京都市立学校・幼稚園
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「私たちにできること」
 「愛の反対は、憎しみではなくて無関心です。」マザー・テレサの有名な言葉です。テレサは、インドのカルカッタで、放っておけば誰からも見放され独りで死んでいくような人々を救済する活動を始めます。彼女のこの活動は、後進の修道女たちによって全世界に広まります。彼女はこの活動を始めたことが認められて1979年にノーベル平和賞を受賞しましたが、テレサは授賞式にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと革製のサンダルという身なりで出席しました。授賞式でのスピーチは有名です。
「私は皆さんが考えておられるようなノーベル平和賞の受賞者には値しません。でも、誰からも見捨てられ、愛に飢え、死に瀕している世界の最も貧しい人びとにかわって賞を受けました。私には受賞の晩餐会は必要ありません。どうか、その費用を貧しい人たちのためにお使いください。私に与えられるのは祈りの場だけしかないのですから。」
 マザー・テレサが授賞式後、マスコミのインタビューに答えたときのやり取りを以下に紹介します。私は初めて知ったとき深く考えさせられたのですが、案外知られていません。
○記 者:「世界平和のために、私達に出来ることを教えてください。」
○テレサ:「家に帰って、家族を大切にしてあげてください。」
 修学旅行で平和セレモニーを行いました。それに向けて、学校で何度も練習も行いました。『こんなことをして、いったい、なんになるの!?』生徒の中にはそう思っていた人が居たかもしれません。また、『こんなことで、世界が平和になる訳がない!』と考えていた人が居てもおかしくはないと思います。平和セレモニーの練習を繰り返す様子を見ていて、先ほど紹介した記者とマザー・テレサの会話を思い出しました。
 当初、テレサは『こんなところにいつまでも居てつまらないインタビューをしていないで、早く家に帰って家族と関わってあげなさい』と、記者に皮肉を込めて答えたのではないかとも思っていました。しかし、後になって考えが変化しました。『大それたことを考える必要はありません。あなたはなたが出来ることを精一杯やればよいのです。それがきっと世界の平和という大きなものへ繋がっていきますよ。』そんな純粋なメッセージだったと思うようになったのです。
 私たちは大統領でも総理大臣でもありません。その言動で大きく世の中に影響力を与えられるような人ではないですが、それでもできることはあると思うのです。
 平和セレモニーを真剣に行うこと、それに心を込めることは、国の首脳が世界平和について会談することに比べればちっぽけです。でも、多くの国の名もない人々がこのような取組を繰り返すことが世界に平和をもたらす第一歩だと思うのです。どんな時、どんな場面でも自分たちにできることに心を込めて一生懸命やりたいものです。

『”てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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『おきなわマジック』
 15日の午後10時30分過ぎ、沖縄への修学旅行校から無事学校へ到着しました。ホントに中身の濃い有意義な3日間だったと思います。
 学年主任が生徒集団の前で涙したのを見たのは今回が2度目です。1回目は前任校で長野県への修学旅行へ行ったときです。スキー講習が終了して、これで帰るという場面の集会で学年主任が次のように言いながら声を詰まらせました。
「雪の魔法のお蔭で、君たちを叱る場面がなかった。こんなに楽しい3日間はなかったし、君たちの成長した姿を見られて嬉しいです。」
 今回は学年レクレーションが終わった後でした。『何事が起ったのか!?』と驚いた生徒も少なくなかったようです。ほんの一瞬時間が止まったように感じました。
「これまで何度も叱ってきて、心配もしてきたけど、今日のレクでのまとまりと盛り上がりを見て、先生はホンマに感激した。これできっと、これからも1・2年生の見本としてやっていけると思う。」
 修学旅行に掛ける学年主任の思いは特別です。旅行団の団長は学校長が努めますが、1年の頃から計画し、旅行会社の方と交渉を進め、生徒を動かし、学年の教職員をまとめて取り組んできたのは学年主任だからです。
 生徒の良い所をたくさん見つけることが出来た3日間でした。一人ひとりの意外な一面を発見したりもしましたが、集団としてもたくさんあります。私の場合、特に印象に残っている場面は「平和セレモニー」と「海での活動」です。“静”と“動”の二つのこの場面は、私にこの学年の姿を改めて認識させてくれたと思っています。
 「平和セレモニー」は毎年見てきました。『今年はどんなふうになるのか』毎年、楽しみな部分と不安な部分があります。正直に書きますが、最初の練習から観てきたからかも知れません。今年は不安な気持ちが勝っていました。ところが、それを子どもたちは見事に杞憂に終わらせてくれました。これまで経験してきたどの「平和セレモニー」にも負けてはいません。立派な態度と内容でした。観ていて、心が震えました。
 「海での活動」は、あの子たちの“子どもらしい部分”を存分に観ることが出来たと思っています。無邪気に遊ぶ姿を心から『愛おしい』と感じました。
 翌朝の学年集会で、主任が生徒たちに「顔つきが変わってきた」と語っていましたが、私も全く同じことを感じながら観ていました。
 前任校の主任は「雪の魔法」と表現しましたが、今回は「おきなわマジック」が生徒を大きく変容させてくれました。場所・人・状況など、「おきなわマジック」のタネは幾つもあると思います。ただ、この変容がこのまま3月の卒業まで継続し、生徒たちが更に成長し続けていくことを願うばかりです。

1年生校外学習 その4

二条中学校から1時間ほどバスに乗り,降りてから少々上り坂を15分ほど歩きます。
もうちょっとで着きます,がんばれ!
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「いざ沖縄へ」
 来週、沖縄への修学旅行に出発します。昨日も今日も学年集会を行い、集団行動や平和セレモニーの練習などをしました。
 修学旅行で沖縄へ行くのはこれが7回目です。校長になって以来10回目の修学旅行ですが、この間、スキー研修を主目的とした長野県への修学旅行を2回と九州長崎方面へのそれを1回経験しました。それらも楽しく意義深い内容でしたが、やはり沖縄への修学旅行は特別です。これまで何度か述べてきましたが、私はその魅力が、絞りに絞り込んで3つあると思っています。
 1つめは飛行機に乗ることです。多分初めて経験する生徒が半数以上居るでしょう。荷物検査時や離着陸の際の生徒の緊張感はまるで目に見える様です。特に飛行機の離着陸の際には大抵拍手と歓声が上がります。この瞬間、自校の生徒たちのことをたまらなく可愛らしく愛おしく思えます。
 2つめは平和学習です。長崎に行った際にも平和学習を行いました。この時は原子爆弾によって一瞬に街が、そして多くの人々が死に絶えたこと。今も苦しんでいる人が多く居ることを学びました。一方、沖縄では地上戦の厳しさを学びます。間違った価値観のために、沖縄の民間人からも多くの犠牲者を出してしまったこと、基地問題をはじめとして、人々が今も戦争の脅威と隣合せに生活している実態などを学びます。特に壕(ガマ)に入って語り部さんの話を聴く体験は、子どもたちのこれからの人生に大きな影響を与えてくれるはずです。
 3つめは民泊体験です。沖縄の人々の何とも言えない心の広さ、人としての大きさが子どもたちの心を包みガッチリと捉えます。たった1泊の宿泊ですが、島の人たちは言います。「一日一緒に過ごしたら、もう島の子。また、いつでも戻っておいで!」そう言って別れの場面では「行ってらっしゃい!」と送り出してくださいます。こんな風に言われたら、中学生たちにはたまらんですよね。涙しながら別れを惜しんでいる場面を何度も観てきました。
 先ほど、結団式を終えて校長室に戻ってきてこれを書いています。集団指揮・生徒指導・学年主任・平和セレモニー担当など、それぞれの立場の先生と、生徒の代表が修学旅行に掛ける思いを語りました。平和セレモニーの最後の練習もしました。直前に注意を受けたこともあって、最後のそれが一番良かったです。多分、本番は周りで観ている人たちが感嘆の声を上げるような立派なセレモニーが出来上がると思います。
 沖縄の人たち、青い海・緑の山々・鳥や動物たちなど豊かな自然、戦争も含めた歴史と文化、もうすぐ二条中学校の生徒がそちらに行きます。私たちの自慢の生徒たちは、それらをいっぱい吸収すべく出発の時を待っています。
 子どもたちとの出会いを大いに期待していてください。いざ、沖縄へ!

『授業の様子』2年その3

 1組は理科です。電気分解の実験でしょうか。

 生徒たちは興味をもって聴かせてもらいます。
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「若者に臨むこと」
 これまで経験したことのない10連休のGWが終わろうとしています。3日までは各部活動の試合があって、忙しくも楽しみな日々を送っていましたが、4日からは、特にすることのない1日がとても長く感じられます。それでも、今春の就職で家を出た下の息子が帰ってきたので、買い物に行ったり食事をしに行ったりで楽しく過ごしました。
 GW中の世の中の動きで言えば、何と言っても「平成」の時代が終わり「令和」の時代が始まったことです。新旧天皇の、それぞれ退位と即位の儀式がTVで生中継され、私も興味深く見ました 
 30年前の改元は昭和天皇の崩御を伴うものであったため、様々な場面で“自粛ムード”があり、国全体に沈んだ雰囲気がありました。それと比べて今回は、各地で花火が打ち上げられるなど、まるで新年を迎える大晦日の夜のような華やかさがありました。国全体、国民全体が新しい時代の幕開けを歓迎し祝福し、期待し、頑張ろうと決意していることを心地よく感じたところです。
 新旧天皇が退位と即位の儀式の中で強調されていたのが「象徴としての天皇のあり方」です。本校ではGW前の憲法の話のための全校集会でそのことに触れましたが、天皇が「元首」から「象徴」へと変わったことについては、中学生だけでなく、国民全体がもっと深く考えなければならないと思っています。
 令和の幕開けについて、“よいムード”だと思う反面、若者たちの軽々しさを危うく感じるのは、私が社会科の教師だからでしょうか。あるいは、60歳に近づいたオッサンだからかもしれません。日本国憲法は、その第1条で天皇の地位について次のように規定しています。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」
 戦後生まれ人たち、特に平成生まれの若者たちは、天皇の地位は主権のある国民の総意に基づいていることに対して自覚と責任をもたなければいけません。
 また、GWといえばもう一つ忘れてはならないのが部活動の試合結果です。
 今年度は、現在野球部がベスト4に残っているほかは、すべて敗退しました。男子バスケットボール部やバレー部のように惜しい試合はありましたが、負けは負けです。敗因をしっかりと分析して夏の、3年生にとっての最後の大会に向けて精進してほしいと思います。野球部の強さの秘訣を考えてみました。勿論、タレントが揃っているという部分はあると思いますが、何と言っても全員が野球をよく知っていること、そしてミスをしないことです。だからこそ、“ここぞ”という場面で得点をしますし窮地を凌ぎます。11日には準決勝と決勝が行われる予定です。ぜひ優勝してほしいです。そして、他の部に刺激と目標、そしてエネルギーを与えてほしいです。
 本校の中学生をはじめとして若者へ、今伝えたいことをまとめました。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「有朋自遠方来 不亦楽乎」
2011年9月15日14時55分
『歌や踊りで福島の修学旅行生おもてなし』
 東日本大震災の後、京都市立花山中(山科区)の生徒たちが、福島県須賀川市立小塩江(おしおえ)中と交流を続けている。
12日には、修学旅行で京都を訪れた小塩江中の3年生をもてなした。 花山中の澤田清人校長は、小塩江中の西内英理校長と大学時代からの知人。その縁で震災後、生徒たちに呼びかけ、小塩江中にメッセージカードや千羽鶴を送り、手紙のやりとりをしてきた。
 花山中の生徒たちは12日、同校に立ち寄った小塩江中の3年生17人を「京炎そでふれ!」の踊りで歓迎。生徒会メンバーが部活動中の校内を案内した。 野球部員は廊下でAKB48の「会いたかった」を熱唱。吹奏楽部員は演奏で、女子バレー部員はエールで、それぞれ歓迎を表した。最後は「修学旅行楽しんで」と手を振り、バスを見送った。
 小塩江中は、福島第一原発から約55キロの距離にある。花山中の生徒会長、中村朱里さん(3年)は「事故で大変だと思う。自分たちもやれることをやりたい」。小塩江中の生徒会長、佐久間佳乃子さん(3年)は「歓迎がうれしかった。また会いたい」と喜んだ。
 澤田校長は「生徒たちに震災を身近に感じてほしかった。頑張る姿を見せることは、『頑張って』の言葉よりも励ましになったはず」と話す。今後、生徒たち自身で交流を深めてくれることを願っている。
(竹山栄太郎)
 これは8年前の新聞記事です。朝日新聞社の電磁版に残っていました。
 昨日、この西内校長が京都に修学旅行でやってきて二条中学校を訪問されました。当時は二人とも50歳。彼はその後いったん教育委員会で勤務し、去年教育現場に復帰しました。私も二度の人事異動を経験して本校に居ます。8年の間に色々なことがありました。嬉しいことや楽しいことのほか、悲しいことや辛いこともありました。
 西内校長との出会いは大学生時代ですからもう40年近く前になります。全国の教育大学の軟式テニス(今はソフトテニス)の大会が年に一度開催されていました。私が京都、彼は宮城の教育大学に在籍しており、共に1回生の頃から試合に出ていました。妙にウマが合い、毎年レセプションでは楽しく飲んで騒ぎ合った仲です。
震災直後、彼の学校へ電話し、「月並みなことしか言えへんけど、がんばれよ!」と言って電話を切ろうとした瞬間、受話器の向こうで号泣する声が聞こえました。
「ありがとうね…、ホントありがと!」学校を預かるものとして、ぎりぎりの精神状態の中で頑張っていたのだと理解し、こちらまで涙したのを覚えています。
 その彼が本校を訪れてくれました。校内を案内し、教育や教師人生について、本校の教育や研究について話し合いました。「友あり遠方より来る また楽しからずや!」旧友と会うのは良いものです。生徒の皆さん、良い友達をたくさん作ってください。
 そんな友の存在が心の支えになったり、窮地から救ってくれたりするものです。

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「タイガーの優勝」
 ゴルフをやらない人でもタイガー・ウッズの名前を知らない人は居ないだろうと思います。スポーツ界を代表する超有名選手です。43歳になった彼の人生は波乱に満ちています。20歳になるかならないかの頃に彗星のごとく現れ、プロ転向後わずか3年で世界ランク1位になると、実力に加えてその派手なパフォーマンスが人気を集め、ゴルフ界を越えてスポーツ界のスーパースターとなっていきました。当時、8歳の頃に70台のスコアを出したといった報道がされ、ゴルフをする者は衝撃を受けました。
 ゴルフは標準打数が決められており、打った打数が少ないほど成績が良いスポーツです。因みに、勝負は1試合18ホールで行われ、普通72打が標準打数で、その通りで終えるとパー・プレイということになります。私はもう30年近く趣味としてやっていますが、いまだに90打(ボギー・プレイ)切りを目指して取り組んでいます。
 しかしその後は、不倫騒動、度重なる腰の手術、薬物の使用、交通事故、逮捕と頂点から陥落することになります。絶頂期からは想像もできないような容貌の写真が報道された時には、『人はこんなにも変わるものなのか!?』と我が目を疑ったものです。多くのファンは彼を強く批判し離れていきました。そして、ゴルフ界のスーパースターは世の中から忘れ去られました。2010年に復帰しますが、成績は芳しくない状態が続きます。そのタイガーが、ゴルフのメジャーの舞台に完全復帰を果たしたのはまだ去年のことです。そして何と、先週の日曜日(日本時間では月曜日早朝)、メジャー大会の1つであるマスターズで優勝を飾ったのです。
 大会は4日間で行われますが、3日目からタイガーの追い上げが始まりました。最終日は早朝からTVに釘付けで、お蔭で今日もまだ寝不足を引きずっています。生徒の前で眠そうな表情を見せることは決してありませんが(笑)。
 人生で上手くいかない時は誰にもあります。しかし、挑戦し続けることによって、人は輝きを取り戻せるのだということをタイガーは証明してくれました。 
 優勝インタビューで彼は次のように語っています。
「僕は決して諦めなかった。諦めないでやることでしか道は開けないんですよ。」この言葉は、試合の4日間についてのコメントなのか、或いは、人生のどん底から這い上がってきた数年間を振り返ってのコメントなのかは分かりません。「6か月前から準備してこの大会に合わせてきた」と本人が言うところから推し量ると、きっと後者でしょう。優勝賞金は、何と207万ドル(約2億3180万円)です。凄い額ですね。
 一度はファンから見放されたタイガー・ウッズは、その諦めない気持ちと行動力、確かな実力が認められ、再びファンの大喝さいを浴びることが出来ました。タイガー・ウッズの復活劇に勇気をもらったのは私だけではなかったと思います。

『認証式』その2

 各クラスの委員になった人たちの名前が呼ばれます。呼ばれた人は起立します。

 今日はみんな大きな声で返事が出来ました。こういうこともちゃんとやればかっこいいです。

 
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「純粋な心に応える」
 「中学生になった私たちは、さまざまな挑戦をしていこうと思っています。時にはつらく、苦しむこともあると思いますが、そんな時には、周りの仲間に助けを求め、前に一歩ずつ進んでいきたいです。
そしていつかは自立して、自分で考え、行動できる人になれるよう努力していきたいと思います。最後になりましたが、校長先生をはじめとする教職員の方々、PTA、ご来賓の皆様、上級生の皆様、本日はこのような立派な式で私たちをあたたかく迎えて下さり、ありがとうございます。そして、これまで私たちを育て、支えて下さった、お父さん、お母さん、家族のみんな、これからは、小学校で経験したことをもとに、目標に向かってたくさんの挑戦をしていきたいと思います。皆様、時には厳しく、時には優しく、見守っていただきますようお願いいたします。」
 入学式で新入生が述べた「誓いの言葉」から引用した結びの部分です。
 半月前まで小学生だったとは思えないほど洗練された内容です。一方、3年生になったばかりの生徒が新入生に向けて次のように述べています。
 「安心してください。そんな気持ちはすぐに吹き飛びます。先生方はいつでも優しくご指導してくださいます。私たち上級生はいつでも皆さんのお手伝いをします。また、これから3年間を共に過ごす仲間はきっと心の支えになってくれます。何か困ったことがあれば、頼れる先生や先輩、友達に相談してください。(略)新入生のみなさん、私たちの愛する二条中学校へようこそ。今日からこの二条中学校の仲間と共に学び、共に笑い、たくさんの思い出を作っていきましょう。そして、この由緒ある二条中学校で伝統と文化を築いていきましょう。中学校生活を存分に楽しんでください。」
 小学校の入学式、高校の入学式、そして幼稚園の入園式にも出席しました。そのいずれでも聞かれなかったのがこうした新入生と先輩とのやり取りです。こんなに素直なそして純粋な言葉のやり取りに、入学式に立ち会った大人たちは心が洗われたような気持ちになりました。幼稚園の入園式には本校の入学式にも来ていただいた方が居られ、その方が私に対して一番に言われたのがこれらの生徒の言葉についてでした。
 中学生のまっすぐな気持ちに応えなければなりません。また、それを更に太く大きく伸ばしていかなければなりません。中学生の教育に携わる私たちの責任は重大です。これまでの実践を振り返ると、反省させられる部分がきっとあると思います。
新入生の言う「つらく苦しむこと」があったとき、本当に力になってあげられたでしょうか。3年生が言ったように「先生方はいつでも優しく」指導できたでしょうか。また、「頼れる先生」で居られたでしょうか。生徒たちの大きな期待に応えられるよう、気持ちを引き締めてかからなければならないと改めて決意したところです。

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