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最新更新日:2025/06/23 |
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『昼休み』その9
さあ、いよいよ部活動が始まります。
急いで終学活を終えて帰り支度を始めましょう。 ![]() ![]() ![]() 『昼休み』その8
「早く部活動をしたい」と思っている人が多いのでしょうね。
![]() ![]() ![]() 『昼休み』その7
3年生も仲良く食べています。
![]() ![]() ![]() 『昼休み』その6
3年の階へも行きました。
![]() ![]() ![]() 『昼休み』その5
ご飯が済めば放課です。
この後は部活動か帰宅かです。ただし、今日は心電図検査があります。 ![]() ![]() 『昼休み』その4
みんな、楽しそうにしています。
![]() ![]() 『昼休み』その3
2年生のフロアに移動します。
![]() ![]() ![]() 『昼休み』その2
1年1〜3組です。
上手くフレームに入れなかった人たち、ゴメンなさい!! ![]() ![]() ![]() 『昼休み』
午前中は出張だったので、学校へ戻って昼食の様子を観に行きました。
中庭でサザエさんごっこを楽しむバレー部の女の子たちの様子から紹介していきます。 6組も1−5も楽しくご飯を食べています。 ![]() ![]() ![]() 『“てっぺん”獲りにいこうや!』〜Catch the top !〜![]() ![]() 2011年9月15日14時55分 『歌や踊りで福島の修学旅行生おもてなし』 東日本大震災の後、京都市立花山中(山科区)の生徒たちが、福島県須賀川市立小塩江(おしおえ)中と交流を続けている。 12日には、修学旅行で京都を訪れた小塩江中の3年生をもてなした。 花山中の澤田清人校長は、小塩江中の西内英理校長と大学時代からの知人。その縁で震災後、生徒たちに呼びかけ、小塩江中にメッセージカードや千羽鶴を送り、手紙のやりとりをしてきた。 花山中の生徒たちは12日、同校に立ち寄った小塩江中の3年生17人を「京炎そでふれ!」の踊りで歓迎。生徒会メンバーが部活動中の校内を案内した。 野球部員は廊下でAKB48の「会いたかった」を熱唱。吹奏楽部員は演奏で、女子バレー部員はエールで、それぞれ歓迎を表した。最後は「修学旅行楽しんで」と手を振り、バスを見送った。 小塩江中は、福島第一原発から約55キロの距離にある。花山中の生徒会長、中村朱里さん(3年)は「事故で大変だと思う。自分たちもやれることをやりたい」。小塩江中の生徒会長、佐久間佳乃子さん(3年)は「歓迎がうれしかった。また会いたい」と喜んだ。 澤田校長は「生徒たちに震災を身近に感じてほしかった。頑張る姿を見せることは、『頑張って』の言葉よりも励ましになったはず」と話す。今後、生徒たち自身で交流を深めてくれることを願っている。 (竹山栄太郎) これは8年前の新聞記事です。朝日新聞社の電磁版に残っていました。 昨日、この西内校長が京都に修学旅行でやってきて二条中学校を訪問されました。当時は二人とも50歳。彼はその後いったん教育委員会で勤務し、去年教育現場に復帰しました。私も二度の人事異動を経験して本校に居ます。8年の間に色々なことがありました。嬉しいことや楽しいことのほか、悲しいことや辛いこともありました。 西内校長との出会いは大学生時代ですからもう40年近く前になります。全国の教育大学の軟式テニス(今はソフトテニス)の大会が年に一度開催されていました。私が京都、彼は宮城の教育大学に在籍しており、共に1回生の頃から試合に出ていました。妙にウマが合い、毎年レセプションでは楽しく飲んで騒ぎ合った仲です。 震災直後、彼の学校へ電話し、「月並みなことしか言えへんけど、がんばれよ!」と言って電話を切ろうとした瞬間、受話器の向こうで号泣する声が聞こえました。 「ありがとうね…、ホントありがと!」学校を預かるものとして、ぎりぎりの精神状態の中で頑張っていたのだと理解し、こちらまで涙したのを覚えています。 その彼が本校を訪れてくれました。校内を案内し、教育や教師人生について、本校の教育や研究について話し合いました。「友あり遠方より来る また楽しからずや!」旧友と会うのは良いものです。生徒の皆さん、良い友達をたくさん作ってください。 そんな友の存在が心の支えになったり、窮地から救ってくれたりするものです。 |
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