1.向島地域のはじまり
- 公開日
- 2010/04/06
- 更新日
- 2010/04/06
学校沿革史
本校が校区とする向島地域は京都市の南、伏見区の最南に位置しています。
この地域はもともと京都の南に広がる巨椋池の北端に位置し、平安時代より淀川を遡る船が京の都に行き交う旅人や荷を送る交通の要所でもありました。また、豊臣秀吉が伏見桃山城を築城した折りに城の守りもかねて造った太閤堤(ほぼ旧24号線のあたり)が伏見の町に入る入口にもなり、徳川時代にわたってこの向島に出城が築かれています。その名残が本丸町・二の丸町などの地名です。
このような地域ですから、古くは水運、漁業などがこの地域の産業の中心でした。しかし明治以後、巨椋池の干拓事業により、広大な巨椋池がしっかりと区画整理された確かな用水網を備えた優良な農地、広大な水田地帯となり産業の中心は農業へと移ります。
この向島地域が次に変化するのは、戦後の京都市の住宅建設都市計画で京の南のベッドタウンとして向島ニュータウンを建設することによってです。校歌の一節にあるように碧空をつく白亜の街が田園地帯に造られてゆきます。そして本校の開校となるのです。