学校日記

学校の創立から

公開日
2011/09/29
更新日
2011/09/21

校長室から

【陶化中学校の創立】
 本校は,昭和22年陶化小学校内に「陶化中学校」として併設され,翌23年深草に移転,「藤森第二中学校」となりました。昭和24年現在地に移転し独立して,「陶化中学校」と再称しました。昭和37年には,生徒数1900人を超える学校となりましが,今年の生徒数は268名という規模の中学校です。次に,創立当時のようすについて『創立50周年記念誌 陶化みすぎ』の文章から一部引用します。

 昭和22年(1947),戦後の学制改革で「6・3制」の義務教育制度が実施され,すなわち小学校6年に中学校の3年が加えられ「新制中学」が誕生しました。同年5月陶化小学校の中に独自の校舎さえないまま,いくつかの教室を借用する形で開校しました。翌23年には独自の校地・校舎がないことで,通学区の変更がなされ,旧陸軍の兵舎跡を校舎として使用することになり,校名も藤森第二中学校となりました。
 東九条の中学生たちの,不便な窮状に学校や育友会(今のPTA)の方々は,ぜひ地元に中学校の建設を,と教育委員会に再三陳情を重ねました。戦後間もない頃であり,小学校においてさえ,校舎や施設・備品の老朽化や不足が目に余る上,中学校の新設は京都市の教育財政を一層圧迫しました。そこで校地の調達は地元がするという条件で,何とか許可がおりました。それからが大変でした。・・数人の地権者の承諾を得るのに連日心血をそそぎ,懇請のお百度をふみました。・・ついに「東九条教育の発展のためなら」と地主さんたちの承諾を得ることができました。・・・

【校名の由来】
 古く平安京の都制を調べると,本校の所在地一帯は当時の左京八条と九条にあたり陶化坊と称せられていました。藤原摂家の一つ九条家の邸宅がこの地にあり,応仁の乱後この付近一帯は荒野と化し,居を構える人もありませんでしたが,江戸時代に再び九条家の邸宅が建てられ,『陶化御殿』と名付けられました。この邸宅には,庭園に若杉,梅樹が数多く植えられていましたので,当時の人々は「御杉御殿」とも称したと伝えられています。明治維新の際,九条家は東京に移され,その邸宅は庶民の教育のため,寺子屋として整備され,これが陶化小学校の前身となりました。本校の校名もその由緒ある地名にちなんで「陶化」と名付けられました。

【校章・校歌について】
 校章は,「御杉御殿」と呼ばれたこの地の由来にちなんで,昭和22年美術科大野秀隆教諭により,杉の木を図案化して作成されたものであり,若々しい杉の木がすくすくと伸びゆくことも意図されています。また校歌については,昭和31年生徒による校歌の募集を生徒評議会が発案し,応募の中から三年生の村中充子さんの歌詞が採用され,音楽科加藤きく先生の作曲による歌が完成しました。当初は生徒会歌として歌われましたが,昭和40年代に正式に校歌とし制定されました。

【学校教育目標】
 陶化中学校の教育目標は,当初「人を大切にする人をつくる」でした。その後「人・もの・時を大切に」そして,今は「人を大切にし,心豊かに生きる生徒」で,具体的な生徒の姿として「確かな学力・豊かな心・共に生きる姿勢を身につけた生徒」としています。時代が変わっても,「人」を大切にする精神は引き継がれています。