者らにより像は無残にも破壊された。住民は怒り、遺族は嘆いた。 全国の平和を願う人々はそのことを憤り、励ましと多大なカンパを寄せた。あれから7年が経過し平和の像の再建が実現した。チビチリガマの犠牲者への追悼と平和を愛するすべての人々の思いを込め、沖縄終戦50周年にあたり、再び国家の名において戦争への道を歩まさないことを決意し、ここに碑を建立する。 1995年4月2日 チビチリガマ遺族会 ![]() ![]() ![]() 修学旅行 2日目(1) 読谷村の風景(3)
藤井先生からです。
「おはようございます。 読谷漁港からの写真です。 曇り空のどんより天気…なんとかマリンスポーツの時だけは晴れ間が覗いてほしい…」 ![]() 修学旅行 2日目(1) 読谷村の風景(2)
與倉先生からの読谷村の風景です。
![]() ![]() 修学旅行 2日目(1) 読谷村 風景(1)
2日目の朝を迎えました。
今日の日程は,午前は,生徒はグループごとに分かれ,昨夜から民泊でお世話になっている地元の方々と交流を深めています。 午後からは ”マリン体験”です。 昨日お知らせしたように,このホームページ生徒の活動の紹介は,午後からになります。 校長先生から,今日の読谷村の風景の第一報が届きました。 「天気予報は雨。7時現在曇り空。このまま降らないことを願っています。」 ![]() ![]() ![]() 修学旅行 1日目(18) 民泊へ
大歓迎の中での入村式を終え,子どもたちは,それぞれお世話になる受け入れ民家の方々と一緒に民泊に向かいました。
雲は多いものの,晴れ間にもめぐまれ,体調を崩すこともなく,みんな元気に一日目の行程を終了しました。 沖縄の気候や自然,平和学習など,事前学習をはるかに超えるものを体感してくれたと感じています。 これから明日のお昼頃までは,地元の方々との交流というテーマで過ごします。 その取組が深まるように,明日の昼頃までは地元の方々にお任せするため,生徒の活動を写真で撮ることもさしひかえます。ご理解ください。 このホームページでは,明日の午前中,引率教員が撮影した読谷村の美しい写真を紹介できるかもしれませんが,お子達のようすは,午後からの紹介となります。 本日,修学旅行一日目のホームページの更新は,この時間をもちまして終了します。 修学旅行 1日目(17) 読谷村(よみたんそん) 到着
三線(さんしん)の演奏 と 踊り,大歓迎です。
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