学校日記

30日(金)板倉氏を偲ぶ法要

公開日
2023/06/30
更新日
2023/06/30

学校の様子

30日9時から、地域にある神宮寺で、板倉氏を偲んで法要が行われていました。

この市原の地域は茶畑が多かったのですが、市原に用水路が開発され稲作ができるようになり、市原の里が今日のように繁栄してきたといわれています。その用水路の開発にあたっては、板倉内膳正重矩(1616〜1673)が,京都所司代在職中に市原の用水路の開発に尽力されました。
板倉用水路は、静原道採石場近くの静原川を水源とし、東の山麓に沿って南下し、小町寺の丘のふもとから北上していました。本流は厳島神社の東側を市原橋の近くで鞍馬川に注ぎ、その間4本の支流が市原盆地を西に流れ、帰源寺の北で合流し、鞍馬川に注いでいました。その距離はおよそ5キロメートルにもなったそうで、昔は,近くの住民がこの用水路を生活用上水として使っていたとのことです。現在は、北側2本の支流が今も残り、灌漑用水・生活排水路として利用されています。板倉氏は1673年5月29日に江戸で75歳で死去されました。
これを知った市原の人たちは、板倉氏の遺徳を偲び,感謝の念からその位牌をつくり、その後、毎年、6月30日には校区内にある神宮寺でご回向が行われているとのことです。

市原野小学校では子どもたちが市原野の伝統文化を受け継ぎ、次代に伝えていくことを願って地域の歴史を学ぶ時間をつくっています。人と人とが絆を大切にして地元の文化を創り育ててきたことや、みんなの助け合いのもとでハモハ踊りや鉄扇踊り、田虫送り、「い」の字の送り火等が行事化されたことなどを子どもたちとともに学んでいきたいと考えています。