学校日記

視野を広く

公開日
2009/09/01
更新日
2009/09/01

学校経営の基本方針

今日から9月である。昔であれば今日から新学期が(宇治市では今でも)始まる。京都市ではもう1週間が過ぎた。子ども達の様子を見に、各階を見て回った。心機一転という顔の生徒、夏休み疲れという表情、様々ではあるが、静かな、中には楽しいムードで授業が流れていた。難しいと言われる中学時代は「イカダで太平洋を渡るようなものだ」と昔から私は言ってきた。「1年生は振り返れば港が見える。3年生は遠くを望めば卒業という港が現実味を帯びて見えてくる。2年生が振り返っても、遠くを眺めても目標が見えにくい時を生きている。長いトンネルのちょうど中央当たりで、光が見えない。でも歩き続けると必ず、小さな光が見えてくる。だから仮の光を灯し、信じて一歩一歩、歩き続けることが大切である。」と。階段の途中の窓のところにトンボが外に出たいともがいている。私はこんな光景によく出会う。それが蝶であったり、蜂であったり、蝉であったり、ときにスズメであったりする。短い人生、逃がしてやろうとあの手この手尽くすが、その場に執着してか、恐怖からかなかなか出られないでいるものがある。そんなときに昔、お坊さんで大谷高校の校長先生であった上宮厚慧先生の本を思い出す。何かの縁でその先生と出会い、頂いた本の中に書いてあったことをその先生の忍ぶ会に投稿したことがある。そのほんの一部を紹介したいと思う。

蛸が壺の底にしがみつくことしか知らない習性のために最も安全と思った場所が、実は最も危険な場所であることすら分からずに、生け捕られてしまう蛸の愚かさを哀れに思えることを例えに人間もまた心の狭い壺の中で互いに是非正邪を争って傷つけあって、自己中心の壺の底にへばりついていることに気づきなさいと「とらわれ」の中で諭しておられる。

広い視野を持ちたいものである。