学校日記

『やましな絵』 第30回 音羽の自然と歴史

公開日
2009/03/18
更新日
2009/03/18

音羽の自然と歴史

「大津絵」は、全国的に有名で、追分(髭茶屋(ひげちゃや)追分)を発祥の地とし、江戸時代初期の寛永年間(1624〜1644)頃から描かれていて、最初、仏画として描かれていましたが、やがて世俗画となり、18世紀頃より教訓的・風刺的な道歌を伴った絵となってきたといわれます。
「山科絵」は、江戸時代の元禄時代(1688〜1703)頃に生まれたとされ、源流は大津絵と同じで、大津絵が売られていた追分の山科側で販売されたため「山科絵」と呼ばれました。東海道沿いに売られていたという記録が残っていますので、旧東海道沿い(旧三条通)の四ノ宮地域ではないかと推測されています。半紙に神仏などの絵を描いて東海道を行き交う旅人に売られていました。
 古い文献などで「山科絵」の存在を知った山本義雄さん(画家・椥辻在住)が、「地元の歴史を見直したい」と考え、山科絵と同様に仏画から生まれたとされる大津絵の技法を学び、独自の要素を入れて1999年からその復興に取り組まれています。同じルーツを持つ「大津絵」を参考に、京都の風景や山科ゆかりの人物などを描いており、「山科の名物にできれば」とはりきっておられます。
 山本義雄さんの山科絵は、墨と顔料で描く大津絵を参考に、金閣寺や醍醐寺などの京都の社寺、小野小町など山科ゆかりの人物などを、現代の絵具も使って色彩 豊かに描いています。 山本さんは「街道沿いで売られた絵は、貧しい人たちの信仰の対象として生まれ、そこに庶民の遊び心が入ってきた経緯がある。復活させた山科絵も、人の心をなぐさめるような絵にして、昔のように山科の名物にしていきたい」と話しておられます。(写真は四ノ宮地蔵前の風景)