全校生徒の皆さんへ(5/15「大淀スピリットの由来」2)
- 公開日
- 2020/05/15
- 更新日
- 2020/05/15
校長室から
大淀中学校の全校生徒の皆さんへ
今日も元気に過ごせているでしょうか?
体調を崩してないですか?
家で困ったことはないですか?
何かあればいつでも学校まで連絡してきて下さいね。
今日は昨日に引き続き、大淀スピリットの由来についてお話ししたいと思います。
「明朗公正で、卑屈でなく、やり出したら最後までやり抜く」
昨日は「明朗」そして「公正」の意味について書きました。
今日は「卑屈でなく」という部分について私の考えを述べたいと思います。
皆さんの中には「卑屈」という言葉が学校のスローガンに入っていることに違和感を感じる人もいるかもしれません。
例えば
「明朗公正で、元気よく、やり出したら最後までやり抜く」や
「明朗公正で、素直な心を持ち、やり出したら最後までやり抜く」
こうした言葉の方がきれいですね。
しかしながら35年前にこの言葉を初めて聞いたときに、私の中で心に何かが引っかかったのです。そうでなければ覚えていなかったと思います。
それが「卑屈でなく」という文言です。
人間は誰しも「弱さ」を抱えて生きています。
私の中にもついつい弱気になって「どうせ」とか
「こんなことしても結果は変わらないだろう」とかマイナスにとらえてしまう自分がいます。
時には誰かのせいにしてしまったり・・・
充実した日々を過ごせているときには、こうした気持ちを吹き飛ばせるのですが、苦しいことが重なったときなどに、どうしても「どうせ」と思ってしまう自分がいるのです。
また、謙虚な気持ちというのはとても大切なことなのですが、謙虚すぎてしまうとかえって卑屈になってしまうこともあるのではないかとも思います。
人生にはいろいろな苦しみがあると思います。
ようやく乗り越えたらと思ったら、また次の試練がさらに大きな波となってやってくることだってあります。
そんな時こそ、「卑屈でなく」という気持ちを持ち続けたいのです。
いくら「明朗」であっても、そして「公正」であっても、
絶対に「卑屈であってはならない」のです。
ですから私はすごく大切なキーワードになっていると思っています。
皆さんの心に少しでも刻んでもらえたら嬉しく思います。
次回は「やり出したら最後までやり抜く」について書いてみたいと思います。
週末、元気に過ごして下さいね。