2月13日 日本とトルコの1世紀をこえた国際協力 〜エルトゥールル号遭難事件〜
- 公開日
- 2023/02/13
- 更新日
- 2023/02/13
学校の様子
トルコ・シリア地震の死者が3万3千人を超え、今も多くの人たちが倒壊した建物の下に取り残されているとみられ、懸命の救助活動が続いています。そんな中で、日本からも新たな支援チームを派遣することになりました。チームには東日本大震災で被災した経験を持つ人もいて、「12年前の被災地と同じような被害が報じられているため、被災者に寄り添った支援を行いたい」「今も氷点下の過酷な環境の中、心細い思いで支援を待つ人も多いと思う。少しでもトルコの皆さんの力になれるように活動したい」と話しておられました。
ところでみなさん、「エルトゥールル号遭難事件」を知っていますか。
3年社会科歴史の教科書にも載っており、もしかしたら道徳の授業でも聞いたことがあるかも知れません。
日本とトルコの深いつながりについて、ちょっと聞いてください。
●明治23年、和歌山県紀伊半島で
いまから約130年前、1890年9月16日、オスマン帝国(トルコ)の軍艦「エルトゥールル号」が紀伊半島の南、和歌山県串本町沖で遭難しました。このエルトゥールル号には、トルコが初めて日本に送った使節団が乗っており、6月に横浜港に到着、3ヶ月間日本に滞在し、明治天皇との会見や歓迎式典に参加した後、帰国途中で遭難したのです。
不幸にして500名を超す人たちが命を落としましたが、地元民の献身的な救護活動によって69名が帰国を果たすことができました。
◆村人を動かした真心
使節団を乗せたエルトゥールル号は9月16日夜、台風にあおられ、遭難してしまいます。乗っていたほぼ全員が海に投げ出されますが、数人が何とか岸に泳ぎ着き、岩にしがみつきます。そして、怪我した体を引きずって必死に断崖をよじ登りましたが、力尽きて倒れてしまいます。
そこに、たまたま台風の様子を見回っていた樫野地区(現在の和歌山県串本町)の若者が来合わせました。倒れているのは見たこともない異国人。途切れ途切れに聞こえる言葉も全く分かりません。だが、災難に遭って必死に助けを求めていることは確かです。
「救わなければ」
この若者からの連絡を受け、多くの島民が駆けつけました。
「生きている人が他にいるかもしれない。」
あたりは漆黒の闇。断崖の下からは轟音が噴き上げる中、村長の陣頭指揮で救助が始まります。冷えきった体を乾いた布団や着物を持ち込んで温める。貧しい小村にもかかわらず、非常食として蓄えていたサツマイモを持ち出して食事を提供する。数少ない医師も駆けつけて治療に当たる。
このようにして救い出されたトルコ人は、69名に上りました。エルトゥールル号遭難事件は死者500名を超える大惨事でしたが、その中で69名もの命が救われたのは、こうした奮闘があったからです。救い出された69名のトルコ人は、翌年1月、全員無事にイスタンブールに帰り着きました。移りゆく時代の中で、エルトゥールル号遭難事件の記憶は薄れていきました。しかしトルコの地では、静かに受け継がれていたのです。