学校日記

【校長室から】 自信を持つということ

公開日
2026/05/09
更新日
2026/05/09

校長室から

五月の新緑の風が、新年度の高揚感から、少しずつ冷静な時間を取り戻させてくれる。


ゴールデンウイークを終えた。新入生や教職員など、新たなメンバーを迎えてから、ひと月余りが過ぎたことになる。校内の木々は、いつの間にか深い緑をまとい始めている。少し前まで枝先にやわらかな芽吹きを見せていた木々が、今はもう、光を受けて眩しいほどに葉を広げている。旧暦で言えば、季節はすでに夏である。


年度当初の学校には、ある種の「熱狂」がある。2年生、3年生は進級し、新しい教室に入る。クラス替えがあり、新しい友人ができ、新しい役割が生まれる。新入生は、真新しい制服に身を包み、高校生活という未知の領域に足を踏み入れる。教職員にとっても同じである。転出入があり、職員室の座席が変わり、担う仕事が変わる。誰もが少しだけ緊張し、少しだけ背筋を伸ばす。先日、遠足行事が行われた。雨が降り注ぐ中、各学年がそれぞれの場所へ発っていった。初めて言葉を交わす相手がいる。名前だけを知っていた人と、同じ時間を過ごす。ふとした会話をきっかけに、距離が縮まる。小さな出来事が積み重なり、その場の空気は少しずつ柔らかくなっていく。こうして、生徒も教職員も、新しい環境に少しずつ馴染んでいく。


「高揚感」から一ヶ月。ゴールデンウイークで、学校は呼吸を整えるように小さな区切りを迎えた。しかし、連休中も時間が止まるわけではない。校内外ではさまざまな活動が続いた。校内を歩くと音楽が聞こえる。先だっての卒業式、そして入学式で、心温まる演奏を届けてくれた吹奏楽部の生徒たち。練習で奏でられる音が、廊下を渡り、階段を上り、校舎の空気の中に静かに吸い込まれていく。


この時期、部活動では、引退を賭けた試合が続く。三年生にとって最後の大会となることも少なくない。いくつかの部活動の現場に足を運んだ。技術の巧拙、レベルの高低など、関係ない。その時、その瞬間に賭ける時間と想いは変わらない。そして等しく、勝敗が与えられる。琵琶湖にも足を運んだ。競技会の一日目は実施されたが、二日目は強風のため高校生の部が中止となった。湖面を渡る風は、時に予定をあっさりと変えてしまう。準備してきた選手にとっては無念であったろう。けれども、相手が自然である以上、抗うことはできない。私たちは、ともすれば、大自然を自分たちの思いどおりにできると考えてしまう。しかし、風が吹けば、湖面は荒れる。雷鳴が轟けば、競技は中断を余儀なくされる。暑さも寒さも、人間の都合に合わせてはくれない。私たちは、自然に生かされている。この大宇宙の時間からすれば、私たちが生きている時間など、ほんの瞬きほどのものにすぎない。その瞬きの中で、私たちは学び、走り、漕ぎ、奏で、語り、悩み、誰かと出逢い、また別れていく。


新緑の季節は、ふと我に返る瞬間であろう。四月の高揚感は、少しずつ落ち着いていく。新しい制服の硬さにも慣れ、新しい教室の匂いにも慣れ、新しい友人の顔も少しずつ見えてくる。学校生活は、「特別な始まり」から「いつもの日々」へと移っていく。熱狂の渦中にいるうちは、「新しさ」に背中を押され、期待が力を与えてくれる。しかし、非日常はやがて日常に変わる。人は、その静かに続いていく日常の中で成長していく。日常を、一歩一歩、丁寧に、着実に歩んでいくこと。それは簡単なようで、実はとても難しい。


「自信を持つことが大切だ」と言われる。では、自信を持つには、どうすればいいのだろうか。

何か大きなことを成し遂げた時。誰かに驚かれるような成果を手にした時。そうした瞬間に自信を持つことができると思われがちである。しかし実際には、自信はもっと小さな積み重ねから生まれるという。毎日5分だけ身の周りを整える。朝、欠かさず挨拶をする。何らかの活動に昨日より少しだけ丁寧に取り組む。ゴミを拾う。一日の終わりに、「今日はこれができた」と心の中で確かめる。それらのささやかな成功体験が、少しずつ「自分への信頼」に変わっていく。カリスマのように振る舞う必要はない。特別な才能を持つ誰かだけが自信を持てるわけでもない。むしろ自信とは、当たり前のことを、当たり前に、しかし丁寧に続けていく中で、静かに育っていくものなのだろう。


新緑の風が教えてくれる。大きな一歩でなくてよい。目の前の小さな一歩を、確かに踏み出そう。その一歩を、今日も明日も、積み重ねていく。冷静と情熱の狭間で、何かを少しずつ積み上げていくこと。その営みの先に、自分を信じる力は、静かにそして確かに育まれてゆく。誰かに承認してもらわなくとも、著名人のように特別な存在になどならなくとも、着実な歩みの中で、気が付いた時に既に自信を手にしていることだろう。


船越 康平