学校日記

(アーカイブ2016年7月11日) 普通って何?

公開日
2017/05/02
更新日
2017/05/02

校長室ウェブログ

 ふだん“普通”という言葉を何気なくよく使います。「普通は〜こうであるはず」「普通〜そんなことはしない」。様々な事柄について、一般的、標準的なあり様が決まっていて、だからそのあり様から結論も決まっていて、そうでないものは、“特殊”“異常”“イレギュラー”。そういう展開になってしまいます。

 5月に植松電機専務取締役、カムイスペースワーク代表取締役の植松 努さんの講演を聴きました。植松さんは重機のマグネットを製造する会社を経営しながら宇宙開発の仕事、ロケットの開発もされています。補助金もなく、儲けにつながらない、“普通”は企業がやるはずがないことをやっています。なぜ? 植松さんいわく、「どうせ無理」をこの世からなくすため。植松さんは、小学校の時「ぼくのゆめ、わたしのゆめ」という作文で、自分でつくった潜水艦で世界の海を旅したいと書いて先生に叱られたそうです。「そんなこと無理に決まっているだろう」という大人の理屈で子どもの夢を否定される、そんな経験が背景にあります。子どもの頃の写真を見ると、全員がラジオ体操している横で、一人だけ土いじりをしている植松さんの写真も残っています。“普通”の子じゃないと思われていた植松さんは、いろんな“普通”があっていいと言います。

 7月6日、2年生の人権学習の講師として、ジェンダー・セクシュアリティ・フリーサークル「れいんぼー神戸」の内藤れんさんを招き、「LGBT」をテーマにした講演をしていただきました。L=レズビアン、G=ゲイ、B=バイセクシュアル、T=トランスジェンダーという、多様な性のあり方についてのお話を聴いた後、セクシャリマイノリティと呼ばれる人たちが直面する生きづらさ、正しい理解がないことによってどのようなことが起こるか、内藤さん自身の経験も含めて話していただきました。自分の経験と思い込みに基づく“普通”。その“普通”を他者に押しつける怖さを再認識しました。「理解できない」「自分とは異なる」ことを排除したり否定するのではなく、そのこととの共存を考える、という内藤さんのメッセージが胸に残っています。

 特別支援教育について十分認識できていなかった頃は、私たちは、“手がかかる”“言うことを聴かない”“皆と同じようにできない”“普通のことができない”、そんな風に生徒を評価し困りに気付きませんでした。多数の“普通”の生徒と少数の“目立つ”生徒という構図で生徒を観察し、“目立つ”生徒の努力不足に帰結させていたことの見直しから始めました。ありのまま生徒の状態からスタートして、その生徒の困りを理解し、どの生徒も“普通”に学ぶことができる教員のアプローチが求められています。

 “普通”って何?  この問いをもち続けたいと思います。銅駝美術工芸高校に赴任して1年3カ月。多様な表現力、発想力、感性をもった生徒と生活し、対話し、その作品にふれながら、“多彩”“多様”であることがこの世の中の“普通”なのだろうと思っています。中学生の時は、“自分はみんなと違う”“自分は普通じゃない、変わっている”そんな風に思っていたけれど、銅駝美術工芸高校に入学してそんな感覚は無用であると思った、そんな生徒の話を聴きました。多様なものを認め合う、のびのびとした豊かな空間、時間  銅駝の大切な校風です。そういう人やモノと旺盛に接点をもつことで、自分自身のものの見方、考え方は深まり、広がり、柔軟になります。それは喜びであり、楽しみであり、そして自分の感性や認識を研ぎ澄ますことにもなります。

2016年7月11日
           校長  吉田 功