京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/06/07
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「劇の魅力」
 劇の魅力にとりつかれたのは高校時代の演劇コンクール(演コン)がそのきっかけでした。学級ごとに劇を創作するのですが、当時の高校生は年に一度のそんな行事に夢中になれました。大学の1回生の時には、大学際の演劇コンクールに出場し何と優勝、併せて主演男優賞をもらいました。先輩の中に2人の抜群の演出家が居られ、大学で何度か合宿を行うなどしてしごかれました。演出の仕方や監督のあり方についてはこの時に学びました。
 教師に成った当時は、全国の中学校で校内暴力の嵐が吹き荒れていました。2つ目に赴任した中学校も、『こんなん、学校と言えるのやろか?!』と思うほど、それはそれは凄まじい荒れ様でした。毎日、生徒指導に追われる日々を送るうち、2学期の文化祭を迎えます。校外のホールを借り切って各学年で1つの劇を発表するのですが、驚くべきことが起ります。座席はステージに近い方から1年〜2年〜3年と指定されているのに、3年生のヤンチャ達が1年生を押しのけて前の方にやってきます。すぐに“かぶりつき”で観ようしているのだと気づきました。『あの子らが静かに観てくれるやろか?』1年の劇を指導した私はそんな心配をしたのですが、何と何と、しっかりと観劇し、役者の演技に合わせて嬉しい反応をしてくれました。そして、3年生の出番。ど真剣に演じられる『夕鶴』の舞台を食い入るように観ているヤンチャ達の姿に感動を覚えたことを思い出します。
 その学校で、劇を通じて学びを創造することと集団を作ることを覚えました。学年の中で起こっている不登校や無関心、いじめの問題をテーマに取り上げて劇を創造したりもしました。最終的には人権をテーマとした劇を創造して上演するようになり、後にこれが有名になってNHKのTVに2回も取り上げられました。もう15年も前のことですが、今だにそれが話題に上ることがあります。
 劇は総合芸術だと思います。キャストのことばと演技に目が行きがちですが、背景画や衣装は美術や家庭科、BGMは音楽、大小道具作りには技術や工芸に家庭科や数学の知識や技術も必要です。また、ダンスが入れば体育も関係してくるのです。
 劇を創造していく過程で気づくことがあります。キャストのことばの重みが変化していくことです。台詞(セリフ)と言われることばですが、初めはそのままセリフです。しかし、何度も練習を重ねるうちに、そこに感情が入り魂が入ってきて演者の心からの叫びへと変化していくのです。私たちは物事を考える際、覚えていることを頼りにします。劇を通して覚えたことばが、困難にぶつかった際に、それを乗り越えるための思考の支えになるのではないかと期待したりもします。
 今年も2・3年と5組で劇づくりが始まりました。約1か月後、子どもたちがここから何を学び、どのように変化し、どう成長を遂げているのか楽しみでたまりません。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「熱い厚い活動」
「君の夢 かなえる場所が 近畿(ここ)にある」
 令和元年度 全国中学校体育大会 第50回全国中学校ソフトテニス大会の大会スローガンです。8月20日(火)〜22日(木)の3日間、京都府立山城総合運動公園(太陽が丘)テニスコートで行われました。
「京都に行ってよかった。」「気持ちのよい大会だった。」そう言ってもらえる大会にしようと言って、3年前にこの大会の実行委員会を立ち上げました。この3年間、大会のことが頭から離れることは決してなかったです。
 京都府中学校体育連盟ソフトテニス専門部の長として、同じく二条中学校に勤務する専門委員長の上田先生を支えながら取り組んできたつもりです。専門部長は責任者ですが、実際に大会の企画・運営に当たるのは専門委員長です。特にこの1年間は、上田先生の忙しさたるや、想像を絶するものでした。
 直前にはお盆休みを返上して総務部・式典部・競技部などの各部の長が本校に集まり、大会準備の確認作業を行いました。選手が思いっきり力を発揮し、気持ちよく試合が行えるようにと取り組んだわけですが、その姿を頭の下がる思いで観ていました。
 開会式の前の会議と開会式後のレセプションでは、全国から来られた皆さま方に歓迎のことばを述べなければなりません。その中で、何とか京都府の実行委員の取組を労いたいとの思いから一言だけ加えました。「自慢のスタッフです。」
 各地から来られた皆さまも実行委員の皆も、それだけで十分に理解していただいたようです。後から「あの言葉が良かった」「嬉しかった」と聞きました。
 大会では、地元京都勢が大活躍をしました。男子は八幡市の男山第三中学校が団体戦でベスト8に入り、女子では京都光華女子中学校が、同じく団体戦で準優勝を果たしました。全校大会でのベスト8は立派ですし、準優勝は快挙と言っても過言ではないと思います。女子の試合は全てベンチの後ろで保護者の方々と一緒になって応援しました。第1シード破ったとき、準決勝に勝ったときには思わず名前も知らない方たちとハイタッチや握手を交わしました。因みに、向こうは私のことを知ってくださっているはずです。そうでなければ、こんなことできません(笑)。
 『全中』は、そこに立つことすら難しい夢の舞台です。そんな大会の運営に携わることが出来、決勝戦で熱く応援できたことを幸せに思います。今後、実行委員会のメンバーには来年度の開催地との引き継ぎという大仕事が待っています。彼らの労に感謝し、選手たちの大活躍にエールを贈って今年の夏を締めくくりたいと思います。
 さあ、目の前の二条中の生徒たちと過ごすときがやってきました。1年間で最も行事の多い2学期の始まりです。全中の運営に携わることで、二条中学校の生徒たちとも“熱い厚い教育活動”を展開したいと改めて思っているところです。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「いつも通り」
 お盆の時期に台風が来たのは珍しいのではないでしょうか。昨日のTVはどのチャンネルも一日中台風情報をやっていました。帰省先や旅行先から自宅へ戻れない人や楽しみにしていた旅行に行けない人たちが映し出されていて、とても気の毒に思いました。
 さて、うちはというと、子どもが大きくなってからは旅行に行くことはなくなりましたし、いつの間にか帰省してくる子どもを待つ身になりました。また、お盆を迎えるまでにしなければならないことも増えました。お精霊さんを迎えに六道まいりに出かける。お墓掃除をする。仏壇の掃除と仏壇周りの飾りつけをする。「統一休業日」に入った日から毎日掃除や片付けばかりしていました。毎年14日には、檀家の家々を回っておられる寺の住職がうちの家でお昼ご飯を食べられます。亡き父が檀家総代をしていた関係で、いつの頃からかそんな風になっていました。10年位前から父と“おっさん”とに私も同席するようになり、父が亡くなってからは私が迎えています。
 そして、あっという間に今日(16日)を迎えています。毎年今日の午前中には大文字山に上ります。昨日からの雨が朝まで残り、『今年は無理かな?』とも思いましたが、一方で『やめてたまるか。少々の雨なら決行だ!』と心に決めていたところ、8時30分を過ぎた頃に雨が上がりました。例年に比べると登山者は圧倒的に少ないです。それでも毎年出会う人と今年も会うことができました。「おはようござます!」出会った人にはからず声を掛けます。下りの際、小さな子どもが登ってくると「がんばりや!」「凄いなあ!」などと付け加えます。初対面ですが、温かい心の通い合いを感じられる言葉が返ってきます。これが楽しみで登っていると言ってもよいほどです。
 子どもの頃は親、特に父と一緒に登りました。下山したとき、銀閣寺への参道で父に買ってもらったファンタが美味しかったのを忘れられません。子どもが小さかった頃には、リュックに一杯物を入れて妻も一緒に子どもたちを連れて登りました。今は一人で登っています。そして近い将来、孫を連れて登ることになればいいのになあ、なんて考えています。
 道のこの先はどうなっているのか、『そろそろ気合を入れないと…』など、登山道については熟知しています。あの登山道は、50年以上ほとんど変わることがありません。そして、これからも変わらないでしょう。ただ、そこを登る人間の方が変わっていきます。早く孫を連れて登りたいと思います。その時には妻も、そして息子たちの妻も一緒に登ることになるかもしれません。楽しみです。
 台風の被害に遭われた方々はお気の毒に思います。我が家ではいつも通りのお盆を迎え、そしていつも通り、今日の送り火と共にそれを終えようとしています。
 さあ、すぐに2学期が始まります。もう少し、家族との時間を大切にしたいと思います。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top ! 〜

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「明るく積極的に」
 4日の夜中と言えばよいのか、正確には5日の早朝、TVに釘付けになったのは私だけではなかったと思います。昨年度のプロテストに合格し、今年度から女子プロゴルファーとして活躍中の渋野日向子選手が全英女子オープンで優勝を果たしました。
 スタート直後に4パットのダブルボギーを叩いて優勝争いから一旦は後退したものの、得意のバックナインに入ってからは強気のパットが入りだして再びトップ争いに加わります。17番ホールを終わった時点でアメリカのリゼット・サラス選手と17アンダーで並び、事実上の一騎打ちになりました。18番の最終ホール、先を行くサラス選手が4メートルのバーディーチャンスに着けました。『これは入れてくるだろうな』と思いましたが,解説者の樋口久子さんが「分かりませんよ。相当のプレッシャーがかかりますから」と仰った次の瞬間、何とその通りバーディーパットを外してパー。サラス選手は17アンダーでホールアウトしました。この時、『これは渋野の流れになっているんじゃないかな』と思いました。
 最終組の渋野選手はピンから6メートルのバーディーチャンスに着けました。難しい下りのパットです。入れれば優勝、外してパーならばプレーオフ、返しのパットも外せば2位という厳しい局面です。さあ、どうするか。多くの人たちが固唾をのんで渋野のパッティングに注目しました。彼女の持ち味は“強気”。ここでも強気のパットを放ちました。緩いカーブを描きながらカップを目指したボールは、カップの向こうの壁に当たって見事にカップイン。もしカップを外れていたら、かなりオーバーしてボギーになっていたかもしれない、そんな強いパットでした。
 優勝インタビューでこの点を聞かれた彼女が「入れるか3パット(ボギー)だと思って強めに行きました。」と答えている通りの素晴らしい攻めのゴルフでした。その時、日本時間は午前3時過ぎ。私も思わずTVの前でガッツポーズをしました。
 もう一つ忘れられないのが12番の短いパー4です。ほとんどの選手は2つの池の間にあるフェアウェイまでアイアンで運んで第2打でバーディーチャンスを目指します。ところが渋野はドライバーを持っていました。「自信がありました!」後からそう答えている彼女は、迷いなくドライバーを振り抜きます。何とぎりぎり遠い方の池を越えて見事に1打でグリーンにオンしました。ここで楽々のバーディーを奪ったことが大きな勝因だったと思います。
 「私はプロなんだから、観ている人に楽しんでもらわないと…」そう言い放つ彼女が、どんな時も笑顔を絶やさないこと、しんどい時に強気で攻めること、これらはゴルフに限らずすべてのスポーツ、いいえ、人々の人生そのものに共通する教訓のように思います。 明るく積極的な生き方をしていれば、人生を切り拓いていけるということを若干20歳の若者から改めて教えてもらいました。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「新たなる挑戦へ」
 野球部の挑戦が終わりました。「この子たちは、全国大会に出場できるかもしれない。」1年生の時から多くの野球関係者にそのように評価して頂いていた選手たちです。実際、京都市内の昨秋の新人戦と今夏の選手権大会では、見事に優勝を果たしてその実力を示しました。29日の府大会2回戦も圧倒的な力の差を見せつけて勝利し、いよいよ準決勝を迎えました。
 準決勝の相手は南桑中学校です。初回に幸先よく先制点を奪って『今日も行ける!』と思った矢先、長短打を連打されました。「1・2のさ−んで思い切って振り抜け!」きっと野原君の直球に狙いを定めていたのでしょう。これまでほとんど打たれたことのないエースが連打されて多くの者が驚きました。初回の3点が大きくのしかかりました。その後1点を返し、再三チャンスを作るものの追加点が奪えません。2点を取られて更に焦りは募ります。負けるときはきっとこんなものなのでしょうね。この試合に勝っていたら次のステージ(近畿大会)に立てていただけに悔しい敗戦でした。
 試合直後に行われた3位の表彰式ですが、キャプテンの凛とした態度には感心させられました。悔しくて悲しくて、残念で、表彰式どころではないという気持ちもあったでしょうが、本当に立派な態度でそれに臨みました。キャプテンのあの姿を見て、彼らの心が大きく成長を遂げたことを感じたところです。
 野球部の挑戦は終わりましたが、彼らがこの挑戦を通して学んだものは数えきれないくらい多くあると思います。どうかそれらを今後の人生に活かしてほしいと思います。負けた悔しさは大きいでしょうが、京都市の頂点に立ち、近畿大会まであと一歩という所まで勝ち進んだことは高く評価できます。このメンバーであったことに自信をもってください。そして、高校生になって、今度は甲子園を目指してほしいです。君たちの野球人生はまだまだこれからです。
 「あの車、お前にやるわ!」
 心臓の手術を控えた亡き父が愛車を私にくれました。14年前のことです。父と一緒にテニスの試合に行ったこと、まだ小さかった子どもたちを乗せて夜中にディズニーランドまで行ったこと、何度も父をその車に乗せて病院へ走ったこと、様々な思い出の詰まった車を手放すときが来ました。
 今日は朝から汗だくになりながら美しく洗車してやりました。この後は2人で最後のドライブに出かけます。父の形見だからではなく、車好きの私はとても大切に綺麗に乗ってきたつもりです。18年間でまだ走行距離は10万キロ余ですが、4500ccのハイオクガソリン仕様の車は何とも不経済です。思い出が一杯詰まっていて色々と悩みはしましたが、それらを断ち切って買い替え、新たなスタートを切ることにしました。
 野球部の「敗戦と新たなる挑戦の物語」に重ねて考えています。

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