最新更新日:2024/09/18 | |
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ある一日
ある一日
朝食をとりながら新聞に目を通す。習慣とは言え,その行為がその日の生活のリズムに少しは影響している。見出しに目をやり,気になるところを丁寧に読む。首相の1万字超の施政方針演説は夜に読むことにする。しかし,目にとめた箇所があった。江戸時代の学者,貝原益軒の言葉を引用した「寛容」という二文字である。益軒の言う初心と寛大さに触れておられる。 次元は違うが,最近,「包容力」という言葉を何度か使い人に話したことがある。人や社会そのものに包容力が乏しくなってきているのではないかと感じている。「ならぬことはならぬ」という言葉は正義の通らぬことの多い現代社会においてはわかりやすい言葉だ。学校教育と旧会津藩の幼育訓と重なることも多い。時代を超えて戒めなければならない人のありようなのだろう。しかし,報道される諸記事を一読してリズムが不安定に微妙に乱れるこの感覚は何なのだろう。変動と不透明な社会において優先されるべき事実は未来肯定的な人の努力とその成果ではないのかと思う。事を曖昧にするのではなく,事の本質を見抜くためにも多角的な視点と,多様な価値観が必要なのだろう。「ならぬ」の言葉のアンチテーゼは「(良く)なる」でありたい。良くなった“過程”は見過ごされがちである。 昨日,午前中にドイツと日本の教育学者の方がお越しになり,授業視察とともに,授業者への聞き取りを丁寧にされていった。日本の指導技術の高さに驚かれながら,指導のプロセスについて限られた時間ではあったが特に聞いておられた。 昼休みに,本校の伝統文化部がお茶席でのおもてなしをした。緋毛氈の上に緊張した面持ちで座られ,掛け軸や花の紹介をしながら,靜かで豊かな時間をともに過ごせた。 文化の違いを知ることで人は豊かになる。ドイツでは学校教育において,伝統の作法について学ぶということがないらしい。生徒・教職員が心を一つにして,良い“おもてなし”が出来たことを嬉しく思う。 同日の午後,日本が世界に誇るロボットクリエーターの高橋智隆氏をお招きしての講演会を催した。「ロボットと暮らす未来」という演題で,これからの未来におけるロボットをはじめとした科学技術とヒューマニティ(人間性・人間愛と解釈した)について先見性を持って述べられていた。見事なロボットの動きとそれに注がれている氏の眼差しや所作に愛情と情熱を強く感じた。洗練されてスタイリッシュなロボットと高橋氏の容姿はイノベーターとしての日本の革新的存在を思わせる。同時に,創られてきたロボットは伝統工芸に近い“手作り”と仰っていた通り,校長室で拝見した氏の指は,刃物や工具を使われている職人の手そのものであった。それを見て,氏の言葉に一層の厚みを感じた。 宇宙ステーションにロボットを送られるらしい。「次はどんな場所でロボットを動かされるのですか?」という生徒の質問に,「秘境と言われるような大自然や,人間が創り出した建造物を舞台にチャレンジしてみたい。」と目を輝かせて答えておられた。 学ぶことの喜びを再確認できたことがとても嬉しい。すばらしい一日を,多くの人たちと過ごせたことに感謝したい。 2013.3.1 校長 村上 幸一 |
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