京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/04/25
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『新人戦』バレーその3

 接戦の末、1セット目を奪われましたが、第2セットは二条中学校のリードで進みました。
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「自分へ向ける」
「あいさつは、『挨拶』と書きます。『挨』には心をひらく『拶』にはその心に近づくという意味があります、あいさつは、人と人との関わり合いを豊かにする上でとても大切です。」3−3の昨日の学級通信の冒頭に、あいさつについてこのように書かれてありました。
 毎朝校門で、登校してくる生徒や職場に向かわれる人々に対して「おはよう!」「おはようございます!」と声を掛けています。若い頃、こちらがあいさつしているのに、無視をしたり聞こえるかどうかわからないほどの声でしか返さない人に対して腹を立てることがありました。また、当時はこんな風に思っていました。「あいさつは、その人の中に自分の存在があるかどうかの証(あかし)だ。つまり、あいさつするというのは、『あなたのことを私は認識しているよ』という意味で、それを返さないのは『あなたは私とは関わりない人です』と言っているのと同じだ。」
 いつの頃からか、相手があいさつを返さないことも気にならなくなりました。
 「自分が好きでやっている」「人にあいさつを要求する必要はない」そんな風に思えるようになったのです。今も稀にこちらのあいさつが聞こえているはずなのに、それを返すことなく通り過ぎて行かれる大人の人が居ます。一方、初めはそうであっても、それを続けることでいつの間にか笑顔であいさつを交わす関係になった人も居ます。
 ところで、生徒とも大人の方とも、笑顔であいさつを交わした瞬間はとてもハッピーな気分になれるものですよね。「あいさつを相手に強要しない。返してもらうことを期待もしない。自分がその人との関係を大切にしたいから続ける。」そう思ってやっていて、笑顔のあいさつが返ってくると、とても豊かな気分になれるということが分かるようになりました。その方がずっといいと思ってもいます。
 昨日、生徒会役員改選がありました。1定員に2人が立候補しているポストが4つありました。つまり、昨日は4人の落選者が出ることになったわけです。立候補が締め切られた時から、どちらかが落選するということを分かったうえで選挙戦を戦ってきたのですから、ある程度の覚悟はできていたはずです。それでも、結果を目の当たりにすることはきつかったでしょう。落選した人は、男女を問わず涙を流していました。なかなか掛ける言葉を見つけられませんでした。気持ちを切り替え何とか立ち上がって、今後は学級や学年の代表として活躍してくれることを願うばかりです。
 人生には上手くいかないこともあります。努力が報われないことも多いです。むしろ、その方が多いくらいです。でも、その時に対戦相手や周囲の人や環境を呪ったところで何の解決にもなりません。冒頭のあいさつの話のように、自分が納得できる取組ができたかどうかを振り返るようにしましょう。してきたのなら、たとえ結果が思わしくなくてもOKです。必ずその経験は次へと繋がります。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「力の入れ処」
 3・4・5月が春、6・7・8月が夏、9・10・11月は秋、そして、12・1・2月が冬。確か幼稚園でそんな風に教わりました。また、日本には四季がある。其々によさがあって風景は美しく食べ物もおいしい。併せてそうも教わりました。いつの間にか5月と9月も夏の仲間入りです。更に、本市が推奨しているクールビズ期間は10月までですから、半年間は夏なのかもしれません。
 しかし、さすがにこの時期になると朝晩は冷え込み、上着を着て登校する生徒が一気に増えてきました。一方、日中は半袖でも十分過ごせるほどで、体調管理が難しいです。「日向はあったかいですね。」先日、朝の校門である先生がそう言いました。こんな言葉、今シーズン初めて聞きました。気温の高いのを「暑い」というと不快な感じを示しますが、「あったかい」は快の感情を表わしています。つい最近まで「暑い・あついっ!」と不快感一杯に言っていたのに、確実に季節は移っているのですね。
 さて、ただ今世界バレーが熱いです。毎晩、興奮しながらTV観戦しています。流れと勢いでしょうか、各上とされる相手に勝つこともあるので面白いですね。
 13・14日、本校のバレー部が新人戦を戦いました。方や世界バレー、方や京都市の予選リーグ。競技レベルは全く異なりますが、興奮度は世界バレーに匹敵するものがありました。一進一退のシーソーゲームになる場面があります。一方的に連続得点が入るときもあります。体力や技術が異なってもこの場面での精神面の動きに大きな差はないように見えます。流れを呼び込めるときとそうでないとき、いったいどこが違うのでしょうか。もちろん、一人としていい加減な気持ちの選手などいません。
 バレー部の予選リーグは3位。1・2位のチームとはフルセットを戦いました。決勝戦もフルセットになったことを考えると、1位通過も可能だったと思われます。
 私が長年かかわってきたソフトテニスなら“力の入れ処”が分かります。4ポイント先取で1ゲームを獲得するこの競技では、力が接近していると、まず間違いなく1−2か2−1になります。次の1ポイントを獲れる力があるかどうかがカギです。
2−1で勝っているなら3−1にする力、1−2で負けているなら2−2にできるかどうかが大きく勝敗を分けるのです。
 素人目には、バレーボールでは連続得点にカギがあるようです。勝っているときには連続ポイントを続ける。そして劣勢のときには連続ポイントを許さない、ということです。その時にチームの力を結集し大きな力として発揮できるかだと思うのです。
 このことは、人生でも言えるように感じます。波に乗っているときにはそれを逃さない、一方で『流れが悪い』ときにはそれを断ち切るのです。要するに、力の入れ処が大事であって、勝者と敗者の間にはそれほど大きな実力差はないのかもしれません。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「ムードが大事な要素」
 道徳教育に魅かれて久しいです。人権教育、とりわけ同和教育に力を入れてきて、『それをやっていれば道徳教育の必要はない』と考えていた時期もあった私が、変われば変わるものだと思います。
 教師が最も力を入れるべきは教科の授業づくりだということは分かっていますが、教科の時間よりも、道徳の教材研究に力を入れ時間を使うようにもなりました。実は、私の周りにはそんな教師が何人もいます。「“道徳の先生”というのがあったら成りたい。」ある若い教師から聞いたことがあります。“英語の先生”と同じように“道徳の先生”があればやってみたいということでしょうか。専門性が問われる教科の教師と異なり、すべての教師がその個性と能力を最大限に発揮して指導に当たるのが道徳の良い所とされていますが、この考え方に私も賛成です。
 さて昨日、本校の若手教師が北・上京支部の道徳の研究授業を行いました。彼女に決まったのが6月。それから4カ月にわたって指導案を練り、繰り返し作り直して本番に臨みました。自校の教員を褒めて恐縮ですが、大変良い授業だったと思います。よい授業だったと評価する理由を2つあげます。1つめが指導方法と発問の工夫です。これは授業者が計画を立てる際の肝になる部分です。どのように展開するのか、生徒にどんな活動をさせるのかです。発問については特に吟味が必要です。ショウモナイ発問をすると、生徒は一気に学習意欲をなくしてしまうものです。2つめは生徒がみな非常に深く考えたところです。1つめが授業者のよかった点で2つめは学習者のよかった部分です。いつも言っていることですが、よい授業は、一生懸命に伝えようとする授業者と一生懸命に学ぼうとする学習者の間に生まれます。将に昨日の授業がそうでした。生徒たちは、次々とよく考えられた深い意見を述べました。誰かが深いよい意見を述べると、『ようし、僕も私も…』と更に気の利いた考えを発表しました。最高のムードに包まれたよい展開となりました。失敗した道徳の授業ではこの反対が起こります。生徒が考えることから逃げ、「分からん…」「別に…」などの無意味な言葉を言いだします。こうなると、授業がドンドンつまらなくなっていってしまいます。
 道徳に限らず、授業にはムードが大切です。明るい、軽い、面白い、楽しい、のりのよい、愉快な、テンポのよい…、そんなムードでしょうか。そしてムードづくりで工夫すべき点には2つあると考えています。1つめが授業の導入部分です。昨日は授業者自身の写真が使われました。もう1つがキーパーソンの存在です。集団の中に温かな信頼関係で結ばれた生徒が何人かいれば、その子たちが作り出してくれます。
 授業のやり易い学級とそうでない学級がありますが、その違いの重要な要素は学級のムードにあります。『あの学級はやり易いけど、この学級は…』と言っている先生、生徒や学級担任に頼らず、自分でムードをつくる工夫と努力を怠ってはいませんか。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「正のサイクル」
 初めて文化祭に参加したけど、とても楽しかったです。合唱では、最高のものができました。3年生になったときには、今の3年生を越えられるように今よりももっと頑張りたいと思います!
 …2年生は明るく元気な感じで、一人ひとりが自分の役をきちんとしてて「カッコいいな」と思いました。3年生は、戦争のことを劇にしていて、みんなとても演技がうまくて感動して泣いてしまいました。私も、先輩みたいに堂々とできる人になって来年やりたいです。                       (1−3学級通信より)
 …今回の文化祭はうまくいったと思います。でも、先生はまだ3年生に勝っていないと言ったので、次の文化祭では3年生をぬかしたいと思いました。…
 …2日目はとてもよい合唱が出来たと思うので、3年になっても今年の3年を越えられるように練習して今年みたいに学年が一つになれるようにしたい。…
 …自分が心に残っているのはやっぱり3年生で、劇でも感情の入れ方が違っていて、私は改めて戦争はすべきことではないと思いました。   (2−3学級通信より)
 …3年生の劇は、みんなで協力して素晴らしいものになりました。泣いている人とかたくさんいて嬉しかったし、戦争についてたくさんの人に知ってもらえたのは良いことだと思いました。2日目はどの学年どのクラスもすごかったです。3年1・2組のクラス合唱は鳥肌がすごく立ってとても感動しました。自分のクラスも練習よりも良いものになって嬉しかったです。…                (3−3学級通信より)
 各クラスの学級通信に生徒の感想文が掲載されています。そのすべてが「よかった」「楽しかった」「感動した」など、肯定的な内容です。その中でも、上に掲載した通り、上級生や他のクラスの発表を素直に称賛したものが多かったです。上級生が下級生のモデルになっている今の状態は、学校としてとても嬉しいことです。「あんな3年生になりたい」「あの3年生を乗り越えたい」3年生の真の価値はそう言われることにあります。
 30年ほど前、多くの中学校でその反対の現象がありました。「あんな風にはなりたくない」「あんな3年生にはなるな!」下級生や教師からそう言われる3年生たちが少なからず居ました。そんな彼らが良くなるとは思えません。必然的に下級生に負のプレッシャーをかけてきます。また、下級生の中にもそういう悪いモデルに影響されていく生徒が出てきます。「負のサイクル」です。それを断ち切るために、教師が体を張ることもしました。あの苦い経験を今の若い教職員にさせたくはありません。
 今の二条中学校では、生徒の間が「正のサイクル」で動いています。生徒と教職員との間も、そして保護者と教職員との間にも正のサイクルがあります。このサイクルをいつまでも大切にしなければなりません。一旦、サイクルが上手く回らなくなり出すと、アッと言う間に状況は大きく変化してしまうものです。

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学校行事
11/2 1年 科学センター学習
京都市立二条中学校
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