(アーカイブ2016年5月16日) ありふれた日常 特別な日
- 公開日
- 2017/05/02
- 更新日
- 2017/05/02
校長室ウェブログ
5月20日は体育祭。今年度から5月のこの時期に実施することとなり、6月末の文化祭と時期を分けることになりました。すでに、生徒会執行部の生徒が中心になって4月から少しずつ準備を重ねきました。教職員がサポートをするものの、これらの行事は生徒の自主的な思索と実践があってこそ成り立っています。
体育祭、文化祭だけでなく、研修旅行や入学式、卒業式も含め、高等学習指導要領において「学校行事」としてくくられ、その目標は、「学校行事を通して、望ましい人間関係を形成し、集団への所属感や連帯感を深め、公共の精神を養い、協力してより良い学校生活や社会生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てる。」と書かれています。教科や総合的な活動の時間の学習だけでなく、これらの学校行事は生徒の成長にとって大きな学びの場であり、別の言い方をすれば、まさしく協働的な学習、課題解決学習、アクティブラーニングの場でもあると言えるでしょう。活動が盛り上がり、あるいは感動する展開となって成功すれば、「特別な日」は大切な思い出としていつまでも胸に残ります。行事の後は、個人も集団もひとまわり、ふたまわり成長して新しいステージに上がります。教職員は、クラスの生徒一人一人が積極的に参加し他の生徒と協力し合って成功を収めてくれること、生徒会が各クラスをうまくリードして、準備から当日の運営、後片付けまで上手くやりきってくれることを望むばかりです。
しかし、生徒の特性や、性格、興味関心は多様で、簡単に“一枚岩”のようにはいきません。自分の思いを出し過ぎたり、自分の気持ちをどう出していいか戸惑ったり、メンバーの一言で気まずくなったり、またメンバーの動き方にイライラしたり、ついていけなかったり。これを単にトラブル、問題発生と捉えるか、成長の過程のドラマだと捉えるか。もちろん解決できないまま仲間を傷つけたり、いじめにつながるようなことはあってはならない。しかし、これまでの経験からすると、準備から当日まで和やかにスムーズに進むことのほうが稀だと思います。以前担任をしたクラスも、気持ちを合わすまでに時間がかかる、中々準備が進まない、一人突っ走り過ぎる生徒がいる、などいろいろありました。私は、毎日放課後、顔を出して声掛けはしていましたが、最終的に調整することには手を出さず、生徒に任せました。それは、4月から少しずつ“耕し”“水遣り”をしてきたクラスの“土壌”に期待したからです。“土壌”とは、生徒どうしで“醸成”“発酵”されてきた集団としての「社会力」*です。それでもうまくいかないことがあれば、私がきちんと“後始末を引き受ける”覚悟をしました。結果は、見事生徒の力で解決し、当日、生徒も私も納得、感動する出来上がり。思い出に残る特別な日となりました。
特別な日が、特別な重みと感動をもって成功し、いつまでも思い出に残るためには、結局、特別ではない“ありふれた”日常の丁寧な営みが不可欠だと思います。“ありふれた”は、何もしない、平凡ということではなく、“一過性”“瞬発的”な盛り上がりに頼らない地道で継続的なアプローチという意味です。やはり、教育は日常の営みが左右するのだと思います。
(「社会力」という言葉は門脇厚司著『子どもの社会力』より)
2016年5月16日
校長 吉田 功