京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/05/15
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「つながり―二条中学校編」
 学校が休校になって2か月が経ちました。この間,生徒や保護者の皆さんには大変しんどい思いをさせています。本来ならば5月の行事予定はギッシリ詰まっているところですが,やけに空欄が目立ちます。そのような中で18日の「生徒登校再開日」の文字が浮き上がって見えます。『どうか,この日がこれ以上先へ延ばされませんように!』祈るような気持でいます。
 40年近く教師をしてきました。カッコのいいことを書くようですが,この間,常に『目の前の生徒をどうするか!』の想いで取り組んできたつもりです。生徒指導に明け暮れた時代がありました。日に日に学校がよくなっていく,その中に居て教師としての遣り甲斐と喜びを感じた時代もありました。学校教育が学習指導と生徒指導の両輪で動いているということを実感する時代がありました。研究活動の面白さを知り,それによって学校を作る楽しさを実感する時代もありました。
 校長になって11年目を迎えています。校長として3つ目のそして最後の学校が本校です。これまでどの学校でも,先ずは教職員を一つにすることを最大の目標にして取り組んできました。そんな組織で生徒に向き合うと,生徒が目に見えて変容を遂げることを経験から知っていたからです。生徒を愛することは勿論ですが,教職員や保護者や地域の方をも大切にしてきたつもりでいます。学校の外に出ると,面白くないことや,時に腹の立つこともあります。しかし,学校へ帰ると『この子たちのために,この教職員のために,この保護者や地域のために,この学校のために頑張ろう!』と思い直すことが度々あります。「校長先生,お帰り(なさい)!」出張から帰った私に生徒や教職員がかけてくれるこの言葉に何とも言えない喜びを感じています。
 経験を積んできて,子どもへの想いの伝え方,教職員の考えの受け止め方,それのまとめ方,保護者や地域の想いや願いや期待に応える方法などが分かってきたようにも思います。生徒や教職員や保護者や地域の方とつながることが嬉しい毎日です。
 新型コロナウイルスという見えない敵の出現によって,これまで経験したことのない危機に面しています。生徒の健康のこと,生活指導,学習について,3年生の進路など,不安なことを考え出したらきりがありません。今は誰も経験したことのない状況に向き合っています。しかし,これまで積み重ねてきた経験の中に,きっとこの事態を乗り越えるヒントがあるはずです。
 私だけでなく教職員は,その英知を振り絞って考えます。保護者や地域の皆様にもお知恵を貸していただかなければなりません。行くべき方向を探しているとき,間違った方向へ行きそうなときは,どうぞ遠慮なく指摘してください。今こそ,これまで培ってきたつながりが試されるときです。私たちの自慢の“二条中のつながり”を子どもたちの幸福のために生かしていきましょう。今後とも宜しくお願いします。

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「つながり―道徳教育編」
 先生、今回のメッセージの中に名前を入れて下さってありがとうございます。ちょっと恥ずかしいけど、やっぱりすごくうれしいです。何でも言い合える先生とのつながりは、私にとっても大事な宝物です。…中略…「人は出会うべくして出会う」このことをいつも実感します。そして、一人との出会いが、その人の周囲と共に大きく広がり、つながりの広がりを実感し続けられる人生には感謝しかありません。
 前号で紹介した鳥取の佐伯さんから返信がありました。つながりの深さを実感し,大変嬉しく思います。
 さて,今回は道徳教育編です。同和・人権教育に没頭していた当時の私は,実は道徳教育に対してそれほど積極的ではありませんでした。そんな私に道徳教育への道を開いてくださったのが,当時の指導主事であった柴原弘志先生です。その後は,文部科学省の教科調査官と本市教育委員会の指導部長を務め,現在は京都産業大学で新しい教師の育成に尽力されていす。柴原先生には道徳教育の可能性の広さと奥深さ,面白さを教えていただきました。少々型破りだったかもしれませんが,それまで同和・人権教育で培ってきた理論と方法を取り入れて,道徳養育に新しい分野を開拓していきました。当時の京都市は道徳教育の熱が急に上昇してきたときで,私もその方法や可能性を広げていくことに貢献できたのかなと思っています。
 道徳教育の魅力に気づき,次々と実践を重ねつつあった頃,関西学院大学元教授の横山利弘先生に出会います。彼からは道徳教育の基礎を学びました。先生は今も全国各地で講演会や勉強会を開催されていますが,私もその場に参加して学びました。教頭時代に文科省主催の道徳教育の中央研修に行った際,横山先生から「おーい,京都の澤田〜っ,来とるか!?」と講義の冒頭で言って頂き,嬉しいやら照れ臭いやら誇らしいやら,複雑な思いをしたことも今思い出しています。横山先生からは,読み物教材の読み方と授業の展開の仕方など,本来の道徳教育の在り方を学び,それまで授業展開の方法や教材開発に向きがちだった実践を反省するきっかけになりました。
 その後,道徳が教科化されようという時期とも重なり,出版社の方との出会いが増えました。このことは,私の人とのつながりを更に広めてくれました。現在では,人権教育の時には少なかった関東地方の先生方とのつながりが多くできています。
 授業の中で生徒が泣くという場面はそうありません。道徳や人権教育の授業では生徒の涙が見られます。そのとき,その場にいる生徒の心は感動で大きく揺さぶられ,しなやかで逞しく成長を遂げています。現在,本校でも道徳教育には特に力を入れて取り組んでいます。今後も,道徳教育によって生徒の心を耕し,勉強ができるだけではない心豊かな生徒を育てていきたいと思っています。
※写真は昨年度の2年国語の時間の様子です。

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「つながり―人権教育編」
 前回は生徒とのつながりについて書きましたが,今後は大人の方々とのつながりについてシリーズで綴っていきたいと思います。まずは,私が特に大切にしてきた「人権教育」でできた「つながり」について紹介します。
 私が2校めに赴任した学校には,社会的に不利な条件の下で生活する生徒が多く在籍していました。校区には「同和地区」「福祉地区」「児童養護施設」「授産施設」などがありました。また,母子・父子家庭などの単親家庭の生徒,外国籍の保護者をもつ生徒も多く,そいういった生徒の割合が全体の8割を超える学校でした。それらの地区や施設の出身者に対する差別の厳しさや差別の結果として生まれる生徒の生活実態の厳しさも知りました。
 「子どもたちから学ぶ」とか「保護者の方から学ぶ」と簡単に言いますが,将にそういう毎日を過ごしました。結局,ここに20年間務めることになったのですが,この学校に赴任しなかったら多分私は全く違うタイプに教師になっていたと思います。精神的にも肉体的にもしんどい思いはしましたが,今となっては教師としての「芯」というか「軸」と言えばよいのか,そんなものを築かせてもらいました。
 この学校で一緒に務めた教職員とは今も仲良くさせてもらっています。家族よりも長い時間を共に過ごした仲間です。不安定な生活実態が原因で荒れる生徒に向き合い,寄り添って生徒や保護者の信頼を回復し,つながりを作って徐々に学校が変化していく過程に居られたことは今も教師としての誇りであり,喜びであり,感謝の対象です。
 人権教育に関わることで全国にもつながりができました。目の前の生徒や学校の課題の解決を目指して取り組んでいると,同じような人たちに出会うものなのでしょうか。次々と凄い(素晴らしい)人たちに出会いました。人権教育に関して言えば,徳島県の森口健司先生の名前を最初に挙げなければなりません。全同教(今の全人道同教)徳島大会の開会セレモニーで特別報告をしていた彼を始めて見た時には『世の中にはこんな凄い(素晴らしい)実践をする人が居るんや』と自分とは遠く離れた存在に感じたものですが,いつしか大切な友人の一人になりました。鳥取県の佐伯孝代さんもそうです。彼女はPTAとして保護者の立場から同和教育や人権教育に関わってこられました。今では毎年,本校の研究発表に来てくださっています。
 解放運動の立場から人権問題に関わっておられる人たちとの関係も忘れられません。「運動」と「教育」という違いはあっても,差別の解消・差別からの解放という共通の目的をもって行動することで心強く頼もしい中にも暖かなつながりができました。
 人権教育は素晴らしい教育です。今改めてこれを学校教育の根幹に据えなければなりません。この教育に出会えて私の教師人生は大きく変化し広がりました。今年度,人権教育を研究テーマとして取り組めることを,大変嬉しく誇らしく思っています。

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「つながり―生徒編」
 教師という職業の一番の特徴は,人と関わること,人を育てることです。人と関わるだけならば,営業や接客,販売など他の職業でもありますが,人にものを教え,心身を育むところまで行う仕事はそうはありません。人を育てるのですから責任は重大です。人が相手ですから悩むことも多いですがやりがいも大きいです。そして,その過程や結果として“つながり”が多くできます。今回は,今でもつながっている教え子との関係を幾つか紹介します。
 前回のエッセイで,小学校に40日ほど勤めていたことに触れました。当時私は確か4年生の担任だったのですが,今でもつながっているのは当時6年生だった女の子です。大学も卒業していないピチピチの若い先生だから,結構多くの6年生の女子と話をしました。でも,彼女はそういう中にいるタイプではなかったです。大人しく何事にも控えめで,でもしっかりとした上級生でした。私が中学校の教師を始めてからも何度か手紙をもらいました。(当時は,生徒に住所を教えることは珍しくありませんでした)やがて,年賀状のやり取りだけになりましたが,高校や大学に入学したとき,結婚したとき,母親になったときなど,写真入りの年賀状をもらってそのことを知りました。今はもう大人へと育った子どもさんのお母さんです。
 初めて担任をした学年の生徒で,今も年賀状のやり取りが続いている人は男女合わせて5人になってしまいました。このうちの女子2人については結婚式にも出席しました。一人は生徒会役員を務め,新人教師である私に生徒との関わり方を指南もしてくれました。もう一人は,どちらかというと立場の弱い子たちのグループに居ました。私はよくヤンチャな男子からのいじめに対する相談に乗ったり,いじめる彼らを厳しく指導したりしました。そんな子です。2人の美しく成長した花嫁姿を見たときには教師としての大きな喜びを感じたものです。前回,自分が小学生の頃の先生に影響を受けたと書きました。出会いでいえばもう30年以上前のことですが,この子たちが,私から何らかの影響を受けてくれていたら嬉しいです。
 先日,新型コロナウイルスの感染について職員室で話していました。この戦いが阪神淡路大震災や東日本大震災と最も大きく異なるのは,「人との関係を切る必要があること」だと聞かされて納得するとともに大きな衝撃を受けました。東日本大震災の時には「絆」という言葉が流行したりもしましたが,今回は「人との接触を8割避ける」と言われています。今の難局を乗り越えるためにはこのことは極めて大事ですし,これから始まるGWでは何としても実行しなければなりません。
 しかし,信じています。たとえ,一時的に離れなければならなかったとしても,私たちが教育を通じて作り上げたつながりはそう簡単に切れるものではありません。いえ,そうした「絆」があるからこそ,それを信じ,安心して接触が避けられるのです。
※写真は昨年度のものです。

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「振り返ってみて」
 生徒の皆さん,皆さんには将来就きたい職業がありますか。それを「夢」と表現する人もいるかもしれませんね。今回は私のことを書きます。何かの参考にしてもらえれば嬉しいです。
 私は,小学校の5・6年の時の担任の先生が好きで,「先生」という職業に憧れを抱きました。結構わんぱく者だった私を大事にしてくださったという印象を今ももっています。中学校の入学式では「新入生代表」で誓いの言葉を述べさせてももらいました。教員養成系の大学に合格したときも教員採用試験にパスしたときもその先生に報告しました。そんな私は,実は“小学校の先生”になろうと思っていたのです。採用試験も小学校を受験しました。体育の実技試験がこの二条中学校で行われたことを思い出します。小学校の先生を目指した理由はもう一つあります。当時は全国的に中学校が厳しい“荒れ”の状態にありました。保護者の方の中には覚えておられる方もあると思いますが,「金八先生」でそういう学校の様子がモチーフとなり,生徒の加藤が逮捕されるというストーリーが話題を呼びました。大学生だった私は,元々「小学校の先生になりたい」という気持ちがあったからでしょうが,『小学校教育がしっかりとしていれば,中学生が荒れることはない。』と本気で考えていました。だから一層,小学校の先生になりたいという気持ちを強くしていました。
 大学の卒業式までの期間,私は最後の休暇を楽しく過ごすべく春山へスキーに行っていました。そこへ母からの電話です。「産休でお休みになられる先生の代替教員として明日から勤務してほしいと教育委員会から連絡があったよ。」翌日,真っ黒に日焼けした顔で初めての職場へ向かいました。そこで40日ほど過ごすことになったのですが,その途中で教育委員会から呼び出されました。「君を中学校教諭として採用したいのだが,意向はどうか。」そんな事を言われて断ることもできず,中学校の先生としてスタートを切ることになりました。
 ここから先は昨年度の3月14日号に記した通りです。生徒指導に追われる日々に負けそうなときには,『とりあえず3年間は踏ん張って,小学校の先生に戻してもらおう!』と考えたりもしました。ところが,初めての卒業式を観,翌年初めての卒業生を出した時には『小学校の先生に戻りたい』という気持ちは全く失くしていました。
 アッという間に教師生活を終える年を迎えました。そんな年にコロナウイルス騒動で,十分な仕事ができないもどかしさを感じてもいます。今こそ敢えて言いたいです。「教師は,やりがいのある素晴らしい職業です。」この仕事に就いて,これまで頑張ってこれたことは本当に良かったと思っています。「自分がやりたい,こんなに楽しい仕事をしていて給料までもらっていいのかな。」新規採用当時,実際に感じたことですが,このことは今でも思っています。

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「子どもにつけさせたい力」
 毎年,年度の最初の職員会議で二条中学校の「目指す生徒像」を共有します。校長が提案して全教職員で確認します。今年度,少し変更しました。以下に紹介します。
★「確かな学力」を身につけ,希望する進路の実現に向けて学力向上に取り組む生徒
★豊かな人権感覚を磨き,「共生社会」の実現を目指して行動する心豊かな生徒
★「生命の尊厳」をすべての基盤として,心身を鍛え,心身の健康に取り組む生徒
 これまで通り「知・徳・体」の観点から生徒像を定めていますが,子どもたちにはバランスよく成長していってほしいという願いを込めています。このバランスのことで言うと面白いたとえがあります。大学生の頃,「倫理学概論」という講義の中で小寺正一先生から聞いた話です。強烈な印象があったので,その後もずっと覚えています。
 因みに,小寺先生は大学を引退後,京都市教育委員会の顧問としてご活躍になられました。私も委員会に在籍した3年間は楽しく一緒にお仕事をさせていただきました。
 「すごく頭がよくて,運動能力抜群の“泥棒”が居たらどうか」という話で,人が社会で生きていく上で「徳」の部分が如何に大切かということが言われています。
 さて,二条中学校ではこの2年間,生徒に「対話できる力」をつけるべく取り組んできました。各教科,全学年がチームとして一斉に取り組んだので一気にその力が高められたのではないかと思っています。
 ところで,なぜ「対話できる力」なのかをもう一度説明しておきます。
 子どもが社会に出たとき,生きていく上で必要とされる力が見直されて久しいです。「何を知っているか」(知識・理解)よりも「何ができるか」(技能・表現)により重きが置かれるようになりました。とりわけ,表現力の中でも周りの人や取引先の人に上手く自己表現が出来たり,商品の価値を伝えたりできる力(コミュニケーション力)が重要であるとされました。実際,私の息子から聞いた話ですが,彼が受けた会社の面接は次のようなものだったそうです。面接官が言います。「私は活字を読むのが嫌いです。そんな私を『本を買いたい』という気持ちにさせてください。」
 「終身雇用制」も「年功序列賃金制」も一般企業ではなくなってきました。新しい企業ほどこの傾向は強く,優秀な人材のヘッドハンティングや転職,若い人の起業はまったく珍しくありません。このような時代だからこそ,自己表現力や,とりわけ豊かなコミュニケーション力が必要になってくるのです。また,会話や対話は脳を活性化するだけでなく,対話の中から得られた知識は定着しやすいともいわれています。
 新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から,授業内容を変更していく必要があるとは思いますが,今年度も生徒に「対話できる力」をつけるべく授業を工夫・改善して取り組んでいきます。保護者や地域の皆様方のご理解とご支援をお願いします。
※写真は昨年度の1年生の授業の様子です。

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「期待に応える」
 10年前に知り合った書家の先生から今年も“キャッチフレーズ”を届けていただきました。「直接会ってお渡ししたかったのですが,こういうご時世ですし郵送にしました。」事前にお電話を頂いていました。
 校長として初めて赴任したのが山科区にある花山中学校です。部活動が盛んで,体育大会では当時でも既に珍しくなったマスゲームに取り組んだり,学年劇と合唱コンクールの両方をやったりと諸行事は大いに盛り上がります。ヤンチャな生徒もいましたが,全体としてとても人懐っこい生徒たちが在籍しました。地域とのつながりが強く,地域の方に来ていただいて様々な活動をしていました。その中に書道の授業もありました。「ヤンチャな子たちもよく頑張るんですよ。もう可愛くてかわいくて…」ニコニコ笑いながらいつもそう言って1時間の授業を終えられました。
 3年目に「学校教育目標」に手を加えた際,それを大書してもらって玄関に飾りました。その年の創立50周年の式典の際には,式場と玄関に掲げる「題字」を書いていただきました。「こんな大役を任せて頂けただけで光栄です。自分が卒業した中学校ですもの,頂戴する訳には参りません。」と,謝礼は一切受け取られませんでした。
 次の学校へ異動しても,私は年度当初に“キャッチフレーズ”を定めて,生徒と教職員,保護者の皆様で共有していました。春先のある日,突然その先生から電話がかかってきました。「校長先生,HPで見ました。先生の学校の“キャッチフレーズ”や学校教育目標を書かせてください。」
 二条中学校でもやりましたが,生き方探究教育の一環として,「書家」という職業について,その職業に就いた経緯や喜び等をお話ししていただき,その後,学年集団の目の前で大書パフォーマンスをしてもらいました。生徒が驚いたことは言うまでもありません。本校で書いて頂いた作品(「誇」「絆」「熱」)は玄関に今も飾ってあります。
 教職員バレーボール大会に向けて,毎年オリジナルのTシャツやポロシャツを作るのですが,前の学校の時からこの先生に書いてもらった作品を背中に入れています。学校名も入っているので,公道を歩くときは少々恥ずかしい気もしますが,バレーボール大会や体育大会の時などには教職員も喜んで着てくれています。また,一昨年度からはPTAの方もお揃いのデザインでTシャツを作られ,体育大会や部活動の応援などの際に着て来られています。
 校長と地域の方という関係からスタートしましたが,今では私の学校経営のよき“理解者”であり“協力者”の一人となっていただいていると勝手に思っています。
 この方だけではありません。地域やPTAの皆様など,『二条中学校や不肖・澤田を応援してやろう!』と思ってくださる方々のためにも,今後も出来ることに全力で取り組んでいきます。皆様,いつも支えていただき,本当に有難うございます。

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「生徒が可愛い!」
「はい、どーも、生徒会です。ありがとうございます。」「素敵な新入生を紹介されたんやけど。どこの中学校に入学するか、忘れてしまったらしいねん。」「中学校を忘れるって、どういうこと?」「うーん、色々、聞いたんやけど…結局、分からなくて。」「分かった。そしたら、僕がその中学校を考えてあげるから。その中学校のこと、教えて。」「分かった。その中学校には、校門、入ったらヤシの木があるらしいんよ。」「そしたら、それは、二条中の新入生やろ。」「カナリ君とカナコちゃんっていう、キャラクターまでいるもんね。」「じゃあ、二条中学校の新入生や。」「そうか、二条中の新入生か。」「私も初めは、そう思たんよ。でも、分からないんよ。」「何が分からないんよ。」「いやね、その中学校の校長先生は、学校にも、生徒にも、冷めてるっていうんよ。」「ほな、二条中学校の新入生とちゃうな。二条中学校の澤田校長先生は、めちゃめちゃ熱いもんな。」「この間、触ったらやけどしたで。二条中学と言えば、校長先生が思い浮かぶしな。」「じゃあ、二条中学校の新入生とちがうな。」「でもね、その学校には、ウーパールーパーがいるらしいんよ。」「それは、二条中学校の新入生やな。」「二条中の職員室前には、いつも何考えてるかわからへん、ウーパールーパーがいるもんね。」 「何やかんやいうて、愛くるしいねんな。愛くるしい通り越して、ポケット入れときたいわ。もう二条中学とちがう?」「でも、その中学校は、ホームページが1回と限定されてるらしいんよ。」「ほな、二条中学校ちゃうやん。」「二条中学校のホームページは、1日に10件は、更新されるくらい、とてつもない量があるしね。」「ホームページ見んのは、地味に楽しいねんな。もう、これで決まり!うちの中学校やわ。」「でも、分からんのよ。その人が言うにはね。」「その中学校の正式名称は、京都市立二条中学校っていうらしいねん。」「じゃあ、二条中学校の新入生やん。今までの時間、返して。」「もう、ええわ。」
 とても懐かしい気がしますが,上の会話文は,今月9日に行われた1年生対象の生徒会オリエンテーションで,本部役員の子たちが二条中学校を紹介したものです。昨年末のM-1グランプリで見事にチャンピオンの座についたミルクボーイのネタをヒントに本部役員の中の誰かが作ったのでしょう。
子気味良いテンポで進行し,とっても面白かったです。かなり練習もしたはずです。私のことも出てきて照れ臭かったのですが,何とも言えない気持ちになりました。
「可愛い」と言ったらよいのか「愛おしい」と言えばよいのか,とにかく,「この子たちを大事にしたい!」と今も強く思います。楽しそうにパフォーマンスする子たちだけではありません。素敵な笑顔でそれを聴く子たち,この場にいない2・3年生も含めて,この子たちのことが可愛くて仕方ありません。今年度,3学年が揃ったのはたった2日だけです。『早く学校が再開してほしいです。』心からそう願っています。

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「自覚と自主性で」
 皆さん,元気に過ごしていますか。「人との接触を8割減らす」を目標に,私も『この土・日は家にすっこんでいよう』と決意して臨んだのですが,辛抱できませんでした。TVはどの番組も同じような内容です。大好きなDVDも,そう何本も続けて観ることはできません。新聞や本の活字は長時間読むと乱視が出てきます。
 『今日なら家以上に人との接触がないだろう』と思って学校へ来てみました。途中の道は,いつもの日曜日に比べると圧倒的に車通りは少なかったです。道を歩いている人の数も同様です。『みんな,ちゃんと「非常事態宣言」を意識しているんだな。』と思いました。しかし,学校の近くまで来たときです。二条公園の人の多さに驚きました。うちの生徒が居たら注意しようと注視しましたが,その姿は認められませんでした。良かったです。
「人との接触が7〜8割減らせたら,感染者数を減らしていける。しかし,半分程度なら今と同様に増え続ける」TVの中で専門家の人が言っていました。この事態をGW明けで終わらせるために,国民全員が一致団結して臨まなければなりません。
 今年度の1年生(小学校・中学校・高校・大学)は本当に気の毒です。希望に胸を膨らませてくぐった新しい学校の校門。入学したとたんに休校です。ほとんどの大学では入学式すらなかったそうです。「せっかく努力して合格したのに,まだ大学生になった実感がない。」これもTVの中での学生のコメントです。経済も既に大変な状況です。自粛が求められる中,お客が来ないために経営ができない会社やお店が続出しています。勿論そこで働く人たちも給料がもらえません。
 日本の「非常事態宣言」には罰則規定がありません。行動の自粛は国民の自覚と自主性に任せられているのです。阪神淡路大震災や東日本大震災の大惨事の際,日本人の道徳性が世界中から高く評価されたことは以前にも書きました。今回もそれが試されています。被害の大きさ,深刻さが見えにくいのが今回の大きな特徴ですが,私たちはあの時と同じような意識を持って臨まなければなりません。
 GWがあけて学校が再開されたとしても,気を付けなければならないことはたくさんあると思います。2年間取り組んで,大いに成果を上げてきた「対話できる力」をつける学習活動を続けていく方法を模索しなければなりません。体育大会の団体種目は密集状態を作ります。プログラムも再考しなければならないでしょう。文化祭の頃には全校生徒や保護者の皆さんが揃って講堂へ入れるようになっていてほしいです。
考えれば考えるほど不安が大きくなりますが,先のことより先ずは,5月6日で「非常事態宣言」が撤回されるように,私たちのできることに取り組みましょう。
 私には二条中学校の関係者に呼びかけることしかできませんが,是非とも賛同して,不要不急の外出や密集状態での活動は厳に慎んでほしいと思います。5月7日,生徒の皆さんと共に楽しい学校生活を再開したいと心からそう思っています。

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「“s”は生徒一人ひとり」
 今年度のキャッチフレーズは,
“Dreams come true !”〜夢は叶う〜
としました。ところで,“Dream comes true !”とどう違うでしょう。1年生には今は分からないと思いますが,じきに英語の時間に学習するはずです。
 昨年度のはじめに私の夢を語りました。「二条中学校を京都で一番の学校にしたい」というものです。その際,どうなれば一番と言えるのかという指標も示しました。そうして迎えた今年度,私はこの学校に在籍する生徒一人ひとりの夢が叶ったとき,私の夢が叶うという考えに至りました。だから,DreamではなくDreamsとしたのです。“s”には“生徒一人ひとり”という意味を込めました。
 小さい子は「ウルトラマンや仮面ライダーになりたい」と言ったりします。そういう夢を否定するわけではありませんが,中学生には,実現可能な,出来るだけ具体的な夢をもってほしいです。そして,それは二条中学校を卒業するときやこの一年を終えるときに実現できるようなものであることが望ましいです。
 一つ,例をしめします。「医者になりたい」という夢をもつ人がいたとします。それを逆算して考えるのです。『医者になるには,大学の医学部に行かなければならないなあ。』『それって,理科系の学部だな。』『だったら,高校でも理科系・科学系の勉強ができたらいいなあ。』『嵯峨野高校や桃山高校にそんな専門学科があったんじゃないかな?』とまあ,そんな風に考えて夢というか目標を定めてほしいのです。
 全校生徒の皆さんが,個々の夢を見事に実現できたとき,私の夢は実現します。
 教職員にも保護者の皆さんにも「夢(目標と言ってもよいでしょう)」を持ってほしいと思います。『男女の仲が良く,何事にも楽しく一生懸命に取り組める学級を創りたい。』『行事のたびに盛り上がれる,でも決して一人も辛い思いや悲しい思いをする人がいない学年にする。』『いつも子どもの声に耳を傾けられる関係でいたい。』『進路実現に向けて,子どもと一緒に悩み考え,行動できる一年にする。』実現に向けて,決して難しくない「夢(目標)」がよいでしょう。
 一つひとつの夢を実現してください。そして,子どもも大人も,夢の実現に向けて,その経過を交流してください。大いに語り合いましょう。夢は一人ひとり別のものでも,交流し共有することで案外共通点が見えてくるかもしれません。また,そのことで夢の実現の時期が早められたり,より高度な夢が設定できたりするかもしれません。
 新型コロナウイルスの影響で,学校生活がストップしたままです。しかし,こういう時期だからこそ,今一度,自らの「夢(目標)」について,具体的に構想してみましょう。それが明確に定められたのちに再スタートが切れたら,この時期の休校が今年度の学校生活に有効に働くかもしれません。
 Dreamsの最後の“s”は,生徒・保護者・教職員の皆さん一人ひとりを意味しています。私の夢を実現させてください。
 Dreams come true 〜夢は叶う〜

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