京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/25
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『第3回理事会』

 5日(金),午後7時30分から「令和2年度第3回理事会」を行いました。

 教頭先生に司会のもと進行します。
 冒頭に会長のあいさつがあり,続いて学校長から20日の「体育館竣工式」についての提案がありました。
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「応援に報いる」
 鳥取県倉吉市に看護師さんがおられます。お子さんが小中高校生の頃にはPTA活動を通じて人権の大切さを訴え続け,自ら行動をされるエネルギー溢れる方です。同和教育,人権教育を通じて知り合い,以来25年以上に渡って交流を続けてきました。私が歴任した学校の研究発表会には何度も足を運ばれ,貴重な感想や意見を残してくださいます。本校にも昨年度,一昨年度と2度来られ,子どもたちの力になる感想を寄せてくださっています。医療に従事しているという理由から今年度の研究発表会には来られませんでした。しかし,本校の研究や発表会,生徒の様子にはずっと興味をもち続けておられ,HPなど私が発信する情報を常に注意して楽しみにもしておられました。
 今年度の学校祭は保護者に来ていただけないことからDVDを販売するという情報もHPからチャッチされ,是非見たいと連絡を頂きました。先日,ようやく送ることができました。早速,感想が送られてきたので以下に紹介します。
 DVDそこに参加している気持ちで見せていただきました。私は、やっぱり二条中学校の生徒さんたちの一生懸命さ、短い時間でも、みんなで知恵を出し合い、協力し合い、工夫し合い本気で取り組む姿勢はすごいと思います。難聴学級の皆さんの、マスク下での悩みや戸惑い、そして、本当に自分たちがこんなことで困っているということを全校の前で表現できる日常の空気を感じました。みんなで手話をしっかりと自分たちの学校言語として理解し、自分たち一人一人のものにしてしっかり使い切れること、これは二条中ならではの宝物だと思います。それぞれの学年で、身近にあることに目を向け、何をどう伝えていくのか、自分たちは、それぞれが、各学年の取り組む内容に対し、どう考え、どうしたいのか、大道具や小道具の一つ一つに工夫を凝らし、一生懸命に向き合い作り上げていく姿はやっぱりいいです。各学年の出し物も、見ている私も自分の現実の、本当に身のまわりの小さなことにも振り返りながら、自分はどうだろう。自分はどう行動するだろう。自分は何と言うだろうと、発表を見ながら一緒に考えました。
 コロナ過で、ともすれば、「やるのは無理」、「何もできなくなった」そんな声をよく聞きます。でも、こんな時だからこそ、「あきらめたところからは何も始まらない。できるためにどうするかを考え行動するところから道は開ける」その言葉を実感します。
「どんな時でも、みんなの知恵と工夫と熱で何かできる。」この文化祭はそんな生徒会の皆さんの熱意の結晶だと思いながら見せてもらいました。そして、そのリードのもと、全校一丸となって何とかしようと懸命に頑張る姿にいっぱい力をいただきました。無理を言ってDVD 送っていただいてよかったです。二条中学校での生徒さんのたちの3年間は、卒業後もずっと生きていく学びだと信じます。今回も、先生の自慢の生徒さんたちをしっかりと感じることができました。
 二条中の応援団は遠く鳥取県にもおられます。応援してくださる人たちに感謝しつつ,足元を見つめながら輝かしい未来に向かって突き進んでいきたいものです。

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「いま改めて」
 約2か月に一度散髪に行きます。私の通う床屋は,30年以上前の教え子のお父様が営んでおられます。「先生,一回うちの店に来てよ!」そう言われて初めて行きました。仕事が丁寧で,細部にまでこだわってされます。そこが気に入って,私の頭は以来ずっとその店でしてもらっています。
 私を店に誘ってくれた「お姉ちゃん」は,私の担当していた学年の2つ下の学年に在籍していました。運動能力が高く,何でも器用にこなす生徒で,あらゆる場面でそれはそれは活発な子でした。今は40歳を超えて,彼女の娘がこの4月に中学生になるそうです。彼女の妹は,テニス部に入っていたのでより深く関わりました。私が最も部活動に力を入れていた時期の生徒で,その学年の部員は6人と少なかったけれども,その6人で春・夏と連続で団体戦ベスト8に入賞した自慢のメンバーの一人でもあります。研究発表の日には,これらのテニス部の生徒を玄関の辺りに居らせ,来校される皆様に元気よく可愛らしい挨拶をさせていたことは楽しく懐かしい思い出です。
 私の二人の息子も高校生になるまでその店でお世話になりました。床屋の椅子のひじ掛けの部分に更に小さないすの両側を渡し,その上にチョコンと乗って頭を刈ってもらっている姿を懐かしく思い出します。その子たちは,よく部活動にも連れていきました。部員が女の子たちなので,二人の面倒もよく見てくれました。私の指導中は,息子たちの遊び相手も順番に決めてやってくれていました。
 妹の方は現在,お父さんの仕事を手伝ってこの店で理容師として働いています。シャンプーと顔剃りとブリーチを入れる作業をこの子にしてもらっているのですが,初めての日,彼女が「先生の顔を剃るのは,メッチャ緊張します。」と言って,共に笑い合ったことも今思い出しました。
 先日の日曜日,家族で出かけた帰りに床屋に送ってもらいました。上の息子と妻も一緒です。二人はご主人と下の娘と久しぶりの再会です。特に息子は私よりも身長が高いので,二人ともビックリされていました。娘の方が「あの頃の先生に会ったような気分です。」と言った言葉が今も心に残っています。
 散髪を終えて帰る際,その日は店の外まで2人が出て来られました。
「先生,少し早いですが,長い間のお勤め,ご苦労様でした。」2人が深々と頭を下げてそう言われました。私が今年定年を迎えることをご存じです。次に店に来るのは4月になるだろうということを予想しての行動だとも思います。一気に胸が熱くなりました。人から自分の状況を認識させられることってあるんだと思いました。定年を迎えているということはもちろん承知していますが,その実感はまだありませんでした。こうして認識し,徐々に受け入れていくんだろうと思います。
 あとひと月,私にできることを見据え,二条中のために精一杯努めます。生徒,教職員のみんな,保護者,地域の皆様,改めて宜しくお願いします。

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「授業をつくる」
 昨日,久しぶりに授業をしました。2年生を対象にした道徳の授業です。もう何度も使ってきた教材で,開発した当時は新鮮で主人公のことを知らない生徒はいないような状態でしたが,今となってはそんな感覚はほぼなくなってしまいました。それでも,この教材にはまだまだ生徒の心を揺さぶり発言を促すような力があります。多くの生徒が思いを語ってくれました。
 「授業は生徒がつくる」「授業の主人公は生徒」これは当たり前のことで,全国の学校でそう言われています。しかし実際には,“話しているのは教師ばっかり”という授業が少なくないのが現実です。二条中学校に赴任して,生徒たちの行儀のよさにまず驚きました。そして,前で話す代表生徒の態度の素晴らしさや表現力の豊かさ,その内容の確かさに感心もしました。一方で,予め用意していた言葉で表現しているのを『もったいないな』と感じました。この子たちに授業の中で自分の想いを「自分の言葉と表現方法で語ること」の喜びを教えたいと感じたのはその時です。
 全校集会では,私が一方的に話をして終わらせるのではなく,その後に子どもを指名し,感想や決意を述べさせました。生徒たちは緊張感と興味をもって,「仲間の声を聴ける集会」に臨むようになったと思います。また学期に1度,「学年道徳」を担当させてもらいました。“生徒が自分を語るという授業の展開の仕方”を教職員に伝えたいと思って実践してきたつもりです。今ではそこから学び,アレンジを加えて自分のやり方で実践する教師が少なくありません。
 「生徒がつくる授業」,「生徒が主人公である授業」を続けていると,集団が高まります。集団が高まるとは,お互いがお互いのことを認め合い理解し合って,思いだけでなく知識や考え,理解の共有が始まり,より高度な考えや解答を求め出します。そうすると授業や学習が楽しくなり,授業に積極的に取り組むようになって,狭義の学力が高まるのは勿論のこと,集団の結びつき(絆)が固くなります。
 よい授業を見ると,その集団の中にいる生徒の表情が柔らかで,穏やかで,安心感に溢れています。先生の話や仲間の意見を聴くことが楽しいと感じられ,先生や仲間の声を共感的に聴き,照れや気負いもなく発言ができます。「教室は間違うところ」昔からよく聞きましたが,どうも納得できない言葉でした。しかし,よい授業の中では,生徒が間違いを恐れず発言をします。間違ったからと言って,周りから笑われたり批判されたりすることがないと知っているからです。
 授業づくりと学級経営とは切れない関係です。よい学級ではよい授業ができます。反対に,その学級を担当する教師集団が常によい授業を創造していればよい学級へと育ってもいくものです。授業づくりから集団づくりへと話が広がっていきました。
 久々に授業をして,有難いことに,改めて授業づくりについて深く考えることができました。

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「還暦」
「校長先生,僕も先生と同じ誕生日です。」「へぇー,お前も60歳か?」「えっ,そんな…。13歳になりました。」1年生の男子との会話です(笑)。1年生はまだやっと13歳になったところなのですね。彼らの人生はまだまだこれからです。
 自分が60歳になるなんて,私の方は想像もしていなかった現実に直面しています。昨日の自分と比べても何も変わったところは感じませんが,10年前の自分,20年前の自分と比べると,確かに色々なことが変化しました。跳んだり走ったり投げたりの運動は,如実にその能力が低下しました。物覚えが悪くなり,物忘れも多くなりました。人の名前が“スっ”と出てきません。老眼鏡はもう何本ももっています。一方で,道端の草花や夜空の星に季節の移りかわりを感じたり,人と交わす挨拶や会話の内容が豊かになってきたりと,密かに喜んでる部分もあって,年をとることが悪いことばかりではないと思えたりもしています。
 さて,ついに還暦を迎えました。家族以外に本校の子どもたちや教職員からも盛大に祝ってもらい,大変嬉しい思いもしました。そもそも戦前の平均寿命は50歳に達していませんでした。還暦祝いの習慣は鎌倉時代に始まったらしいのですが,その当時の寿命はもっと短かったでしょう。だから,60歳の還暦は「長寿のお祝いとして」定着したようですが,今では「その人にこれまでの感謝の気持ちを伝えると共に,“これからもよろしくね”という気持ちを伝えるお祝いの場面」となっているようです。
 この際,還暦の意味について記しておこうと思います。「干支(えと)」という言葉があります。「今年の干支は丑(うし)」と言ったりしますが,正確にはこれは間違いです。干支は,甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の「十干(じっかん)」と,子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の「十二支(じゅうにし)」との組み合わせによって表されます。だから,「今年の干支は『辛丑(かのと・うし)』」というのが正しい言い方になります。ところで,10と12の最小公倍数は60で,同じ干支は60年に一度巡ってきます。つまり,『辛丑(かのと・うし)』の年に生まれた人は,60歳になったときにやっと干支が一回りすることになるので60歳を還暦と呼ぶのです。ああ,ややこしい。
 生徒会の取組で,「今年を漢字一文字で表現してください」という依頼を受けました。色々考えましたが「再」という文字を書いて提出しました。「再出発」,「再挑戦」などをイメージしています。干支を一回りして,今とてもフレッシュな気持ちでいます。
 今年度は,もう残り2か月を切りました。この間に生徒のため,教職員のため,保護者や地域の皆様のため,二条中学校のためにできることを考え,全力でそれに取り組みます。それが,還暦のお祝いをしてくれた皆さんへの恩返しだと思っています。

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「立春にあたって」
 今年の「節分」は1897(明治30)年以来124年ぶりに2月2日になったということで,TVや新聞で随分多く取り上げられました。「節分」とは四季を分ける節目のことで「立春」の前の日です。節分は2月3日だと思い込んでいたので,なぜこういうことになったのか調べてみました。
 立春,立夏,立秋,立冬などは,太陽と地球の位置関係で決まります。地球が太陽の周りを1周するのにかかる時間は365日ぴったりではなく,それよりも6時間弱長いのだそうです。毎年少しずつずれていき4年で24時間ほどずれるので,4年ごとに「うるう年」を設け2月29日をつくってそれを解消しています。ところが,先ほど「6時間弱」と書きましたが,この「弱」の部分が問題になってきます。「うるう年」を作っても若干ずれたままです。それを修正すると,124年ぶりに節分が1日ずれたというのです。ところが,次に2月2日が節分になる年は124年後ではなく4年後の2025年だということです。このずれは400年で3日ほど起こるらしく,それを解消するのは2000年付近に多くなるのだそうですが,このあたりで理解不能になりました(笑)。
 さて,昨朝の登校風景のHPの本文にも書きましたが,全国的に教員を志望する若者が大幅に減少しているということです。理由には教師という職業の勤務条件の悪さが挙げられています。部活動等で休日の出勤があることのほか,生徒指導や保護者対応で帰りが遅くなることなどがその具体的な内容です。「わたしも教師になりたかったのですが,倍率が高すぎて断念しました」と,或るTVキャスターは語っていました。20年程前までは確かにそうでした。倍率が高かった頃は,「教職の魅力」について語られることが多かったのに,今はそれには言及されず「条件の悪さ」ばかりが声高に叫ばれているので寂しく感じます。
 二条中学校の様子を観ていると,生徒と教職員との関係は良好で,他校の教職員から羨ましがられるほどです。授業では新しいことに積極的に取り組んでおり,創造する喜びが感じられます。部活動にも諸行事にも生徒は一所懸命に取り組み,指導する教職員も一緒に楽しんでいます。保護者や地域の皆様も学校の応援団として暖かく支えてくださっています。難聴学級や総合支援学級,通常学級に在籍する支援の必要な生徒への特別な取組や全ての生徒に対して丁寧に指導する方針のために帰宅時刻が少々遅くなることはありますが,大いに遣り甲斐のある学校とみてよいと思います。
 冒頭に「節分」の話を書きました。「節分」というと,暦の上ではもう春です。今後は,高校入試から卒業式,修了式に向けて今年度の締めくくりを大切に行いながら,来年度の諸準備を始めなければならない時期です。
 可愛く大切な生徒のため,今後も二条中学校の教職員は緊張感をもって取り組んで参ります。教職に興味のある若者に本校の教職員のそんな毎日を見せたいくらいです

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「ちりも積もれば…」
 山茶花の花がその盛りの時期を終え,とうとう散り始めました。年末から多くの人の目を楽しませてくれたその木々に感謝しながら,最近は毎朝花びらを拾い集めるのが日課になっています。それらの花びらは一枚なら全く重さを感じないのに,ちりとりに一杯になると結構な重さになります。
『あー,花びらにも重さがあったんや!』まだ夜が明けきらない道端で,そんな当たり前のことに小さく感動したりもしています。
 さて,1月が終わります。2月になれば受験シーズン本番を迎えます。私立高校受験に続いて公立高校の前期試検です。本校の場合,これまでこの段階で半数を超える3年生が進路を決定してきました。3年生は今,不安と向き合いながらも,自分で決めた内容の勉強を毎日やり続けていることだと思います。
 私の高校,大学入試というと,40年以上も前になります。合格するという保証がない中,やはり不安を抱えながら勉強していたことを思い出します。特に高校入試の際には進学塾や予備校へ通っていたわけではないので,どんな教材をどのようにやっていけばよいのか,それすら分からないままに勉強を進めていました。そんな中で,今も覚えている勉強方法があります。
 数学と英語に関しては薄めの問題集を購入しました。その問題集には「基本問題」「練習問題」「発展問題」があり,徐々に難しくなっていました。自分勝手に「発展問題まではできなくてもいいだろう」と思い,「基本問題」と「練習問題」については“問題を見たら解き方が分かる”ところまで繰り返しやることを決意しました。また,社会科の学習については,教科書のページ数を見て,例えばそれが300頁あるとすれば,「一日30頁読めば10日で一回読み終えられる」と単純に受験までの日数を考慮して何度も読み込むことにしました。
 私は,子どもの頃から「やると決めたら実行できるタイプ」で,毎日毎日単純に繰り返しました。どんなに疲れていても,眠くても,『今日は頭に入らないなあ』と思える日でも問題集と教科書読みとを続けました。いつの間にか,教科書の一部分を読めばその先が出てくるまでになり,問題集や教科書の端っこの汚れまで覚えていられるようになりました。今思い出すと恥ずかしいくらい武骨で単純で原始的な勉強方法ですが,当時はそれしか思いつかず,その方法が正しいと信じて取り組みました。毎日コツコツと取り組み,何度か問題集や教科書をやり(読み)切ると,不思議と自信が湧いてきたことを思い出します。
 3年生が授業で取り組んでいる諺160選の中に「ちりも積もればやまとなる」があります。意味は「ほんのわずかな事でも,それが重なり集まると大きなものになる」とありました。皆さん,小さなことでも大いに結構,自分の決めたことに粘り強く取り組んでみてはどうでしょうか。山茶花の花びらはそんなことを思わせてくれました。

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「民主主義の日」
 1月20日(日本時間21日未明)首都ワシントンDCで,第46代アメリカ合衆国大統領の就任式が行われました。その模様は翌朝のニュースで見たのですが,朝食をとる手が止まるほどジョー・バイデン新大統領のスピーチに引き込まれる格好になりました。スピーチと共に流される字幕を目で追うと「アメリカの日」「民主主義の日」「歴史と希望の日」という言葉が現れ,それに強烈なインパクトを受けました。また,「私は,私を支持しなかった人のためにも一生懸命闘います。全てのアメリカ国民の為の大統領になることを誓います。」という言葉にも心を奪われ,後にインターネットで全文を検索することになりました。
 新大統領のスピーチを見て,特に興味深かった部分の和訳を紹介します。
「1863年,エイブラハム・リンカーンは奴隷解放宣言に署名しました。大統領は,紙にペンを置いたときこう言いました。「もし私が歴史に名を残すことがあれば,それはこの行為によるものだろう。私は全霊を注ぐ。」私も全霊を注ぎます。今日,1月のこの日に私の魂をこれにかけます。アメリカを団結させ,国民を団結させ,国を団結させます。…略…私を支持してくださらなかった方々もどうか私の声を聞いてください。。…略…もちろん,意見の違いはあっても構いません。それが民主主義です。平和的に異議を唱えること,それがこの国の一番の強さなのかもしれません。意見が違うからといって国が分断されることはありません。」
 前大統領の政治を強く意識した内容であることは確かですが,ここに全世界の人間が改めて認識し直さなければならない内容があると思うのです。意見の違いがあっても,学校や会社,役所などの組織が分断されることはないということです。意見を闘わせても,共通の目的に向けて共に取り組んだ時,そこには団結が生まれるのです。
 昨日,本校の先生の授業がビデオ撮りされました。今後,本市の特に若手教師が研修に用いるためです。「一人学び」→「グループ学び」→「全体学び」と話合い活動を中心に生徒全員が熱心に取り組む様子が撮影されました。本校の生徒や教職員にとっては既に珍しい授業形態と進行ではありませんが,他校の先生方にはそれがセンセーショナルに映るのかもしれません。3年間,研究の方針に沿ってこの授業改革を行ってきましたが,最初から全員が諸手を挙げて賛成した訳ではありませんでした。しかし,意見交換を繰り返しながらも“生徒の力を引き出し伸ばす”という目的のために取り組んできた結果,組織は団結し“チーム二条”が出来上がったと自負しています。
 世界の社会には様々な立場の人々が暮らしています。人種や民族,国や国籍,思想や宗教,文化や習慣,男女,障害のあるなし,貧富など,そこに差が生まれ対立が生まれることもあります。これらも同様です。互いの違いを認め合い,共に幸せに生きることは十分に可能なことだと信じます。いえ,そうでなければならないのです。

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「忘れてはいけない」
 1995(平成7)年1月17日,午前5時46分。兵庫県南部を震源地としたマグニチュード7.3の大規模地震が発生しました。6.434人もの人が犠牲になり,後に「阪神淡路大震災」と名付けられた大災害です。あの日から今日で26年が経ちました。 今年度は,新型コロナウイルスの感染拡大が一向に収束の気配をみせない中,様々な行事が中止あるいは縮小されているようですが,この日のことを忘れてはいけません。
 『もう26年も経ったのか』正直な感想です。本校にも,まだ生まれていなかった先生がいます。金曜日(15日)には避難訓練を行いましたが,その日は職員室でも自然と当時の話になりました。会話に参加していた者は既に教師として働いていましたが,当時の勤務校は皆バラバラです。しかし,その時に感じたり生徒に対して話したりしたことは共通していました。ほんとうに興味深い話ですね。
 去年の避難訓練の際も話しましたが,当時は上の息子が2歳,下の息子は妻のお腹の中に居ました。大きな揺れを感じて飛び起き,妻と子どもたちが寝ている隣の部屋へ行くと,妻は四つん這いになって上の息子を守っていました。まだ20代後半で6歳下の妻を始めて“頼もしい”,“逞しい”と感じた出来事でした。その時,教頭先生の奥様はもっと若く,初めてのお子さんを出産されたばかりだったそうですが,同じようにされていたと聞きました。こういう緊急事態にはそのようにするのだとマタニティー教室で教わっていたのでしょうか。いえ,きっと母親の我が子を守ろうとする本能なのではないかと思います。
 緊急事態宣言が発出されたことで,避難訓練そのものを中止,或いは延期しようかという意見もありました。しかし,コロナウイルスによる感染が起こっていようと,そんなこととは関りなく地震をはじめとした災害は起こりえます。だから決行することにいたしました。その考えに反対する教職員は一人もいませんでした。また,訓練の様子を第3者の方に観て頂き,ご意見をもらう必要があると思って消防署の方には一人に限定して来てもらうことにしました。講評では,期せずして先に書いた通りのコメントを頂きました。「コロナウイルスの感染が収束せず大変な時ですが,だからと言って地震が起こらないということはありません。皆さんが真剣に訓練に参加をしている様子を観て感心すると共に安心いたしました。」
 地震の後に広がる火災,倒れた阪神高速道路,次第に明らかになっていく神戸市をはじめとする街の惨状,初めて知った液状化現象,TV画面の右上でドンドン増え続ける犠牲者の人数…,せめてこの日には思い出し,学校や家庭で子どもたちに伝えていかなければなりません。滋賀県から左京区に至る「花折断層」は,いずれ近いうちに動くと予想されています。その地震の規模はM7.5,上京区の震度は7になるだろうとも言われています。その時に,阪神淡路大震災の教訓を活かすためにもです。

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「晴れの日」
 今年度最高の寒波が日本列島を襲っています。京都市も最低気温が−3度以下になり,庭の手水鉢の水も見事に凍り付きました。3学期が始まって1週間が過ぎて3連休を迎えています。その3日目が「成人の日」です。
 さて,グーグルで“晴れの日”と検索を掛けてみると,そのトップに「多くの人から注目されて光栄に感じる日。待ちに待った,その人の人生において記念すべき日。人生でただ一度になるだろうめでたい日」と書いてありました。
 成人を迎える人たちにとって,将に成人の日は「晴れの日」です。毎年,晴れ着に身を包んだ新成人たちが街にあふれ,何とも言えない華やかさと賑やかさを感じる日です。しかし,新型コロナウイルスは「成人の日」さえ変えてしまいました。京都市が主催する成人式は開催されるようですが,おそらくその内容は縮小されるのではないかと思います。参加者も感染拡大防止に留意する必要があるでしょう。
 例年この日の夜には楽しみがあります。どの学校の卒業生も初めての同窓会を企画するからです。校長として初めて赴任した花山中学校の卒業生たちは学年の先生方と一緒に私まで呼んでくれていました。5年の年月を経てすっかり大人になった卒業生に会うのが嬉しく,今年も楽しみにしていましたがどうも同窓会は出来なさそうです。
 京都市情報館のトップに今年度の成人式のことがアップされています。
 京都市では,参加者の方が,この日のために感染予防や参加準備を進めてこられているなかで,感染拡大の状況を踏まえて,主催者として実施や延期等様々な意見のあるなかで十分に検討を行い,新成人の自覚と責任感を信頼し,一層の緊張感をもって,徹底した感染症対策を行うことで,予定どおり開催することを決めました。
 また,感染防止についても「少人数でも式典前後での飲食を控えること,式典終了後は速やかに帰途についていただく…」と言及しています。新成人の若者たちもその内容を理解し,協力してくれることと思っています。
 5年の月日は大きいです。ほとんどの卒業生は大学生になっていますが,中には社会人としてバリバリ働いていたり,親になって子どもを育てている人が居たりもします。どの卒業生も立派に成長し,自らが選択したそれぞれの道を歩んでいる姿を見ると,教師になってよかったなと思ったりもさせてもらえます。
 今年度は,向島中学校の卒業生たちからビデオメッセージを依頼されました。先生方からのメッセージをユーチューブを使ってみんなで共有するのだそうです。便利な時代になったものですね。卒業生たちに会えないことは残念ですが,彼らが未来に向かって歩み続ける姿を応援する気持ちは例年と変わりありません。
「みんなぁー,げんきかぁー! ええか,頑張って生きていくんやでっ!」

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