『東山を西に見て』〜Make legend〜
- 公開日
- 2013/07/11
- 更新日
- 2013/07/11
校長室から
「最後の夏」
この週末から、いよいよ3年生にとっての最後の夏が始まります。文化部の場合はコンクールも同じ意味をもちます。負けたら、即“引退”となる分、気持ちの入れようも強いです。また本大会は、全国へ続いているという点も力の入る理由です。一昨年も昨年も女子バレー部が全国大会へ出場し2日目まで勝ち残りました。全国の中学生で、最も長く現役生活を続けた選手たちでした。各地へ応援に行くのも夏休みの楽しみです。今年も、そんな夏になってほしいと思います。
さて、我が息子も最後の夏を迎えます。野球がしたいという理由で今の高校を選びました。私としては、公立高校へ進学させたかったのですが、本人の意思は固く最後はそれを尊重しました。「そんなところへ行ったら、レギュラーになれへんかも分からんぞ。公立へ行ってレギュラーとして活躍する方がええんと違うか。公立でも、甲子園を目指して頑張ってる学校はいくつもあるさかい。」そうも言いましたが、本人は気持ちを変えませんでした。意中の高校へ合格するために勉強も頑張った(と思います。)
1年生の秋から背番号をもらってベンチに入りました。近畿大会の大舞台で、バッターボックスにも立たせてもらいました。2年生になって、力のある後輩たちが入学してき、練習にも一層身が入ったようです。どのポジションもレギュラー争いがし烈になりました。秋口から、後輩の方が試合に出されることもありました。息子には焦りがあったのだと思います。肩を痛めたのですが休みませんでした。やがて、全く投げられなくなりました。肩の強さが自慢のキャッチャーです。満足に練習ができません。試合に先発できません。代打では十分に試合勘が養えません。本人はもちろんですが、家族にとっても辛い日々が続きました。しかし、『やめたい』という言葉は聞きませんでした。不屈の精神力があったのか、入学時に私と交わした約束のためか、理由を聞くつもりはありませんが、この点は立派だと思います。
3年生になり、何とか普通に練習ができるようにはなりましたが、2番手のキャッチャーとなりました。受け入れ難かったでしょうが、3年間背中に12番を背負うことになりました。
昨年秋から息子の部の保護者会長を引き受けています。レギュラーでない子の親が会長でよいのかと思ったこともありましたが、息子の頑張る姿を見て、親として出来るだけの応援をしてやろうと決めました。「数学の得意な人が数学の先生になり、体育の得意な人が体育の教師になります。だから、数学や体育の苦手な子どもの気持ちの理解できない教師は意外に多いです。このことには、特に気をつけなければなりません。」自分や後輩を戒める言葉としてよく使ってきました。3年生の中には、レギュラーでない選手やベンチにも入れない選手がいます。そしてその保護者もいます。ある時、その人たちの気持ちが分かる者が会長をしていることには意味があるのかもしれないと思いました。
花山中学校の校長として、そして息子の高校の保護者会長として、私に今出来るのは必至になって応援することだけです。本校の3年生の、そして息子の「最後の夏の戦い」が少しでも長く続くことを願い、それをしっかりと見届けたいと思います。