京都市立学校・幼稚園
最新更新日:2024/07/26
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「生徒に向き合う」
○今年も、どの競技も白熱していて観ていても、実際にやっても、とても楽しく、最下位の人も1位の人も楽しめた体育大会だと思いました。来年は最後なので、今年の3年生のようにしっかり楽しんで、最後を飾れるようにしたいです。
○色で優勝、クラスで優勝したのも嬉しかったけど、何よりみんなが「今年が一番楽しかった」「最高やった」「最後の体育大会、思い出になった」とか、みんなが熱く燃え上がってできたことが一番うれしかった。あらためて健康委員長でよかったと思った。これからも体育大会とかの行事を生かして、みんなが一つになればいいと思う。ほんまに楽しかった!!みんな、お疲れ様!!
 1つめの感想は2年の学級通信から拾いました。3年生の盛り上がり方を見て、来年度はあのようになりたいという気持ちが伝わってきます。3年生は、後輩から常にこんな風に観られているということを自覚してほしいです。
 また2つめは、言わずと知れた健康委員長の感想文です。自分が楽しかったということだけでなく、周りの人たちがそう言ってくれたことが嬉しいと、委員長としての自覚と責任感が読みとれます。
 どちらも、中学生らしい瑞々しさを感じられる素晴らしい感想文です。
 学級通信に掲載される感想文は、みな異口同音に「楽しかった!」「次も頑張りたい!」と書かれています。しかし、私たち教職員は、当日参加できなかった生徒たちのことを決して忘れている訳ではありません。担任は、直前まで参加させようと家へも行きました。その生徒が参加できる方法を模索もしました。
 昨日、部活動へは参加できるけれども授業には出られない3年生が、放課後にやってきて、職員室前で担任の先生と話をしていました。「おっ、久しぶり!制服姿やと、すぐには分からんかったわ!」そう言うとその生徒はニコニコと笑顔を返してくれました。『体育大会、どうしてたんや?』『最近はどうしてんにゃ?』『無理せんでもええしな!』『いつか、登校できたらええのにな!』ほんの短い時間でしたが、私の心の中の言葉をしっかりと受け止めてくれている様子が伝わってきました。
 先日来、犯罪を起こした人物が「過去に不登校を経験していた」と報道されることが続きました。その度に不愉快な気分になったものです。それは事実なのかも知れませんが、不登校の生徒はみな犯罪者になる危険性があるような表現はやめてほしいです。学校に来られなくて“しんどい“思いをしている生徒や保護者の方の気持ちを考えた報道に改めてほしいものです。学校には、色々な状況にある生徒が居ます。どの生徒も楽しい学校生活を送りたいに決まっています。すべての生徒の生活が少しでも改善されていくよう一人ひとりの課題に丁寧に向き合っていきたいと改めて思います。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「爽やかな感動」
 6月に入って、過ごしやすい毎日が続いています。昨日、今年度の体育大会が終わりました。今年の体育大会は気候と同じく「爽やかな」それでした。
 開会式でも言いましたが、徒競走でははっきりと順位が決まるので、『いやだな!』と思っている人が居て当然です。でも、順位に関係なく、みんなが一生懸命走りました。その姿がとても爽やかでした。
 また、レクレーション種目では思いっきり楽しむ様子が伝わってきました。役員に当たっている人たちも、先生と一緒にその役を楽しんでやっていました。綱引きや騎馬戦、ロープファイトでは、必死に踏ん張る姿がカッコよく、応援する人たちとの一体感が感じられ、中学生のその一生懸命な表情と態度を美しいと思いました。そして、校長として我が校の生徒たちの姿を心から愛おしいと感じ、一人で感動していました。
 リレーでは、クラスや色の威信をかけて走りました。勝って歓喜し負けて悔し涙を流すその姿に中学生らしい美しさを感じます。高校へ行っても体育大会はあるでしょうが、楽しさが勝って、おそらくこれほどまで必死にはなれないと思います。(少なくとも、私の場合はそうでした)
 個人的なことで恐縮ですが、今年度初めて体育大会で走ることが出来ず、悔しく残念な思いをしました。教師に成ってからも体育大会では走るのが常でした。若い頃には男子のリレーでガチの勝負をしました。40歳に近づいた頃から女子のリレーで走るようになりました。それでも、まだ前の生徒を追い抜いていました。校長になって初めて赴任した学校では、また男子のリレーに出場することになります。私の前の3人は若い教師で、大抵トップでバトンを受けます。しかし、50歳の身体に150mはきつく、決まって最後の方で追い抜かれます。毎年、それが悔しくて体育大会前には走る練習をしたものです。実は、若い奴らはそこの盛り上がりを狙っていて、生徒も保護者も大いに期待していました。(分かっていながら、それはもう悔しくて…!)
 最近は女子の部活動対抗リレーで走るようになりました。校長は大抵アンカーを任されます。ゴール間際で面白く熱い闘いを何度も繰り広げてきたと思っています。
 ところが今年度は“痛風の発作”のために出場を断念せざるを得なくなりました。当日の朝まで『痛みがとれていてくれ!』そう念じ続けましたが、あの痛さを抱えては無理でした。来年は出場します。
 1学期も残り1ケ月ほどになりました。始業式・入学式から始まり、校外学習や修学旅行、そして体育大会と、無事に諸行事を終えてきました。そして、その度に生徒は成長を遂げてきました。また、日常の学習と部活動によっても生徒たちは成長し続けています。
 いつまでも子どもと関わることで、体力と精神力とを維持したいと改めて思います。子どもたちの頑張りが私たち大人にもエネルギーを与えてくれています。

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the tpo !〜

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「緊張感と充実感」
 今年も日曜参観で3年生を対象に学年道徳をさせてもらいました。そして、今年も前の晩はあれこれ考えて十分に眠ることが出来ませんでした。
 日曜参観での授業はもう毎年のことです。教材も展開も同じです。授業の流れはすべて頭の中に入っています。しかし、対象となる生徒が異なります。
『あの子はどんな反応をするだろう?』『この場面で、あの子を上手く使ってやろう!』考え始めると、ドンドン頭が冴えてきてしまいます。
 結局今年も寝不足で授業に臨むことになりました。私ほどの年になっても授業が始まる直前まで不安はあります。しかし、今回も授業が進行していくうちに不安はなくなり、替わって幸福感・満足感・充実感に満たされていきました。
 今回のようなイベント性のある特別な授業では、本番の授業までの生徒へのアプローチが大事です。 「今度の学年道徳の時に発言せえよ!」 「先生、何を言うたらええのんさ?」 「〜〜なこと、言うてみたらどうや?」
 学年のあちらこちらで、こういった先生と生徒の間の会話が交わされたはずです。実は、こういう働きかけが学年を創っていきます。今回は発言できなかった人もいるでしょうが、それでもよいのです。今回のことで自分自身を振り返れたのなら、今後の先生との関係や取組に繋がっていくからです。当日、京都教育大学の学生が何人か授業を参観に来ていました。後に感想を送ってくれたので、1つを紹介します。
 …(略)…授業が始まると生徒のみんなが澤田先生の方を向いたり、誰かが発表しているときにはその子の方を向いたりと本当に素直な子たちだと思いました。授業が始まって暫くは、二条中学校3年生のみんなは、入学したときから元々素直な子たちばかりで、問題なんてほとんどなかったのだろうなと思っていました。しかし〈3年生の仲間たちへ伝えたいこと〉で男子生徒が「2年生のころにたくさん問題を起こした」と言っていたり、「1年生の時は学校が大変で登校できなかった」と言っていたりしていて驚きました。今まで2年間と少し、二条中学校の先生方が生徒たちに対して、根気強く向き合ってきていらっしゃったから、生徒たちの気持ちが変わっていったのだとわかりました。
また「発表できる人」と聞くとすぐに手が上がったりするのは一人ひとりが自分の意見を持っていて、それを発表する積極的な姿勢も授業参観の日だけできることではなく、今までの積み重ねだなと思いました。…(略)…
 毎日授業の準備に追われている先生方には申し訳ありませんが、たまにしか授業をしない私には、その準備も又ワクワクするものでした。また、授業中にも授業終了後にも感じたあの充実感、あれはたまらない感覚です。今年もまた、あの緊張感と充実感とを感じさせてくれた3年生と教職員に深く感謝します。「みんな、ありがとう!」

『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top ! 〜

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「よろこび 遣り甲斐」
 教育委員会に居た頃から、教師を目指す高校生や大学生、成りたての教師に対して「教職の魅力」について話す機会を頂くことが多いです。また、長く人権教育に携わってきた関係で、よく「教職の魅力」を人権教育を通して話すことを求められます。
 先日も、京都教育大学の1回生対象の「人権教育」講座にゲストティーチャーとして招かれました。年に2回、もう10年以上勤めています。内容は少しずつ変えてきましたが、本質的なことは変えていません。(いえ、変えることが出来ません。)
 若い人たちに対して自分の歩んできた道、考えてきた(いる)ことを伝えるのは私のよろこびの1つです。感想を読ませてもらうと、特に大学では理論的な話が多くなりがちだからでしょうか、実践を中心とした私の話はウケがよいようです。反応がよいので、それがよろこび、遣り甲斐となって長く勤めさせてもらっています。
 今年度、この講座で嬉しいことがもう一つありました。
 前の時間に、この講座を担当しておられる先生が次時のこと・講師の私のことを紹介されたのでしょう。大講義室の入り口に一人の女子学生が立って私を待っていました。「先生、覚えてくださっていますか?」「あっ!」流石に名前はすぐには出てきません。いつものように、脳内コンピュータがフル回転で検索を始めました。
“花山中”“バレー部”“生徒会役員”“学年合唱の指揮者”などのワードが頭の中に現れました。「校長先生に覚えて頂いていて嬉しいです。」そう言って彼女は席に着き、授業の準備を始めました。
 授業が始まって暫くすると、プレゼン画面に写る写真に敏感に反応する女子学生が居ることに気づきました。「どうしたん。知ってる人が写ってるんか?」これまでも、“そこに写る先生に習った”などのことがあったのでそう尋ねたところ、何とその女学生はニコッと笑って言いました。
「校長先生、私、向島中です!」「あっ、そう言えばっ…!」講義をしながら脳内PCはまた回転し始めます。“バレー部”“リーダー”“妹もバレー部”“母親、応援熱心”などのワードが引っ掛かってきました。
 花山中の卒業生は、その子が2年生の頃まで知っており、向島中の卒業生は、私が赴任した時の3年生でした。こんな形で出会えるなんて、しかも2人とも教師を目指して我が母校で学んでいます。とても不思議で嬉しくもありました。
 よろこびや遣り甲斐は、私たちの周りの至るところにあるものです。しかし、案外気づかないでいることも多いのかもしれません。目の前のよろこびに気づきキャッチし、やりがいを感じて仕事が出来たらこんなに嬉しく楽しいことはありません。
 二条中学校の生徒たちともこんな幸せが待っていることを期待して頑張ります。

H30 学校評価

平成31年度 学校教育目標

『学年レク』1年

 6時間目、1年は学年レクレーションをしていました。

 どこかでやったレクの続きだと言っていたように思います。
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『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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「私たちにできること」
 「愛の反対は、憎しみではなくて無関心です。」マザー・テレサの有名な言葉です。テレサは、インドのカルカッタで、放っておけば誰からも見放され独りで死んでいくような人々を救済する活動を始めます。彼女のこの活動は、後進の修道女たちによって全世界に広まります。彼女はこの活動を始めたことが認められて1979年にノーベル平和賞を受賞しましたが、テレサは授賞式にも特別な正装はせず、普段と同じく白い木綿のサリーと革製のサンダルという身なりで出席しました。授賞式でのスピーチは有名です。
「私は皆さんが考えておられるようなノーベル平和賞の受賞者には値しません。でも、誰からも見捨てられ、愛に飢え、死に瀕している世界の最も貧しい人びとにかわって賞を受けました。私には受賞の晩餐会は必要ありません。どうか、その費用を貧しい人たちのためにお使いください。私に与えられるのは祈りの場だけしかないのですから。」
 マザー・テレサが授賞式後、マスコミのインタビューに答えたときのやり取りを以下に紹介します。私は初めて知ったとき深く考えさせられたのですが、案外知られていません。
○記 者:「世界平和のために、私達に出来ることを教えてください。」
○テレサ:「家に帰って、家族を大切にしてあげてください。」
 修学旅行で平和セレモニーを行いました。それに向けて、学校で何度も練習も行いました。『こんなことをして、いったい、なんになるの!?』生徒の中にはそう思っていた人が居たかもしれません。また、『こんなことで、世界が平和になる訳がない!』と考えていた人が居てもおかしくはないと思います。平和セレモニーの練習を繰り返す様子を見ていて、先ほど紹介した記者とマザー・テレサの会話を思い出しました。
 当初、テレサは『こんなところにいつまでも居てつまらないインタビューをしていないで、早く家に帰って家族と関わってあげなさい』と、記者に皮肉を込めて答えたのではないかとも思っていました。しかし、後になって考えが変化しました。『大それたことを考える必要はありません。あなたはなたが出来ることを精一杯やればよいのです。それがきっと世界の平和という大きなものへ繋がっていきますよ。』そんな純粋なメッセージだったと思うようになったのです。
 私たちは大統領でも総理大臣でもありません。その言動で大きく世の中に影響力を与えられるような人ではないですが、それでもできることはあると思うのです。
 平和セレモニーを真剣に行うこと、それに心を込めることは、国の首脳が世界平和について会談することに比べればちっぽけです。でも、多くの国の名もない人々がこのような取組を繰り返すことが世界に平和をもたらす第一歩だと思うのです。どんな時、どんな場面でも自分たちにできることに心を込めて一生懸命やりたいものです。

『”てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜

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『おきなわマジック』
 15日の午後10時30分過ぎ、沖縄への修学旅行校から無事学校へ到着しました。ホントに中身の濃い有意義な3日間だったと思います。
 学年主任が生徒集団の前で涙したのを見たのは今回が2度目です。1回目は前任校で長野県への修学旅行へ行ったときです。スキー講習が終了して、これで帰るという場面の集会で学年主任が次のように言いながら声を詰まらせました。
「雪の魔法のお蔭で、君たちを叱る場面がなかった。こんなに楽しい3日間はなかったし、君たちの成長した姿を見られて嬉しいです。」
 今回は学年レクレーションが終わった後でした。『何事が起ったのか!?』と驚いた生徒も少なくなかったようです。ほんの一瞬時間が止まったように感じました。
「これまで何度も叱ってきて、心配もしてきたけど、今日のレクでのまとまりと盛り上がりを見て、先生はホンマに感激した。これできっと、これからも1・2年生の見本としてやっていけると思う。」
 修学旅行に掛ける学年主任の思いは特別です。旅行団の団長は学校長が努めますが、1年の頃から計画し、旅行会社の方と交渉を進め、生徒を動かし、学年の教職員をまとめて取り組んできたのは学年主任だからです。
 生徒の良い所をたくさん見つけることが出来た3日間でした。一人ひとりの意外な一面を発見したりもしましたが、集団としてもたくさんあります。私の場合、特に印象に残っている場面は「平和セレモニー」と「海での活動」です。“静”と“動”の二つのこの場面は、私にこの学年の姿を改めて認識させてくれたと思っています。
 「平和セレモニー」は毎年見てきました。『今年はどんなふうになるのか』毎年、楽しみな部分と不安な部分があります。正直に書きますが、最初の練習から観てきたからかも知れません。今年は不安な気持ちが勝っていました。ところが、それを子どもたちは見事に杞憂に終わらせてくれました。これまで経験してきたどの「平和セレモニー」にも負けてはいません。立派な態度と内容でした。観ていて、心が震えました。
 「海での活動」は、あの子たちの“子どもらしい部分”を存分に観ることが出来たと思っています。無邪気に遊ぶ姿を心から『愛おしい』と感じました。
 翌朝の学年集会で、主任が生徒たちに「顔つきが変わってきた」と語っていましたが、私も全く同じことを感じながら観ていました。
 前任校の主任は「雪の魔法」と表現しましたが、今回は「おきなわマジック」が生徒を大きく変容させてくれました。場所・人・状況など、「おきなわマジック」のタネは幾つもあると思います。ただ、この変容がこのまま3月の卒業まで継続し、生徒たちが更に成長し続けていくことを願うばかりです。

1年生校外学習 その4

二条中学校から1時間ほどバスに乗り,降りてから少々上り坂を15分ほど歩きます。
もうちょっとで着きます,がんばれ!
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京都市立二条中学校
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