学校日記

聖窓

公開日
2010/02/12
更新日
2010/02/12

校長室から

 昨日,一昨日と私学の入試であった。今日,明日,明後日と発表が続く。昨日も進路主事や3年の先生方は学校で待機をされていた。先生方も気が気でない様子であった。3年生は,保護者の方はもちろん,親戚の方や近所の人,教職員等々,いろいろな方々の支えで,今があることを忘れないで欲しい。多くの吉報を待つ人々がいることを忘れずにいて欲しい。
 さて,学校の前を渡り,丸太町通を西に進むと,ローソンがあるが,その手前に「聖窓」の家がある。生徒たちの通学路である。昔の外灯であり,西鶴の話にも出てくる。この聖窓のある家は,香川景樹の父,香川景柄(かげもと)が建てた梅月堂という岡崎山荘なのである。丸太町通の岡崎道の西北に小沢蘆庵(ろあん)宅跡という石碑があるが,蘆庵は,景柄の梅月荘が建つ以前に住んでいて,この荘ができたことを歌にしている。その詞書には,「景柄が此の岡ざきに山居すと聞きていいやる」とあり,「君もこの山住みすとかいざともにのがれこし世のうさをかたらん」(『六帖詠藻』)と送っている。寛政12年(1800年)の話である。岡崎の地が山住みすといわれるような,世の中から離れた地であったことがわかる。真っ暗な中で,外灯として役割を担った「聖窓」は,さぞ明るい光を放っただろうなと思われる。そうした夜に,蘆庵や景柄がうさを語っていた場所が,岡中の向かい側であると思うだけで,ワクワクしてくる。
 その北の今戒光明寺,地域の人は黒谷さんと呼ぶが,一の谷の合戦で平敦盛の首をとった熊谷直実が法然上人を尋ね,出家するに際して,鎧を掛けた松が残っている。平家物語の世界である。これも岡中の向かいの話である。
 こうして見回すと,歴史の真っただ中にいるのだなと思う。ある老舗の和菓子屋さんのご主人と話していた時,先の戦いでという話になったが,どうも話がかみ合わない,わたしは第二次世界大戦を思い出していたが,その方は,応仁の乱であった。