道徳
- 公開日
- 2010/01/13
- 更新日
- 2010/01/13
校長室から
今週の15日に道徳の左京支部研修でわたしが授業をする。この連休中に指導案を書いていたが,これほどつらく感じたことはなかった。何がつらいかと言うと,子どもが見えてこないからである。
どのクラスで授業するかは,教務主任が新年に入って決めくれた。どのクラスでも同じだと思っていたが,結局は同じなのだが,顔と名前も一部しか一致しないし,クラスの現状がどのようになっているのか細かいことまでわからない。今は,まあ,しょうがないなと諦めている。
指導案を書くとき,一番大事なのは生徒の実態である。実態さえつかめていたら,どのような授業展開がいいのか,誰を指名することで,自分の授業の成否がわかるのかといったことまで予測がつく。担任の先生から,様子は伺ったが,やはりわからないが一言だ。結局結論は一つ,道徳は担任がすることが一番だということが,この研究授業を引き受けて強く確信したことだ。このことがわかったことだけでも,引き受けた意味があった。どこの学校か忘れたが,同じ人が同じ道徳をクラスをずらして,持ち回りで指導するということを研究発表で聞いた。メリット,デメリットを考えたが,今ははっきりとデメリットの方を大きく思う。わたしは,何のために道徳をするかといえば,半歩でもいいから,クラス全体が良い方向に向かうために行うというのが考えだ。そのことに関しては,誰も異論はないはずだ。でも,担任以上にクラスを愛し,クラスを良くしようと思う者はいるだろうか。そう考えると,便宜的に道徳はするものではないと思う。また,人に道徳を任せようとする担任なら,担任失格である。それほど貴重な時間なのである。この道徳をすることで,学級がよくなり,皆の笑顔が増し,その結果として学力やその他諸々のものが動くはずである。その根本なのである。学級の実情に照らし合わせて,学級づくりをすることが担任に課せられた使命なのである。使命などと言ってしまったが,もっと担任は道徳を楽しんで欲しい。それが,楽しい学級,活気ある学級,……ある学級,……,と続いていく。そんな道徳を目指すのが岡崎中学校である。そのことをよく理解して担任はやってくれている。本当にありがたい限りである。