最新更新日:2017/03/24 | |
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校区の概要
本校区は京都市下京区のほぼ中央にあって、大宮通を中心に、北は綾小路通りから、南は北小路通りまで、1300mにおよぶ細長い地域である。市バス停留所も大宮松原、大宮五条、島原口の3ヶ所ある。大宮通り、松原京極、島原京極など、商店街も多い。
淳風校区は平安遷都と同時に開発された地で、平安京の朱雀大路に近い宣風坊 (左京五条)淳風坊(左京六条)の一坊と二坊にまたがる地域に位置し、当時は鴻臚館の設置もあり、いわば都のメインストリートに面したところであった。 鎌倉時代に入ると、堀川神人と呼ばれる祇園社材木座商や綿売神人が、松原以北に住みついたことが知られる。 五条以南は、当時は本國寺(1347・貞和元年)の寺内領であったため、町並みの発展が遅れていた。 後の豊臣秀吉の都市造営計画が進むにしたがい、京都と郊外を結ぶ出入り口として、丹波口(京都七口の一つ)が設けられた。 西本願寺(1591年・天正19年)さらに東本願寺(1602年・慶長7年)などもあって一貫町等の新街も出来、西六条地区の繁栄は日に日にめざましく、加えて都市人口の増加、これに伴う食料・燃料の運搬のために、この地域は丹波地方との交通の要路となり、さらには傾城町の移転(1641年・寛永18年)により、ほぼ明治初期の町割りが形成された。 |
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