京都市立学校・幼稚園
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「こんな繋がりも」
 澤田先生、池田です。お礼が遅れました。東京に戻って両親の面倒を見ていたりしている間に時間が過ぎてしまっていました。この度は大変ありがとうございました。ブログやCOFFEE TIMEにまで書いて頂き、恐縮しております。授業でも話しましたが、筆を持って今年で50年。特になんということもないのかもしれませんが、まあ、よく続いたなあと思って記念の年にしています。日展や毎日展などに入選するわけでもないのですが、筆は楽しいので書いています。この楽しさを多くの子どもたちにプレゼントしたい。そういう願いで今年は実践と研究をしています。小嶋先生にもよくしていただきました。アンケートも届きました。ありがとうございましたとお伝えください。また、国語の授業に関してお役に立てることがあればご用命ください。漢字指導、作文指導、ディベート指導などなんでもやります(^^)。ありがとうございました。
 池田先生からメールが届きました。こういう繋がりをとても嬉しく思います。
 さて、繋がりといえば夏休みに買い替えた車のことです。と言っても、古い方のことです。車を買い替えるきっかけは、うちの先生等と夕食を共にしているときの話です。
「車を買い替えたいんやけど、誰か今の車を引き取ってくれる人はいいひんか。父から引き継いだ大事な車やし知った人に大事に乗ってもろたほうが嬉しいんやわ。」
 お酒の勢いもあったのでしょう。「僕が買います!」と若い先生が手を挙げました。
 4500ccのハイオク仕様。バブル全盛期に発売された贅沢な車です。税金や車検代に保険料、万が一の際の修理代を考えると維持しにくい車です。『ホンマに大丈夫やろか!?』内心はそう思っていましたが、結局彼に譲ることは叶わず、車屋さんに引き取られていきました。ところが、何としたことか、就職してこの4月から大阪で暮らしている下の息子が乗りたいと言い出しました。上の息子には尋ねたのですが、まさか下の息子が興味を持っていたとは思いもしませんでした。早速、車屋さんに問い合わせたところ、商談中だけれど売れなかったら戻しますと返事をもらいました。
 そして、何とあの車が戻ってくることになりました。7日の土曜日のことです。その日の内に大阪まで届けました。息子は上機嫌です。兄がたまに乗っていたことも知っていて『僕も…』と思っていたのでしょう。「おじいちゃんが4年、お父さんが14年、大切に乗ってきた車や。大事にしいや!」そう言うと、「分かってる!」とホントに短い言葉を返してきました。そしてその間も車内を舐める様に見回していました。彼が何年乗るのか分かりませんが、まあ、落ち着くところに落ち着いた感じです。
 親子3代に乗り継がれる車の方も幸せだろうと思います。『気ぃ、つけてや!』妻は何度も繰り返します。形のないはずの繋がりに形が見えた出来事でした。
 離れて暮らす息子の生活は心配ではありますが、黙って見守る以外にありません。

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「旧友とのつながりから」
 NHK教育TVで放送された「わくわく授業 わたしの教え方」。この番組は、全国各地の優れた授業実践を取材し、その授業がどう進められているか、教材にはどんな工夫がなされているか、そして子どもたちが、授業の中でどんな成長を遂げているかを収録した“授業記録”です。
 インタネットで「わくわく授業」と検索してみてください。上のような説明が出てくると思います。この番組は、2003年4月10から2008年3月9日まで放映されました。一昨日本校に来て1−3の子どもたちに特別授業をしてくれた池田修先生はこの番組で紹介された中学校の国語の先生(当時)です。実は、私も2004年12月9日の放送の同番組に出演しました。番組に出演した者にはネットワークがあります。初めはネット上で番組の感想を述べ合う繋がりでしたが、彼が東京から京都橘大学の教員として来て以来、実際に会って交流する仲になりました。彼の主催する研究会に参加したり、彼の大学での授業に特別講師として呼んでもらったり、一緒に本を出版させてもらったり、夜遅くまで教育について大いに語り合ったりしてきた仲です。
 一昨日は、現在彼が熱中している「紺紙金泥」という書道の研究の一環で来てもらったのですが、わくわく授業に出ていた頃は「文章を書かせる達人」として紹介されていました。つまり、彼にかかったらどんな生徒も文章が上手く書けるようになるというのです。
 後に彼から聞いたことがあります。国語科の教師として、授業に向かず、教室に来ない生徒たちに最低限つけさせたいと思った力は「自動車免許を取れる程度の漢字が読める力」だったそうです。そこで、そういう子たちには自動車免許の問題集を教科書代わりにして教えたことがあったそうです。今となっては昔のことですが、場所は違えど同時代を生きた者としてよく分かる話です。
 一昨日の授業も、小気味よいテンポで進行しました。授業のために準備されたものはたくさんありましたが、それらが子どもたちの活動に全く無駄なく活用されていきました。改めて学ぶところの多い授業であったと感心しています。
○「今日は、本当に久しぶりに中学生に書写の授業をする。新しい筆の準備はできた。」
○「中学生との書写の授業。実に楽しかった。私が楽しんでいてはいかんのだが、楽しかった。飛び込みの50分だけの授業だったがいい時間だった。生徒諸君も集中して書いていた。ああ、いい時間だった。」
○「久しぶりの中学生との授業。心地よい疲れと興奮でこの時間まで起きてしまった。寝ないとなあ。目が覚めたら忙しい1日がある。」
 彼のツイッターから見つけました。準備を整え、気合を入れて授業に来てくれたことがよく分かります。そして、授業に満足している様子もうかがえます。
 私たちも、毎時間こういう授業を創っていきたいものです。

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「劇の魅力」
 劇の魅力にとりつかれたのは高校時代の演劇コンクール(演コン)がそのきっかけでした。学級ごとに劇を創作するのですが、当時の高校生は年に一度のそんな行事に夢中になれました。大学の1回生の時には、大学際の演劇コンクールに出場し何と優勝、併せて主演男優賞をもらいました。先輩の中に2人の抜群の演出家が居られ、大学で何度か合宿を行うなどしてしごかれました。演出の仕方や監督のあり方についてはこの時に学びました。
 教師に成った当時は、全国の中学校で校内暴力の嵐が吹き荒れていました。2つ目に赴任した中学校も、『こんなん、学校と言えるのやろか?!』と思うほど、それはそれは凄まじい荒れ様でした。毎日、生徒指導に追われる日々を送るうち、2学期の文化祭を迎えます。校外のホールを借り切って各学年で1つの劇を発表するのですが、驚くべきことが起ります。座席はステージに近い方から1年〜2年〜3年と指定されているのに、3年生のヤンチャ達が1年生を押しのけて前の方にやってきます。すぐに“かぶりつき”で観ようしているのだと気づきました。『あの子らが静かに観てくれるやろか?』1年の劇を指導した私はそんな心配をしたのですが、何と何と、しっかりと観劇し、役者の演技に合わせて嬉しい反応をしてくれました。そして、3年生の出番。ど真剣に演じられる『夕鶴』の舞台を食い入るように観ているヤンチャ達の姿に感動を覚えたことを思い出します。
 その学校で、劇を通じて学びを創造することと集団を作ることを覚えました。学年の中で起こっている不登校や無関心、いじめの問題をテーマに取り上げて劇を創造したりもしました。最終的には人権をテーマとした劇を創造して上演するようになり、後にこれが有名になってNHKのTVに2回も取り上げられました。もう15年も前のことですが、今だにそれが話題に上ることがあります。
 劇は総合芸術だと思います。キャストのことばと演技に目が行きがちですが、背景画や衣装は美術や家庭科、BGMは音楽、大小道具作りには技術や工芸に家庭科や数学の知識や技術も必要です。また、ダンスが入れば体育も関係してくるのです。
 劇を創造していく過程で気づくことがあります。キャストのことばの重みが変化していくことです。台詞(セリフ)と言われることばですが、初めはそのままセリフです。しかし、何度も練習を重ねるうちに、そこに感情が入り魂が入ってきて演者の心からの叫びへと変化していくのです。私たちは物事を考える際、覚えていることを頼りにします。劇を通して覚えたことばが、困難にぶつかった際に、それを乗り越えるための思考の支えになるのではないかと期待したりもします。
 今年も2・3年と5組で劇づくりが始まりました。約1か月後、子どもたちがここから何を学び、どのように変化し、どう成長を遂げているのか楽しみでたまりません。

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「熱い厚い活動」
「君の夢 かなえる場所が 近畿(ここ)にある」
 令和元年度 全国中学校体育大会 第50回全国中学校ソフトテニス大会の大会スローガンです。8月20日(火)〜22日(木)の3日間、京都府立山城総合運動公園(太陽が丘)テニスコートで行われました。
「京都に行ってよかった。」「気持ちのよい大会だった。」そう言ってもらえる大会にしようと言って、3年前にこの大会の実行委員会を立ち上げました。この3年間、大会のことが頭から離れることは決してなかったです。
 京都府中学校体育連盟ソフトテニス専門部の長として、同じく二条中学校に勤務する専門委員長の上田先生を支えながら取り組んできたつもりです。専門部長は責任者ですが、実際に大会の企画・運営に当たるのは専門委員長です。特にこの1年間は、上田先生の忙しさたるや、想像を絶するものでした。
 直前にはお盆休みを返上して総務部・式典部・競技部などの各部の長が本校に集まり、大会準備の確認作業を行いました。選手が思いっきり力を発揮し、気持ちよく試合が行えるようにと取り組んだわけですが、その姿を頭の下がる思いで観ていました。
 開会式の前の会議と開会式後のレセプションでは、全国から来られた皆さま方に歓迎のことばを述べなければなりません。その中で、何とか京都府の実行委員の取組を労いたいとの思いから一言だけ加えました。「自慢のスタッフです。」
 各地から来られた皆さまも実行委員の皆も、それだけで十分に理解していただいたようです。後から「あの言葉が良かった」「嬉しかった」と聞きました。
 大会では、地元京都勢が大活躍をしました。男子は八幡市の男山第三中学校が団体戦でベスト8に入り、女子では京都光華女子中学校が、同じく団体戦で準優勝を果たしました。全校大会でのベスト8は立派ですし、準優勝は快挙と言っても過言ではないと思います。女子の試合は全てベンチの後ろで保護者の方々と一緒になって応援しました。第1シード破ったとき、準決勝に勝ったときには思わず名前も知らない方たちとハイタッチや握手を交わしました。因みに、向こうは私のことを知ってくださっているはずです。そうでなければ、こんなことできません(笑)。
 『全中』は、そこに立つことすら難しい夢の舞台です。そんな大会の運営に携わることが出来、決勝戦で熱く応援できたことを幸せに思います。今後、実行委員会のメンバーには来年度の開催地との引き継ぎという大仕事が待っています。彼らの労に感謝し、選手たちの大活躍にエールを贈って今年の夏を締めくくりたいと思います。
 さあ、目の前の二条中の生徒たちと過ごすときがやってきました。1年間で最も行事の多い2学期の始まりです。全中の運営に携わることで、二条中学校の生徒たちとも“熱い厚い教育活動”を展開したいと改めて思っているところです。

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「いつも通り」
 お盆の時期に台風が来たのは珍しいのではないでしょうか。昨日のTVはどのチャンネルも一日中台風情報をやっていました。帰省先や旅行先から自宅へ戻れない人や楽しみにしていた旅行に行けない人たちが映し出されていて、とても気の毒に思いました。
 さて、うちはというと、子どもが大きくなってからは旅行に行くことはなくなりましたし、いつの間にか帰省してくる子どもを待つ身になりました。また、お盆を迎えるまでにしなければならないことも増えました。お精霊さんを迎えに六道まいりに出かける。お墓掃除をする。仏壇の掃除と仏壇周りの飾りつけをする。「統一休業日」に入った日から毎日掃除や片付けばかりしていました。毎年14日には、檀家の家々を回っておられる寺の住職がうちの家でお昼ご飯を食べられます。亡き父が檀家総代をしていた関係で、いつの頃からかそんな風になっていました。10年位前から父と“おっさん”とに私も同席するようになり、父が亡くなってからは私が迎えています。
 そして、あっという間に今日(16日)を迎えています。毎年今日の午前中には大文字山に上ります。昨日からの雨が朝まで残り、『今年は無理かな?』とも思いましたが、一方で『やめてたまるか。少々の雨なら決行だ!』と心に決めていたところ、8時30分を過ぎた頃に雨が上がりました。例年に比べると登山者は圧倒的に少ないです。それでも毎年出会う人と今年も会うことができました。「おはようござます!」出会った人にはからず声を掛けます。下りの際、小さな子どもが登ってくると「がんばりや!」「凄いなあ!」などと付け加えます。初対面ですが、温かい心の通い合いを感じられる言葉が返ってきます。これが楽しみで登っていると言ってもよいほどです。
 子どもの頃は親、特に父と一緒に登りました。下山したとき、銀閣寺への参道で父に買ってもらったファンタが美味しかったのを忘れられません。子どもが小さかった頃には、リュックに一杯物を入れて妻も一緒に子どもたちを連れて登りました。今は一人で登っています。そして近い将来、孫を連れて登ることになればいいのになあ、なんて考えています。
 道のこの先はどうなっているのか、『そろそろ気合を入れないと…』など、登山道については熟知しています。あの登山道は、50年以上ほとんど変わることがありません。そして、これからも変わらないでしょう。ただ、そこを登る人間の方が変わっていきます。早く孫を連れて登りたいと思います。その時には妻も、そして息子たちの妻も一緒に登ることになるかもしれません。楽しみです。
 台風の被害に遭われた方々はお気の毒に思います。我が家ではいつも通りのお盆を迎え、そしていつも通り、今日の送り火と共にそれを終えようとしています。
 さあ、すぐに2学期が始まります。もう少し、家族との時間を大切にしたいと思います。

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「明るく積極的に」
 4日の夜中と言えばよいのか、正確には5日の早朝、TVに釘付けになったのは私だけではなかったと思います。昨年度のプロテストに合格し、今年度から女子プロゴルファーとして活躍中の渋野日向子選手が全英女子オープンで優勝を果たしました。
 スタート直後に4パットのダブルボギーを叩いて優勝争いから一旦は後退したものの、得意のバックナインに入ってからは強気のパットが入りだして再びトップ争いに加わります。17番ホールを終わった時点でアメリカのリゼット・サラス選手と17アンダーで並び、事実上の一騎打ちになりました。18番の最終ホール、先を行くサラス選手が4メートルのバーディーチャンスに着けました。『これは入れてくるだろうな』と思いましたが,解説者の樋口久子さんが「分かりませんよ。相当のプレッシャーがかかりますから」と仰った次の瞬間、何とその通りバーディーパットを外してパー。サラス選手は17アンダーでホールアウトしました。この時、『これは渋野の流れになっているんじゃないかな』と思いました。
 最終組の渋野選手はピンから6メートルのバーディーチャンスに着けました。難しい下りのパットです。入れれば優勝、外してパーならばプレーオフ、返しのパットも外せば2位という厳しい局面です。さあ、どうするか。多くの人たちが固唾をのんで渋野のパッティングに注目しました。彼女の持ち味は“強気”。ここでも強気のパットを放ちました。緩いカーブを描きながらカップを目指したボールは、カップの向こうの壁に当たって見事にカップイン。もしカップを外れていたら、かなりオーバーしてボギーになっていたかもしれない、そんな強いパットでした。
 優勝インタビューでこの点を聞かれた彼女が「入れるか3パット(ボギー)だと思って強めに行きました。」と答えている通りの素晴らしい攻めのゴルフでした。その時、日本時間は午前3時過ぎ。私も思わずTVの前でガッツポーズをしました。
 もう一つ忘れられないのが12番の短いパー4です。ほとんどの選手は2つの池の間にあるフェアウェイまでアイアンで運んで第2打でバーディーチャンスを目指します。ところが渋野はドライバーを持っていました。「自信がありました!」後からそう答えている彼女は、迷いなくドライバーを振り抜きます。何とぎりぎり遠い方の池を越えて見事に1打でグリーンにオンしました。ここで楽々のバーディーを奪ったことが大きな勝因だったと思います。
 「私はプロなんだから、観ている人に楽しんでもらわないと…」そう言い放つ彼女が、どんな時も笑顔を絶やさないこと、しんどい時に強気で攻めること、これらはゴルフに限らずすべてのスポーツ、いいえ、人々の人生そのものに共通する教訓のように思います。 明るく積極的な生き方をしていれば、人生を切り拓いていけるということを若干20歳の若者から改めて教えてもらいました。

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「新たなる挑戦へ」
 野球部の挑戦が終わりました。「この子たちは、全国大会に出場できるかもしれない。」1年生の時から多くの野球関係者にそのように評価して頂いていた選手たちです。実際、京都市内の昨秋の新人戦と今夏の選手権大会では、見事に優勝を果たしてその実力を示しました。29日の府大会2回戦も圧倒的な力の差を見せつけて勝利し、いよいよ準決勝を迎えました。
 準決勝の相手は南桑中学校です。初回に幸先よく先制点を奪って『今日も行ける!』と思った矢先、長短打を連打されました。「1・2のさ−んで思い切って振り抜け!」きっと野原君の直球に狙いを定めていたのでしょう。これまでほとんど打たれたことのないエースが連打されて多くの者が驚きました。初回の3点が大きくのしかかりました。その後1点を返し、再三チャンスを作るものの追加点が奪えません。2点を取られて更に焦りは募ります。負けるときはきっとこんなものなのでしょうね。この試合に勝っていたら次のステージ(近畿大会)に立てていただけに悔しい敗戦でした。
 試合直後に行われた3位の表彰式ですが、キャプテンの凛とした態度には感心させられました。悔しくて悲しくて、残念で、表彰式どころではないという気持ちもあったでしょうが、本当に立派な態度でそれに臨みました。キャプテンのあの姿を見て、彼らの心が大きく成長を遂げたことを感じたところです。
 野球部の挑戦は終わりましたが、彼らがこの挑戦を通して学んだものは数えきれないくらい多くあると思います。どうかそれらを今後の人生に活かしてほしいと思います。負けた悔しさは大きいでしょうが、京都市の頂点に立ち、近畿大会まであと一歩という所まで勝ち進んだことは高く評価できます。このメンバーであったことに自信をもってください。そして、高校生になって、今度は甲子園を目指してほしいです。君たちの野球人生はまだまだこれからです。
 「あの車、お前にやるわ!」
 心臓の手術を控えた亡き父が愛車を私にくれました。14年前のことです。父と一緒にテニスの試合に行ったこと、まだ小さかった子どもたちを乗せて夜中にディズニーランドまで行ったこと、何度も父をその車に乗せて病院へ走ったこと、様々な思い出の詰まった車を手放すときが来ました。
 今日は朝から汗だくになりながら美しく洗車してやりました。この後は2人で最後のドライブに出かけます。父の形見だからではなく、車好きの私はとても大切に綺麗に乗ってきたつもりです。18年間でまだ走行距離は10万キロ余ですが、4500ccのハイオクガソリン仕様の車は何とも不経済です。思い出が一杯詰まっていて色々と悩みはしましたが、それらを断ち切って買い替え、新たなスタートを切ることにしました。
 野球部の「敗戦と新たなる挑戦の物語」に重ねて考えています。

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「市内大会を終えて」
 「昨日上村先生と次のようなメールのやり取りをした。“あの真面目で頑張り屋の3年生たちが、明日の試合でどんな戦い方をするのかしっかり見させてもらう。”今日の君たちは完全な挑戦者や。そんな強い相手に、3人の3年生たちがどんな戦い方をするのか、1・2年生はしっかりと見届けてほしい。たとえこの試合で勝てなかったとしても、二条中学校のバスケットボール部にとって、『やって良かった』と思えるような意味のある試合をしてほしい。君たちの頑張りを、保護者の方々と一緒に精いっぱい応援している。」
 21日、男子バスケットボールの2回戦の直前、選手がアドバイスを聴きに来てくれた際に語った内容です。「校長先生、ありがとうございます!」横で聴いておられた3年生の保護者の方には、目に涙を一杯に貯めてそう言っていただきました。
 選手たちはその通りの試合をしてくれました。相手の加茂川中学校は、優勝候補の1つです。事実、決勝戦は1点差で敗れて準優勝を果たしました。そんな相手に正々堂々と戦いました。ドンドン点数を入れられはしますが、ひるんだり、もちろん諦めたりすることなく自分たちのゴールを目指します。その姿に目頭が熱くなりました。
 昨日(26日)、突然校長室のドアがノックされました。「バレー部のゴシマです。」ドアを開けると、バレー部の3年生が整列をしています。「今日まで、応援ありがとうございました!」キャプテンの言葉に続いて3年生全員が大きな声を揃えました。
 「お疲れさんでした。本当に惜しかったな。かなりのリードをしていたあの第1セットを取っていれば、相手も焦ったやろうし、ひょっとしたら勝てたかもしれん。それにしても、みんな今日までよう頑張った。また、鳥羽先生からバレーの基礎を学んだ君たちやから、高校でもやっていけると思う。できたら高校でもバレーボールを続けてほしい。やり続けている限り現役やし、いつか勝てる時が来る。」そう言うと、全員が力強く頷いていました。そして、爽やかな挨拶と共に去っていきました。
 25日、野球部が、昨秋の新人戦に続いて京都市の“てっぺん”を獲りました。久々にみんながよく打った準決勝と決勝の2試合でした。途中、冷や冷やするような試合も経験しましたが、そこを乗り切ったからこその優勝です。頂上に登り切った者たちにしか見ることのできない景色を、存分に楽しんでください。「全国大会」を目指す彼らにとっては、1stステージをクリアしたにすぎません。まだまだ厳しい闘いが続きます。周りの人たちに対する感謝の気持ちを忘れず、常に謙虚な気持ちをもって、次の“更に高い山の頂”を目指してください。そんな君たちを全力で応援します。
 初戦で敗退したサッカー、女バス、テニス、既に府大会で活躍している水泳、府大会やコンクールを控える陸上と吹奏楽も含めて、これまでにキラリと光るプレーや行動の瞬間がたくさん観られました。二条中学校の熱い夏は、まだまだ続きます。

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「1学期を振り返って」
 1学期が終わろうとしています。着任式と始業式、翌日の入学式から始まって約4か月、毎年と同じような行事で過ぎていった訳ですが、生徒が異なるのですから、当然のことながら内容や出来栄え、感動も異なります。
 今年度の1学期で、最も強く私の印象に残っているのは、何と言っても修学旅行です。今年度の3年生には他学年に比べると不登校の生徒が多く、みんな揃って出発できるかどうかさえ不安でした。当日は5時10分という早い集合時刻だったにも拘らず、この心配が杞憂に終わったことが先ずはよかったです。
 平和セレモニー、ひめゆり資料館の見学、ガマ体験と1日目の予定が進行していきます。平和セレモニーは、学校で練習していた時の何倍もよかったです。そして、民泊体験です。不安そうな様子で民家の人たちに連れられて行ったのとは大違いの帰って来た時の表情が忘れられません。今年もやっぱり、島の“おじい”や“おばあ”との別れ場面では、あちらこちらで涙が見られました。
 2日目の午後からは学年が一緒になって過ごしました。プライベートビーチでの海水浴、夜のレクレーション、みんなで食べた夕食や朝食、どれもが本当に楽しい思い出になりました。私には海水浴とレクで無邪気に盛り上がる姿が、純粋に可愛らしく、今も強く思い出に残っています。3日目は美ら海水族館と首里城の見学、そして楽しみにしていた国際通りの散策を行い、沖縄を満喫して帰路に着きました。
 2番目の思い出は、…これもやはり…「体育大会」ですね。
 6月では考えられないような晴天の下、汗と土にまみれて、文字通り力尽きるまで走り、競技する姿を心から“愛おしい”と感じました。勝って歓喜の声を上げ、負けて悔し涙を流せる体育大会を、そんな皆さんを本当に素敵だと思います。学年の垣根を越えて応援できるあの雰囲気は、もはや二条中学校の伝統になっています。あの一日は二条中学校全体が魔法の世界のような特別な空間でした。あの何とも言えない素敵な空気感は今年も忘れることが出来ません。
 その他にも部活動の春季大会や1・2年の校外学習、2度の「定期テスト」に「生徒総会」、それぞれに相当な準備の時間が必要ですから、こうして振り返ってみると、本当に忙しい4か月であったと思います。
 夏休みを迎えますが、どうやらゆっくりと休んでいる暇はなさそうです。すぐに夏季大会が始まります。3年生が引退をかけて闘う最後の大会やコンクールです。2学期になればすぐに文化祭に向けての取組が始まります。その準備も始めなければなりません。大変ですが、2学期の伝統も引き継がなければなりません。
 さあ、生徒諸君、思いっきり夏を楽しみ全力を発揮してください。夏休み明け、一回りも二回りも逞しく成長した皆さんと会えるのを楽しみにしています。

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「いのちの尊さ」
 7月5日午後4時50分頃、埼玉県所沢市で男子中学生が刺されたとの緊急通報がありました。救急隊員が駆けつけると、中学2年生の男子が上半身を複数回刺されて意識不明の状態で倒れていたといいます。現場の前の家に住む中学生に事情を訊いたところ、当初は「彼は自殺した」と答えたといいます。その後、警察が詳しく話を訊くに至って、その少年は「教科書のことでケンカになり自分が刺した。」と語ったそうです。
 報道を聞き、内容を詳しく知ろうとスマホのインターネットを検索したところ、既に様々な意見が書きこまれているのに驚きました。多かったのはイジメがあったのではないか、というものです。いじめられていた生徒が思い余っていじめっ子を刺したのではないかと想像するものです。中には、「自殺するよりは相手を殺した方がマシ」などとコメントされているものもあり、細かなことが分かっていない段階で、よくこんなことが書けるものだと憤りを感じました。
 更に、事件現場の住所からその子たちが通っている(た)であろう中学校の名前が示され、ご丁寧に学校の写真までアップされていました。当然、その生徒たちの通う中学校はある訳で、殺人の加害者と被害者とが在籍するのですから、今もその学校の先生方は様々な対応に追われて大変だと思います。また、両者の担任の先生の気持ちはいかばかりでしょう。マスコミの関係者やインターネットの書き込み大好き人間の皆さんには、どうかそっとしておいてあげてほしいと思います。
 事件から一週間が経ちますが、まだ原因など詳しいことは報道されていません。でも、これだけは言えることがあります。どんな事情があろうと、そして、そこに殺意があろうとなかろうと、刃物で人を刺すなんて行為を絶対にしてはいけません。
 「殺したいほど憎い!」そんな言葉は、私が子どもの頃にもありました。でも、少年が実際に他人を殺すといった行為に至った例はなかったと思います。また当時は、友達同士のいざこざや喧嘩の数が今よりずっと多かったのではないかと思います。イジメもよく見かけもしましたし、その中に加害者と被害者との両方の立場で居たこともあります。それでも、人を刺す・殺すということは大きな大きな“一線”だったように思うのです。中学生を含む少年がこの“一線”を越えたのはいつ頃でしょうか。
 思い当たるのが1997年に神戸市須磨区で起こった“酒鬼薔薇聖人”と名乗った中学2年生が起こした連続殺傷事件と、翌年の栃木県黒磯市で起こった指導に不満をもった中学1年生が先生を刺し殺した事件です。この頃“キレる”という言葉が生まれました。キャラクターが死ぬ(を殺す)ゲームが急速に発達してきたのもこの頃です。
 「生きる」ということ、「育つ」ということ、「いのちの尊さ」について、私たちは、この機会にじっくりと考え直さなければなりません。

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