義母が最期に教えてくれたこと
- 公開日
- 2009/12/07
- 更新日
- 2009/12/07
学校経営の基本方針
義母が先日、宮崎市で他界した。個人的なことではあるが、命の有り様について書いてみたいと思う。昭和4年生まれの80才になる義母の人生は十代に戦中を迎え、体の丈夫でなかった義父を支え、様々な苦労の中にも笑顔を忘れず、家族を支えてきた人であった。葬儀のときに孫たちにこんなにも愛されていたのかと思った。それだけのボールを投げておられたのだ。
私の下の息子も小さいときはよく笑う感情豊かな子であったが、バスケットボールを習いだした小学校4年生頃から中学に入る頃にはほとんど感情を出さなくなった。チームキャプテンとしての責任からか僅少さで優勝して、まわりが飛び跳ねて喜んでいても静かである。自分がフリースローをはずして負けても悔しがるそぶりもない。「ホタルの墓」を観て、家族が全員涙を流しながら観ていても、一人 、冷静に観ている。この子に感情は無くなったのではと心配していた。ところが今回の義母の死に直面し、朝一番の飛行機に乗り、宮崎へ駆けつけ、まだ布団に寝ているかのような義母を見て、声を立てて泣き出した。その激しさに驚きもし、また嬉しくも思った。3年ぶりに再会する祖母に「帰ろうと思えば、帰れたものをと・・」と言いながら自分を責めるように涙が止まらないでいた。
近くにいた者がそれぞれの思いで振り返り、涙を流していた。葬儀というものは泣いたり、笑ったりを繰り返す。本当にやさしく、温かい義母であった。それだけに受け入れることができずに悲しみが押し寄せてくる。命あるものには必ず最期の時が来る。分かっていることなのに、永遠に続くかのように思いたいのである。しかしそれを受け入れることで生きている今をどのように生きなければならないかを意識させられる。よりよい人生のために「今を懸命に生きる」ということが求められる。
凍結していたかのように思えていた息子の感情を溶かしてくれた義母の最期に手を合わせ感謝の言葉を述べたい。お義母さん、ありがとうございました。
醍醐中学校PTAとしてお供えを頂きました。ありがとうございました。