京都市立学校・幼稚園
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「学校再開に向けて」
 我が教師人生において,こんなテーマでエッセイを書くなんて思いもしませんでした。今年度,3学年が揃って学校生活を送ったのはたったの1日です。しかもまだ生徒が一同に揃う場面は一度も作れずにいます。全校集会が大好きな私にとってはそれが残念でなりません。というのも,全校集会は,一つのテーマについて同時にみんなで考えることができるという点で,学校という組織にとっては大変意味のある場面だと考えているからです。現状からすると,まだ当分の間は難しそうですが,一日も早く全校集会ができるようになってほしいです。
 5月18日から2週間にわたって生徒の自主登校による「学習相談期間」を実施してきました。学年によって差はありましたが,特に3年生の出席率は高く,学校生活を待ち焦がれていた様子が感じられます。学校が再開されるにあたって,彼らの気持ちに応えられるよう全力を尽くそうと決意を新たにしています。
 この間,全国中学校体育大会や近畿大会,府大会の中止や吹奏楽コンクールの中止が決定されました。学校関係者にとって身近な多くの大会やイベントも次々と中止されるに至り,気になっていることがあります。それは,一旦止めてしまうと,次に再開しようとしたときに必要なエネルギーは,継続してきた場合の何倍も必要になるだろうということです。こんなことを書くと不謹慎だと思われるかもしれませんが,大会やイベントがなくなるとその準備や運営に掛ける労力や時間も必要なくなるので,その面では楽です。そこに“落とし穴”があるのです。一旦“楽(らく)”を味わってしまうと,多くの人間は再び“しんどい”ことに向き合えなくなりがちだからです。
 今後,例年の行事をどうするかを決めなければならないことが幾つも起こるでしょう。その際,「やるか止めるか」でなく,「どうしたら継続できるのか!?」という論点で議論したいと思うのですがどうでしょう。生徒会やPTAの活動においても同様です。「安全を確保しながら,どうして継続するのか」そういう議論をしたいものです。
 接触を避ける,話合い活動を避ける,合唱や合奏に気を付けるなど,新型コロナウイルスは,これまで私たちが学校教育で大切にしてきた活動をどんどんさせないようにします。接触を避けるのは,自分や相手がウイルスをもっているかもしれないと疑っているからです。新型コロナは「人を信じて心を開こう」と言ってきたこれまでの仲間づくり,集団づくりのあり方を否定するもので,生徒や教師の結びつきを切り離そうとする何とも悪質なウイルスです。こんなものに負けてはいられません。
 自主登校が始まる前,「学校に来るの,楽しみか?」という私の問いかけに「ハイ,すっごく楽しみです。」と,瞳をキラキラと輝かせてそう語った生徒らを失望させるわけにはいきません。これまで築いてきた生徒や教職員との絆はそう簡単に断ち切れるものではありません。それを信じて,さあ,思い切って再スタートを切りましょう。

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「笑顔が輝く学校」
 昨日,久しぶりに生徒が登校しました。「教育活動再開に向けた準備期間」としての位置づけで,希望性によるものですが,実に多くの生徒が登校しました。子どもたちが2か月半に渡る休校に“しんどさ”を覚えていたことが窺えます。
 感染のリスクがなくなった訳ではない状況で子どもを迎えるのですから,教職員の側にも緊張感がありました。しかし,生徒と会えることは,その不安感よりもずっと大きな充実感があることを再認識しました。生徒と過ごしていると,それまでの日々より圧倒的に時間が速く経つように思いました。6月を迎えると次はいよいよ学校再開です。一気に普段通りとはいかないでしょうが,昨日は確実に学校が元に戻っていくことを実感できる一日となりました。
 昨日発行された3−3の学級通信の中に掲載されていた生徒の文章を紹介します。テーマは「3年生になって」です。担任の先生が「明日,提出してください。」と言ったきり休校になってしまって紹介が遅れたようです。これを書いた生徒も,3年生になった頃のことではなく休校中の心境を綴っています。
 いよいよ3年生という最上級生という年になりました。行事も部活も何事も最後だという,その実感がありません。今の世の中はコロナウイルスのことでいっぱいで,学校の登校日も少なく,この春の友達との学校生活の思い出を一つも作れなかったということが,私にとってはショックであります。また,不安でもあります。1年生の部活見学もなく,私はまだ自分が2年生であるように思えます。部活の夏季大会が終わればきっと引退ですが,もしかすると,今年は1年生との顔合せや大会に出ることなく引退になるのではないかと思うと,胸が苦しくなります。学校に行けなく,先生や友達とも会えず,毎日通っていた通学路がなんだか懐かしく思えてきました。私は,このコロナウイルスが起こったことで,学校での生活,友達とのたわいない話,いつも通っている通学路などの場所や行動一つ一つがが大切なことだと教えてくれたようにも感じます。また,家族と話す機会が増えたことは嬉しいです。『中学校生活に後悔なく,卒業式をみんなで迎えたいです。』今の私の将来の夢です。
 中学生にこんな文章を書かせてしまったことを一人の大人,教師として反省しなければなりません。ウイルスを拡散させた国や水際で食い止められなかった我が国を恨んでも仕方ありません。当初,『遠いところで起こっている話だ』と思っていた自分がいます。どんどん拡大していく感染に驚き,事態が我が身に迫ってきて初めて慌て,恐怖を感じました。この経験を無駄にしてはいけません。文章中に「コロナが,何気ないことが大切なことだと教えてくれた」とあるように,プラスへと考えていきたいです。状況は,確実に良い方向へ向かっているように思えます。今の状態に気を抜かず,一日も早く昨日のような生徒の笑顔が輝く学校生活を取り戻したいです。

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「生徒を迎えるにあたって」
 来週から生徒が登校してくることになりました。生徒にすれば,1日にたった1時間ですが,それでもこの2か月半の休校期間を考えれば大きな変化です。月曜日からの「教育活動の再開に向けた準備期間」に,本校の場合どれ程の生徒が登校するのか分かりませんが,これまでに出会った生徒たちは皆楽しみにしているようでした。このことを校長としてとても嬉しく思います。
 一方で,生徒本人は『行きたい』『友達や先生に会いたい』と思っていても,ご家族の中に高齢者やご病気の方がおられるなどの事情から,今の段階では登校できない生徒もいるでしょう。そういう子たちの気持ちにも十分に配慮しなければなりません。
 毎朝,学校へ行き,授業を受け,友達としゃべり,昼食を共にし,部活動で心身を鍛える,こんな当たり前の生活が当たり前でない期間を持てたことは,ひょっとしたら,長い目で見たときには生徒にとってよかったのかもしれません。6月以降,授業を受けること,友達や先生と楽しく過ごすこと,部活動を頑張ることなどが,これまでよりもずっとずっと大切に思えたとしたら,今年度に残された時間をより濃密なものに変えていけるかもしれません。いえ,そうさせなければならないと思っています。
 生徒を登校させるにあたって,以前に保護者の方から頂いたご意見を思い出しています。その文章は以下のように結ばれていました。
 「再開したらしたで,また課題はありますが,それらを含めて感染症と付き合うということが,社会で共に生きて暮らしていく中でどういうことなのかを学ぶよい機会だと思います。私もですが,残念ながら,今を動かす大人達は,知識経験不足でした。子どもたちの貴重な日々を奪ってしまいました。
 感染症の自分への,社会への影響ということを一度しっかり経験して考えた生徒がつくる未来はとても頼もしいに違いありません。是非,教育現場として環境整備を行い,生徒と共に感染症と付き合っていただきたいと思います。」
 月曜日から生徒を登校させるわけですが,もちろん不安はあります。そこで,出来るだけのことをしようと全教職員で知恵を出し合って考えました。生徒たちにしてみれば,窮屈に感じる部分があろうかと思います。具体的に言えば,消毒・手洗い・マスクの着用・ソーシャル‐ディスタンシングなどですが,これらに関してうるさく言うことになろうかと思います。学校としては,生徒の皆さんの健康と安全,そしてそのご家族の方の健康も保障していかなければならないからです。このことを理解して,是非,学校の指示に気持ちよく従ってほしいと思います。
 二条中学校では,これからも生徒のことを第一に考えて取り組んで参ります。先ずは子どもたちの健康で安全な生活の保障です。それがなければ学習も部活動もできません。生徒・保護者の皆さん,ご理解とご協力をお願いします。

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「つながり―PTA活動編」
 これまで「つながり」をテーマとして特集してきました。忘れてならないのがPTA活動で出会った方々とのつながりです。PTA本部役員の方と直接かかわりを持つようになったのは教務主任になってからでした。PTA本部役員会には,学校の代表として校長・教頭・教務主任が出席する学校が多いです。これは,PTA行事の日程調整をする際に学校行事との関りが大きいからだと思います。
 本格的にPTA活動に参画するのは,やはり教頭になってからでしょう。学校側の窓口としてPTA役員さんに頼りにされます。教頭は東山区にあった弥栄中学校で務めたのですが,当時は東山区と山科区とが1つの行政区になっていましたのでこの時につながった方と山科区の花山中学校の校長になってから再び出会うことになりました。不思議なご縁でしたが,今でもとても有り難いことだったと思っています。
 花山中学校はPTA活動が大変盛んな学校でした。学校の教育活動への協力,特に学校行事への参加と協力については惜しみなくしてくださいました。次々と新しい取組を考えては実行し,生徒や教職員と共に大いに楽しみました。この中学校では,残念ながら嬉しくない事件も起こりましたが,その際も学校の側に立って一緒に厳しい意見に対応してくださいました。特に,大騒動の翌朝からその年度が終わるまで,毎日私と一緒に校門に立ってくださった当時の会長さんには今も心から感謝しています。
 この当時の皆様方とは今でも交流がありますが,この方々と二条中学校のPTA本部役員の方々とがつながっておられることは,本校に赴任してから驚かされることになります。花山中学校の後,伏見の向島中学校にお世話になりました。ここでも温かいPTA役員さんと楽しく活動させてもらいました。特に2年目の会長さんは「校長先生は僕の担任の先生。今もう一度中学校生活を楽しませてもらっている」と言って私を喜ばせてくれました。この方は,私の本校への異動か決まった際に我が事のように悲しみ嘆き怒りして,私の心を慰めてくださいました。もちろん今も交流があります。
 二条中学校へ赴任した年,本校のPTA会長が全市の会長であることを知りました。とんでもなく忙しいのに本校の活動を大切にされ,一番の応援団として学校を支えてくださいました。ちょうど私が教師になった頃の中学生で,保護者にも教師にも共通の知人がいたこともあって,関係は一気に深まりました。
 今は新体制に変わりましたが,新会長を先頭に,常に生徒を中心に置き,PTAは学校のために,学校はPTAの一員として互いに協力して楽しく活動しています。
「やるからには楽しまな!!」毎年,新しい役員さんの前でそう話をします。校長として3校を経験しましたが,どの学校でもPTAとの関係は良好で,楽しく生徒にとって有効な活動ができてきたと自負しています。妻へ感謝の気持ちが言いにくいのとよく似ていますが,敢えて言わせてもらいます。「いつも,有難うございます!」

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「つながり―研究会編」
 研究会活動での人とのつながりは“教師らしい”部分だといえるでしょう。私は京都市立中学校の研究会に3つ,私的な研究会に1つ加盟して活動しています。京都市立中学校関係では,「人権教育」「道徳教育」「社会科教育」です。どれも活動歴は長く,校長になってからはそれなりのポストに就いています。
 最も多く活動するのが「人権教育」で,他の2つに比べてその機会は圧倒的に多いです。この研究会では会長を務めており,年間4つの大きな集会の運営に携わります。1京都市中学校人権教育研究集会(中人研集会),2京都市人権教育研究集会(市人教集会),3人権交流京都市研究集会(京研集会),4全国人権・同和教育研究集会(全人・同教集会)がそれです。1は京都市の中学校の人権集会ですが,2では幼稚園・小学校・高等学校が参画します。また,3には解放運動に携わる団体や学校以外の人権研究の団体や組織が参入し,4は全国大会です。
 副会長を務める「道徳教育」の研究会との共通の課題が後進の育成です。これまで中心になって取り組んできた世代の教員が一斉に退職します。私たちが先輩から受け継いできた精神やノウハウを次の世代の人たちにつなげなければなりません。また,「人権教育」と「道徳教育」とをつなげることも私自身の大きな研究テーマとして長年取り組んできました。これも次の人に引き継がなければなりません。
 さて,私的な研究会の方ですが,こちらは大阪府の先生方が中心になって活動しておられる研究会に所属しています。きっかけは代表の河原和之先生とのつながりです。彼は社会科教育の分野で大変著名な先生で,授業のネタや授業の方法について数多くの著書を出されてもいます。彼と知りあったのは,昨年度,池田修先生のことを書いた際に紹介したNHKの教育番組「わくわく授業」です。河原先生は,池田先生や私よりもずっと前に番組で取り上げられた授業づくりの名手です。知識や経験が豊富なだけでなく驚くほど広い人的ネットワークをお持ちです。
 この研究会は元々は社会科の研究会でしたが,今は他の教科や道徳,総合的な学習の時間や特別活動,学級経営,特別(総合)支援教育など幅広い分野で活動しています。実践発表を中心とする研究会で,老若男女の教師が自らの実践を紹介し,それをもとに参加者が自らの実践や理論・考え方を交流したり紹介したりします。この研究会でつながった先生方も,今や私にとって貴重な宝物です。
 校長は,ありとあらゆる場面でコメントを求められます。生徒指導や教科指導について,最新の方法や考え方を知っておく必要もあります。研究会はこういうものを知るうえでとても有効です。若い人たちの研究会離れが言われて久しいです。自らの職場で学ぶことも大事ですが,学校を離れて研究会で学ぶことにも目を向けてみてほしいと思います。きっと新しい発見や喜びがあるはずです。

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「映画鑑賞のすゝめ」
 多趣味である私の趣味の一つに映画(DVD)鑑賞があります。休校が決まって以来たくさんの映画を観ました。本来は映画館へ行って大画面と迫力ある音響で鑑賞したいところですが,コロナ渦でそれも叶わず,家のTV画面で我慢しています。最近はDVDをレンタルせずにオンライン配信されているものを観るようになりました。DVDに比べて圧倒的に画像が美しく,関連作品も次々と観られるのでとても便利です。夜更かししてしまうのが玉に瑕ですが…(笑)。
 さて,最近観た作品で,生徒や教職員,保護者や地域の皆様にお薦めのものがあるので紹介します。昨年度のアカデミー賞の作品賞,助演男優賞,脚本賞を獲得(主演男優賞も獲ってほしかった)した超話題作の『グリーン・ブック』です。『グリーン・ブック』とは,1950〜60年代のアメリカで,まだ人種差別が厳しかった南部を黒人が旅するために作られた施設利用ガイドです。
 この作品は実話で,主人公の息子が,「父から聞かされたいい話」としてプロデュース,共同脚本を手掛けたことでも話題になりました。
 ニューヨークのカーネギーホールで演奏活動を続ける天才ピアニストの黒人と,無知で単純,乱暴なイタリア系アメリカ人(白人)の二人が8週間の南部ヘの演奏旅行をする間に信頼関係を築いていくというストーリーです。
 当時のアメリカには,産業革命に成功しドンドン工業化が進行していく北部と,黒人奴隷を使う農業を中心とする南部との間で激しい対立がありました。1961年には,奴隷制存続を主張する南部11州が,合衆国からの脱退を宣言してアメリカ連合を結成し,北部23州との間で戦争(南北戦争)を始めました。『グリーン・ブック』はこんな時代の実話で,黒人ピアニストのドクターは,それが自らの使命であるかのように南部へのコンサートツアーにでるのです。
 彼は行く先々で差別に出会います。用心棒兼運転手として彼に付き添うトニーは,当初は自分も黒人に対する差別意識をもっていながらも,徐々に理不尽な社会制度や人々の態度に怒りを覚え,考え方を変化させていきます。
 トニーとドクターの友情を描いたドラマですが,当時のアメリカの社会的背景を考えながら観ると,差別という壁で分断されていく人々,差別を受け入れてしまっている人間の弱さや醜さ,社会の不条理に気づけるなど,とてもよい学習になります。また,スカッとする場面がふんだんに取り入れられており,決して飽きさせません。
 映画終盤,レストランで食事をすることを拒否されたドクターを本気でかばうトニーの姿,その後の黒人用レストランでのドクターのピアノ演奏のシーンは最高です。また,トニーの家族とドクターが出会うラストシーンは,心がポカポカになります。
 是非,家族そろって観てみてください。観終わった後の何とも言えないあの感動を皆さんにも味わってほしいと思います。

※写真は公式HPからとりました

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「つながり―二条中学校編」
 学校が休校になって2か月が経ちました。この間,生徒や保護者の皆さんには大変しんどい思いをさせています。本来ならば5月の行事予定はギッシリ詰まっているところですが,やけに空欄が目立ちます。そのような中で18日の「生徒登校再開日」の文字が浮き上がって見えます。『どうか,この日がこれ以上先へ延ばされませんように!』祈るような気持でいます。
 40年近く教師をしてきました。カッコのいいことを書くようですが,この間,常に『目の前の生徒をどうするか!』の想いで取り組んできたつもりです。生徒指導に明け暮れた時代がありました。日に日に学校がよくなっていく,その中に居て教師としての遣り甲斐と喜びを感じた時代もありました。学校教育が学習指導と生徒指導の両輪で動いているということを実感する時代がありました。研究活動の面白さを知り,それによって学校を作る楽しさを実感する時代もありました。
 校長になって11年目を迎えています。校長として3つ目のそして最後の学校が本校です。これまでどの学校でも,先ずは教職員を一つにすることを最大の目標にして取り組んできました。そんな組織で生徒に向き合うと,生徒が目に見えて変容を遂げることを経験から知っていたからです。生徒を愛することは勿論ですが,教職員や保護者や地域の方をも大切にしてきたつもりでいます。学校の外に出ると,面白くないことや,時に腹の立つこともあります。しかし,学校へ帰ると『この子たちのために,この教職員のために,この保護者や地域のために,この学校のために頑張ろう!』と思い直すことが度々あります。「校長先生,お帰り(なさい)!」出張から帰った私に生徒や教職員がかけてくれるこの言葉に何とも言えない喜びを感じています。
 経験を積んできて,子どもへの想いの伝え方,教職員の考えの受け止め方,それのまとめ方,保護者や地域の想いや願いや期待に応える方法などが分かってきたようにも思います。生徒や教職員や保護者や地域の方とつながることが嬉しい毎日です。
 新型コロナウイルスという見えない敵の出現によって,これまで経験したことのない危機に面しています。生徒の健康のこと,生活指導,学習について,3年生の進路など,不安なことを考え出したらきりがありません。今は誰も経験したことのない状況に向き合っています。しかし,これまで積み重ねてきた経験の中に,きっとこの事態を乗り越えるヒントがあるはずです。
 私だけでなく教職員は,その英知を振り絞って考えます。保護者や地域の皆様にもお知恵を貸していただかなければなりません。行くべき方向を探しているとき,間違った方向へ行きそうなときは,どうぞ遠慮なく指摘してください。今こそ,これまで培ってきたつながりが試されるときです。私たちの自慢の“二条中のつながり”を子どもたちの幸福のために生かしていきましょう。今後とも宜しくお願いします。

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「つながり―道徳教育編」
 先生、今回のメッセージの中に名前を入れて下さってありがとうございます。ちょっと恥ずかしいけど、やっぱりすごくうれしいです。何でも言い合える先生とのつながりは、私にとっても大事な宝物です。…中略…「人は出会うべくして出会う」このことをいつも実感します。そして、一人との出会いが、その人の周囲と共に大きく広がり、つながりの広がりを実感し続けられる人生には感謝しかありません。
 前号で紹介した鳥取の佐伯さんから返信がありました。つながりの深さを実感し,大変嬉しく思います。
 さて,今回は道徳教育編です。同和・人権教育に没頭していた当時の私は,実は道徳教育に対してそれほど積極的ではありませんでした。そんな私に道徳教育への道を開いてくださったのが,当時の指導主事であった柴原弘志先生です。その後は,文部科学省の教科調査官と本市教育委員会の指導部長を務め,現在は京都産業大学で新しい教師の育成に尽力されていす。柴原先生には道徳教育の可能性の広さと奥深さ,面白さを教えていただきました。少々型破りだったかもしれませんが,それまで同和・人権教育で培ってきた理論と方法を取り入れて,道徳養育に新しい分野を開拓していきました。当時の京都市は道徳教育の熱が急に上昇してきたときで,私もその方法や可能性を広げていくことに貢献できたのかなと思っています。
 道徳教育の魅力に気づき,次々と実践を重ねつつあった頃,関西学院大学元教授の横山利弘先生に出会います。彼からは道徳教育の基礎を学びました。先生は今も全国各地で講演会や勉強会を開催されていますが,私もその場に参加して学びました。教頭時代に文科省主催の道徳教育の中央研修に行った際,横山先生から「おーい,京都の澤田〜っ,来とるか!?」と講義の冒頭で言って頂き,嬉しいやら照れ臭いやら誇らしいやら,複雑な思いをしたことも今思い出しています。横山先生からは,読み物教材の読み方と授業の展開の仕方など,本来の道徳教育の在り方を学び,それまで授業展開の方法や教材開発に向きがちだった実践を反省するきっかけになりました。
 その後,道徳が教科化されようという時期とも重なり,出版社の方との出会いが増えました。このことは,私の人とのつながりを更に広めてくれました。現在では,人権教育の時には少なかった関東地方の先生方とのつながりが多くできています。
 授業の中で生徒が泣くという場面はそうありません。道徳や人権教育の授業では生徒の涙が見られます。そのとき,その場にいる生徒の心は感動で大きく揺さぶられ,しなやかで逞しく成長を遂げています。現在,本校でも道徳教育には特に力を入れて取り組んでいます。今後も,道徳教育によって生徒の心を耕し,勉強ができるだけではない心豊かな生徒を育てていきたいと思っています。
※写真は昨年度の2年国語の時間の様子です。

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「つながり―人権教育編」
 前回は生徒とのつながりについて書きましたが,今後は大人の方々とのつながりについてシリーズで綴っていきたいと思います。まずは,私が特に大切にしてきた「人権教育」でできた「つながり」について紹介します。
 私が2校めに赴任した学校には,社会的に不利な条件の下で生活する生徒が多く在籍していました。校区には「同和地区」「福祉地区」「児童養護施設」「授産施設」などがありました。また,母子・父子家庭などの単親家庭の生徒,外国籍の保護者をもつ生徒も多く,そいういった生徒の割合が全体の8割を超える学校でした。それらの地区や施設の出身者に対する差別の厳しさや差別の結果として生まれる生徒の生活実態の厳しさも知りました。
 「子どもたちから学ぶ」とか「保護者の方から学ぶ」と簡単に言いますが,将にそういう毎日を過ごしました。結局,ここに20年間務めることになったのですが,この学校に赴任しなかったら多分私は全く違うタイプに教師になっていたと思います。精神的にも肉体的にもしんどい思いはしましたが,今となっては教師としての「芯」というか「軸」と言えばよいのか,そんなものを築かせてもらいました。
 この学校で一緒に務めた教職員とは今も仲良くさせてもらっています。家族よりも長い時間を共に過ごした仲間です。不安定な生活実態が原因で荒れる生徒に向き合い,寄り添って生徒や保護者の信頼を回復し,つながりを作って徐々に学校が変化していく過程に居られたことは今も教師としての誇りであり,喜びであり,感謝の対象です。
 人権教育に関わることで全国にもつながりができました。目の前の生徒や学校の課題の解決を目指して取り組んでいると,同じような人たちに出会うものなのでしょうか。次々と凄い(素晴らしい)人たちに出会いました。人権教育に関して言えば,徳島県の森口健司先生の名前を最初に挙げなければなりません。全同教(今の全人道同教)徳島大会の開会セレモニーで特別報告をしていた彼を始めて見た時には『世の中にはこんな凄い(素晴らしい)実践をする人が居るんや』と自分とは遠く離れた存在に感じたものですが,いつしか大切な友人の一人になりました。鳥取県の佐伯孝代さんもそうです。彼女はPTAとして保護者の立場から同和教育や人権教育に関わってこられました。今では毎年,本校の研究発表に来てくださっています。
 解放運動の立場から人権問題に関わっておられる人たちとの関係も忘れられません。「運動」と「教育」という違いはあっても,差別の解消・差別からの解放という共通の目的をもって行動することで心強く頼もしい中にも暖かなつながりができました。
 人権教育は素晴らしい教育です。今改めてこれを学校教育の根幹に据えなければなりません。この教育に出会えて私の教師人生は大きく変化し広がりました。今年度,人権教育を研究テーマとして取り組めることを,大変嬉しく誇らしく思っています。

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「つながり―生徒編」
 教師という職業の一番の特徴は,人と関わること,人を育てることです。人と関わるだけならば,営業や接客,販売など他の職業でもありますが,人にものを教え,心身を育むところまで行う仕事はそうはありません。人を育てるのですから責任は重大です。人が相手ですから悩むことも多いですがやりがいも大きいです。そして,その過程や結果として“つながり”が多くできます。今回は,今でもつながっている教え子との関係を幾つか紹介します。
 前回のエッセイで,小学校に40日ほど勤めていたことに触れました。当時私は確か4年生の担任だったのですが,今でもつながっているのは当時6年生だった女の子です。大学も卒業していないピチピチの若い先生だから,結構多くの6年生の女子と話をしました。でも,彼女はそういう中にいるタイプではなかったです。大人しく何事にも控えめで,でもしっかりとした上級生でした。私が中学校の教師を始めてからも何度か手紙をもらいました。(当時は,生徒に住所を教えることは珍しくありませんでした)やがて,年賀状のやり取りだけになりましたが,高校や大学に入学したとき,結婚したとき,母親になったときなど,写真入りの年賀状をもらってそのことを知りました。今はもう大人へと育った子どもさんのお母さんです。
 初めて担任をした学年の生徒で,今も年賀状のやり取りが続いている人は男女合わせて5人になってしまいました。このうちの女子2人については結婚式にも出席しました。一人は生徒会役員を務め,新人教師である私に生徒との関わり方を指南もしてくれました。もう一人は,どちらかというと立場の弱い子たちのグループに居ました。私はよくヤンチャな男子からのいじめに対する相談に乗ったり,いじめる彼らを厳しく指導したりしました。そんな子です。2人の美しく成長した花嫁姿を見たときには教師としての大きな喜びを感じたものです。前回,自分が小学生の頃の先生に影響を受けたと書きました。出会いでいえばもう30年以上前のことですが,この子たちが,私から何らかの影響を受けてくれていたら嬉しいです。
 先日,新型コロナウイルスの感染について職員室で話していました。この戦いが阪神淡路大震災や東日本大震災と最も大きく異なるのは,「人との関係を切る必要があること」だと聞かされて納得するとともに大きな衝撃を受けました。東日本大震災の時には「絆」という言葉が流行したりもしましたが,今回は「人との接触を8割避ける」と言われています。今の難局を乗り越えるためにはこのことは極めて大事ですし,これから始まるGWでは何としても実行しなければなりません。
 しかし,信じています。たとえ,一時的に離れなければならなかったとしても,私たちが教育を通じて作り上げたつながりはそう簡単に切れるものではありません。いえ,そうした「絆」があるからこそ,それを信じ,安心して接触が避けられるのです。
※写真は昨年度のものです。

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