学校日記

『山科疏水公園(元ひょうたんダム)』 【第32回】音羽の自然と歴史

公開日
2009/03/20
更新日
2009/03/18

音羽の自然と歴史

 子ども達がよく遊ぶ「山科疏水公園」ですが、この公園は昭和49(1974)年7月20日の「湖西線」開通にともなってつくられたものです。湖西線2線路が東海道線の北側につくられたため、琵琶湖第一疏水との間隔が狭くなり危険をさけるために、四ノ宮の重箱ダムからトンネルをつくって安朱の方に水を通しました。そして、今まで疏水が流れていた場所が公園として整備されたものです。
 この場所が広いのは、往来する船がとまる港となっていてためで、「諸羽舟溜り」、別名「瓢箪(ひょうたん)ダム」と呼ばれていました。この「諸羽舟溜り」は主に荷物の揚げ降ろしや船頭の休憩ゾーンであったと言われています。戦後、小学校に「プール」ができるまでの間、山科の小学生の夏休みの水泳場として活躍しました。当時の小学校は、山階校・鏡山校・音羽校・勧修校の4校でしたが、夏休みに入ると山科中から子ども達がこのダムで泳ぎにやってきました。監視役は育友会(PTA)の保護者で、夏休み前には共同で疏水の水を止めて「川掃除」も行われました。