学校日記

学校だより「轍」7月号より

公開日
2020/07/03
更新日
2020/07/03

校長室より

 全校生徒が揃っての登校が始まり,半月が経ちました。ようやく子ども達も「学校がある日々」としての日常を過ごすことが出来るようになりつつあります。朝,階段下でバスから降りてくる生徒の皆さんは,ランドセルに背負われた小さい子から大人のような子まで千差万別で,大きな声で挨拶してくれる人もいれば,恥ずかしそうに通り過ぎる人もいます。

 6月〜7月にかけて前期の人権学習を行います。金子みすゞさんの詩「みんなちがってみんないい」があたりまえに実践できれば,いじめも嫌がらせも無くなるのですが,このあたりまえが,大人であってもなかなか実践できないからこそ,年に数回立ち止まって人権について学習する機会がとても大切なのだと思います。

 今や随分と認知度も広がった「発達障害」。あえて言えば,この言葉自体にも課題はあるように感じます。私が昔,担任した生徒の事です。彼は授業中とても積極的に発言し,的を射ており,実験や観察も進んで参加するとても優秀な子でした。だけどテストになると途端に残念な結果しか残せませんでした。もちろん成績は煙突が並んでいました。「どうして君は,あんなに授業中物知りなのに,テストになると解けないんだ?この問題なら授業中一番に答えていたではないか」と聞くと,「何だそういう意味だったのかそれなら分かっていたよ」と言うのです。そう,その子は「読む」ということにつまずきがあるLD(学習障害)だったのです。当時の私はそのことに気づかず,彼の本当の力を評価してやる事が出来ずに,本当に申し訳なく思いました。LDとは,全体的には標準的なのに「読む」「書く」「聞く」「話す」「計算する」「推論する」のいずれかに課題がある人の事です。適切な支援があれば,ごく普通に学習に参加することが出来ます。

 発達障害にはその他にもASD(自閉症スペクトラム)やADHD(注意欠陥多動症)などの種類がありますが,いくつかの状態が重なって現れることも多いようです。そういう特性は,私たち自身の中にも多かれ少なかれ存在しています。最近よく耳にする,性的少数者を表すLGBTという言葉もそうですが,それらの方々の特徴を言葉や記号にしてしまうと,何か自分たちとは違う存在と認識し,いつの間にか川の安全なこちらから対岸を見つめている自分に気づく事がありはしないでしょうか?私はそれこそが人権を考える原点なのでは無いかと考えています。

 戻りますがLDは医学用語としてはLearning Disordersと表現され,教育界ではLearning Disabilitiesと表現されますが,当事者の中からLearning Differencesと表現しようという声もあります。LDは障害なのではなく「学び方の違い」なのだと。