自分で考える
- 公開日
- 2015/02/02
- 更新日
- 2015/02/02
校長室から
一年中で一番寒さが厳しい時期です。本校におきましてもインフルエンザにかかって休む児童が見られます。なかなか欠席0になりません。地域・保護者の皆様はいかがお過ごしですか。まだまだインフルエンザの流行の兆しもあります。うがい・手洗いなどの予防など,くれぐれもご自愛ください。
さて,ある新聞記事の中にある老人の手記がありました。それは,今の子ども達,そして,本校の課題の一端を示しているようでここに紹介したいと思います。
その言わんとしていることは,傍観者になるな,自分で考えよ,凡庸な悪に陥るな,という戒めでした。凡庸とは,平凡でとりえの無いことを意味し,惰性に流されるなということにもつながるでしょう。
この老人は今の世界の現状からこのような言葉を発したのでしょうが,このことは身近な我々も真摯(しんし)に受けないといけません。
この記事は私と本校への警鐘だと思っています。
傍観者になるな・・・知らんふりすることはないでしょうか。周りの友だちの様子や出来事に関心を持っているでしょうか。お互いのよさを認めてほめたたえたり,いけないことに注意したりできているでしょうか。
自分で考える・・・自分で考えて判断しているでしょうか。誰かに言われるから,誰かがしているから,こんな理由で自分は行動していませんか。周りを悲しませない,誰かの役に立つ,喜ばせる,ことを一番に考えたいです。
凡庸に陥るな・・・平凡な毎日を送ることの幸せを感じることは大切です。しかし,その感謝は次の向上につながらないといけません。今よりもっとよりよくしようという努力を怠ってはいけないのです。毎日毎日新しい挑戦をしていきたいです。
この記事から,二人の先生が,特に気をつけなければならないのは,子どもが気になる行動(よくない行動)をした時だと思います。
その指導(しつけ)として,決して頭ごなしに叱ってはいけないのです。なぜ,その行動をしたのかを尋ね,その行動が周りに対してどうであったか,を考えさせないといけません。
時間はかかります。しかし,二人の先生が今まで自分のされたことの押し付けをすると,どうなるのでしよう。
子どもが自分でこのことはよいことか,してはいけないことかを考え,行動できるようならないのです。自分で気付くのではなく,叱られるから,いけないと考えてしまいます。
してはいけません,どうして守れないの,何回同じことを言わせるの,また・・・などの,言葉かけだけで子どもが変わるのなら,学校は必要ないかも知れません。二人の先生の子をおもう熱意と粘り強い根気が,子どもを育てます。
力ごなしに怒っても成果は上がりません。子どもは怒られたという怖さだけしか伝わりません。そうすると,次はばれないようにしよう,謝ったら済むだろう,自分だけではない,などの問題の解決と反対の答えを出します。
子どもは大人を見て学びます。後ろ姿を手本にさせたいものです。二人の先生は,子どもの姿をみて,自分をふり返りたいです。