修学旅行を終えて・・・その3
- 公開日
- 2010/04/21
- 更新日
- 2010/04/21
校長室から
沖縄は日本のリゾート地として、マリンスポーツやダイビングのメッカとなっています。これから観光客がたくさん訪れ、沖縄を満喫する最も良い季節を迎えます。しかし、今から65年前に何があったのか、絶対にそれを忘れてはいけません。
《伊江島とは?》
伊江島は沖縄本島の北西約9kmに位置し、面積は22.77平方km、人口は4845名の一島一村の島です。島の中央には標高172.2mの城山(ぐすくやま)がそびえ、山頂からは島全体が一望できます。また、サトウキビ・タバコ・花木の栽培が盛んで、ブランド牛の”伊江牛”が飼育されています。
そんな穏やかでのんびりした伊江島は、65年前、戦争の真っただ中に位置していました。1945年4月の米軍の攻撃で、島は地肌がすべてむき出しになり、形を変えてしまうほどだったといいます。米軍の島上陸から6日間の戦闘で、4700人余の日本兵が戦死しましたが、うち1500人は日本軍の兵器を持たされた民間人だったと推定されています。当時の島の人口約7000人のうち、約3000人が本島へ避難していたので、島に残っていた4000人の実に4割近くが犠牲になったことになります。逃げ場を失った住民は洞くつ(ガマ)に隠れましたが、島東部のアハシャガマでは20世帯以上、約150人が避難していたところへ米軍に追われた日本軍が合流したため、軍の持つ急造爆雷で家族ぐるみの自爆を余儀なくされ、一瞬にして100人以上の命が失われたともいいます。米軍に捕らえられた住民が日本兵に連行されて斬殺された例もあり、伊江島の戦闘は「沖縄戦の縮図」と言われています。
そんな悲惨な運命をたどってきた伊江島の東側は、現在も在日米軍の「伊江島補助飛行場」があり、島の面積の約35%を占めています。私も伊江島灯台まで行こうと車を走らせていましたが、なんとその行き先をフェンスが阻んでいました。灯台はフェンスの向こう側にあり、たどり着くことができませんでした。訪れる我々にとっては、過去のものとなっている「戦争」が、島の住民にとっては”今”も続いているののだと感じました。
生徒たちはグループごとに、戦死された方が慰霊されている「芳魂の塔」の前で平和セレモニーをしていました。しかし、黙祷している生徒たちは、そのとき何を考え、何を思っていたのか・・・私たち教師も知らない戦争を、はたして生徒たちにどう伝えるべきか。後ろから生徒たちを眺めていてそんな事を感じました。民泊でお世話になっている”おかあ”は、「自分たちも戦争を経験していない。経験したおじい・おばあも高齢になっているし・・・」そんなことを話しておられたのが印象的でした。