神無月
- 公開日
- 2011/10/04
- 更新日
- 2011/10/04
校長室から
先週土曜日は10月1日。
午前中,西京・嵯峨野・堀川三校の専門学科合同説明会を京都駅前のキャンパスプラザで開催しました。堀川からは21人の教員が行きました。京都新聞に大きく取り上げられたので,京都や滋賀にお住まいの方はご覧になったかも知れません。
「京都の公立高 受験生に猛攻」という見出しで,記事には「私立高の学費負担は,ほぼ公立並みに軽減され,『もはや公立,私立の差はなく,同じ競合の土俵に乗った』との強い危機意識がうかがえる」とか,「府立高校と市立高校の共闘。関係者は『受験層が重なる公立3校のタッグで,より多くの中学生を集めたかった』と打ち明ける」とかと書かれていました。
確かにそういうことも言えなくはありません。しかし,私たちが考えたのは,当日お話ししましたように,三校のどこかに合格する生徒は,基本的に三校のどこにでも合格する可能性を持っていますから,どこが自分にとっていちばん行きたい学校かを考えてもらうための情報を提供するということでした。
午後には本能館で第3回探究道場がありました。8月2日に紹介した「数学で探究〜ハカリシレナイ測り方」の第2回。前回と同じ内容で中学生に悩んでもらいました。
8月2日に,「道場は,PBL(Problem Based LearningあるいはProject Based Learning)の手法で行っています。問題を提示した後は,基本的に説明は行いません。自分の持っている知識や技術や経験に基づき,それらを活用して取り組みます。堀川の生徒が進行役や補佐役を務めますが,手を貸すことはしません。したがって,自分でよく考えるということとともに,他のメンバーとよく話し合うということが大切になります」と書きました。今回は,うちの生徒が前期末試験直前であったため参加していません。その代わり十数人の教職員が手伝いました。
それで何をするかというと,課題は深泥池の面積を出すこと。机の上や教室の前後にはいろいろなものが置いてあります。
まずは,深泥池の地図。それから,定規,タコ糸,ゴムひも,ゴム風船,セロテープ,方眼紙,はさみ,紙粘土,コピー用紙,マジックペン,精密なデジタルばかり,電卓など。この中には面積計算をするのに不必要なワナのようなものもありますので,師範を務める数学科の教師が「ゴム風船を膨らまして遊んでいてはいけませんよ」と声をかけますが,そんなことをする人は一人もいません。
前回同様,実に面白い3時間でした。
探究道場の合間,本能館のブリッジ(渡り廊下)から見上げると,空にはきれいなうろこ雲。神無月に入って,見えるものはすっかり秋です。
月の異名はどれも味わい深いものですが,私にとって神無月は少し特別です。
高校時代に睦月,如月……と教わったときに,古典の先生が「八百万の神々が出雲に集まるためにいなくなるから神無月。だから出雲は神有月」とおっしゃるのを聞いて,ナルホドと思いました。ヤオヨロズノ神々という非現実が,「だから出雲は神有月」という結びで,素朴な論理的処理を施されたからです。それがなければ,では神様がみんな集まる出雲はどうなのかと理屈好きの生意気な高校生たちは,さぞかしうるさかったことでしょう。
数年前に島根県へ行ったとき,実際に出雲で神有月と呼んでいるかどうかを尋ねてみました。私が話した土地の方は「そう言うこともありますかね」と,どうということもない風でした。
さて,いつの時代でも高校生は生意気です。生意気は高校生の特権ですが,それは成長過程に必要な性向だからです。生意気には素直な心もまた内包されています。したがって,高校生の生意気さは好ましくさえあります。
素直とは,謙虚や敬意や感動を備えていることです。これらは人間の心の中の神様のようなものであると思います。素直さを失うと,生意気は剛情や傲慢,時には無理解や怠惰に変成します。
おとなはそのバランスを保つ訓練を経ているはずですが,それができない人や,できない場合があります。特に,「立場」のある人や場合が要注意です。立場は人を成長させ,充実させもしますが,逆の働きをしてしまうこともしばしばあります。
他の組織はいざ知らず,学校では,生徒と接する教員は気をつけなければいけません。そうだとすれば,校長がもっとも気をつけなければなりません。かく言う私はどうかというと,なかなか危うい状況です。神無月というのは,警句かも知れません。
あれこれと考えますが,この数日は空ばかり見上げてしまいます。
神無月の四日。屋上に上がってみると北の空は青く,空気は清々しく,振り返れば南の空には絹の雲が高く。
23号(2011.10.04)……荒瀬克己