京都市立学校・幼稚園
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top〜

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「自慢の生徒」
 楽しく有意義な修学旅行が終わりました。何よりも、在籍生徒全員で行って帰って来られたことが嬉しいです。今年度の全市の学校でも珍しいのではないかと思います。一人くらいは体調の悪い生徒が出たり、普段から学校に来にくい生徒が欠席したりします。事前の働きかけがあったのは当然のことです。生徒や教師が様々に働きかけ、しんどい雰囲気を払しょくして当日を迎えました。行ってみると、普段欠席がちなことが嘘のように楽しんでいるかのように見えます。でも、その子の中ではすごく頑張っているのです。周りの子たちも、ちゃんとそのことを察しています。気には掛けつつも必要以上の働きかけはしません。みんな、人間関係については大人顔負けです。大したものです。
 今回の旅行で、強く印象に残った場面を3つ紹介します。
 まずは、1日目の干潟体験・ガタリンピックのときです。制服から泥んこになってもよい服装に着替えて出てきました。これから始まる興奮で、集合の場面もワイワイ・ガヤガヤしていました。全体指揮の先生の声に交じって難聴学級の担任の先生が声を出します。「5組の子たちが補聴器を外しているので、周りの子たちが先生の指示を伝えてあげてね!」一瞬で静かになりました。
 次は平和祈念セレモニーと被爆体験講話を聴いた場面です。
 セレモニーでは、一糸乱れぬ整列状況の下、代表生徒のハリのある声で二条中3年生の平和宣言が語られました。そして、下平作江(しもひらさくえ)さんの講演です。生徒たちはピンと背筋を伸ばし、耳だけでなく目と心でも聴くことができました。聴きながら何度も頷く生徒が居たことが忘れられません。下平さんに頂いた名刺の裏に次のようなコメントがあります。「1945年8月9日、10歳の私は爆心地より800mの防空壕で被爆しました。自宅付近にいた母と姉は黒こげになり、長崎医科大学で被爆した兄は3日後に黄色い汚物を吐きながら死にました。私は髪が抜け歯ぐきから出血、体には斑点ができて苦しみました。二度とこのような同じ苦しみを与えてはなりません。」うちの生徒は、しっかりと下平さんの思いを受け止めました。
 3つ目は、お世話になった民家さんとのお別れの場面です。
 涙を流している女子がいます。涙をこらえながら「ありがとうございます!」と告げている男子が居ます。「元気でやんなさいよ!」オッチャンやおばちゃんの暖かい声が聞こえます。まるで田舎へ帰った孫を都会の家へと送り出す場面のようです。こういう体験が確実に生徒の心を育てます。
 これらの場面が特に印象に残った理由は、その他の場面では笑顔がはじけ、常に生徒がキラキラと輝いていたからです。“純粋な心”をもち、常に一生懸命でその瞬間を楽しむ生徒を一層好きになりました。離村式でも述べましたが、「自慢の生徒」です。

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