寛容さについて
- 公開日
- 2014/05/31
- 更新日
- 2014/05/31
校長室から
初夏から梅雨の季節に移り替わります。梅雨の時期は,湿気が多くじめじめと汗ばみ,気分的にもうっとうしさを感じることがあります。なかなかからっとした晴天を迎えることも少なく,「また雨か」という言葉が出ます。
しかし,米作りが盛んな我が国においては,梅雨の時期に稲が成長し,秋の実りのためにはなくてはならない季節です。私にとって好まない季節も,大きな効果をもたらせているのです。
このように,自分では困った,嫌だ,と思っていることでも,反対に,誰かの役に立っている,必要である,ということはいろいろあるのです。このことこそ,物事を一方的に見るのではなく,多方面から見ることの大事さを教えています。自分だけの(自分本位の)見方から,ちょっと角度を変えて別の見方をしてみることはとても大切です。「相手の立場に立ってみる」ことに通じるのかも知れません。
そのように考えていくと,近頃の世相(私も含めて)は,自己中心で,自分本位で物事を考えてしまいがちです。そして,究極,自分は悪くない,悪いのは(まちがっている)のは相手だ,ということになっています。
学校は,子ども達に学力と社会性を身に付けて社会に送り出す責任があります。社会性とは,周りとどのように関わっていけばよいかを考え,よりよい人間関係を築くことです。だから,子どもであっても,周りとの協調や,おりあいをつけるなどの能力が必要となります。
子ども達の生活を見てみますと,毎日いろいろな出来事が起こります。いざこざも起こります。大きな問題に発展する可能性もひめています。しかし,最初はほんの些細なことから始まっていることが多いです。ちょっとしたきっかけが発端です。
・友だちがバランスをくずして字を書いている子の腕にふれた。すると,その子の字がいがんだ。バランスをくずした子が,「ごめん」とあやまったけれど,された子はわざとした,と言って許さなかった。
・給食当番が誤って牛乳パックをいくつか落とした。きれいに拭いてもとに戻したが,一度落ちた牛乳はいらない,とつっぱねた。ある子は,「いいよ」といって受け入れた。
・プリントを配布して,印刷の汚れがあるのが自分にあたった。「汚れている」と担任にいったけれど,運悪く予備がなかった。その子は,「このプリントはいや」と言い張った。となりの子が,「私が替える」といって交換し,その場が収まった。
・計算問題の丸つけをしていて,正しい答えが「0」だったが,友だちは「6」と見えたので,間違いだと言った。それに腹を立てて,プリントを破ってしまった。
ここに,いくつかの事例を紹介しました。これらの事例をどう思われますか。事象だけでその背景がわからないので何とも言えない,と言われる方もあるかも知れません。
ただ,「許すことはできないの?」と聞きたくなる気持ちも起こります。私は,このことをお子
達との話題にされることを望みます。そして,わが子はどんな反応をするかを見ていただきたいのです。「うち子ならきっとこうする」という予想を立てられるのもよいかも知れません。そして,「寛容」とか「許容」ということの糸口にしてください。
せちがらい世の中と言われていますが,学校だけは,もっと言えば本校だけは,温かく相手の非を許せるところであってほしいと望みます。
こういう私自身もその努力と自制の必要を感じております。