最新更新日:2024/09/26 | |
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4年 琵琶湖疏水紀行 8
この大事業を成し遂げるために、ご尽力いただいた京都府知事の北垣国道さん、若き技術者の田辺朔郎さんには、感謝せずにはいられません。
さらに、忘れてはならないのが、残念ながら難工事のため殉職された方々のことです。 私たち京都市民が豊かな水を何不自由なく使えるのは、琵琶湖疏水完成に向けてご尽力いただいた方々のおかげと言っても過言ではありません。 4年 琵琶湖疏水紀行 7
蹴上に着いたころには、雨もすっかり上がりました。
これがあの有名な、「ねじりまんぼ」と「インクライン」です。 蹴上付近は高低差があり、そのままで舟を通すことはできませんでした。そこで、水力発電による電力を利用してインクラインを動かし、台車に乗せた舟を行き来させたのです。 琵琶湖疏水によって、水(飲料水,農業・灌漑用水)だけではなく、物資を滋賀、京都、大阪と舟で運び、水力発電で電車まで走らせ、京都の復興を目指した先人の知恵と努力には感心させられます。 4年 琵琶湖疏水紀行 6
船だまりを越え、ようやく疏水公園に到着しました。
寒い中がんばって歩いてきたので、おなかはペコペコです。 みんな仲良くお弁当を食べました。とてもおいしかったです。 4年 琵琶湖疏水紀行 5
大津で琵琶湖の水と別れて、峠を越え歩くこと2時間。
2436mの第一トンネルをゆるやかに流れてきた水と、歩き続けた子どもたちが、第一トンネルの出口で再会できたのです。 子どもたちはその長さを実感しているので「よくこんなに長いトンネルを掘ったなあ!」と感慨深げです。 4年 琵琶湖疏水紀行 4
第一竪坑(たてこう)発見!!
写真でしか見たことのなかった子どもたちは、「うわっ!あれが竪坑や!」と長い峠道を歩いてきた疲れを忘れたかのように、興奮気味です。 この第一竪坑(たてこう)は、穴の底から東西に掘って工事を早めるために作られたものです。トンネル内に空気や日光を取り入れるためにも必要だったものです。 深さが47mもあり、重機のなかった当時に、そんなに深い竪穴を掘ったと考えただけでも、当時の大変な苦労が想像されます。 4年 琵琶湖疏水紀行 3
三井寺の横を通り、いよいよ小関越です。
かなりの勾配のある坂道を登っていきます。 峠が近いせいか、少し雨が強くなってきました。 峠を越して少し行くと、左に細い横道があります。その細い道を下っていくと、目的の・・・・・ 4年 琵琶湖疏水紀行 2
トンネルに向かって歩いて行きます。
教科書の写真で見た第一トンネルが見えてきました。 明治からの古い歴史を感じさせる大変趣深い、第一トンネルの入り口です。 山に向かって流れていくので、水が低い方から高い方に流れていくような錯覚をします。 4年 琵琶湖疏水紀行 1
今日、4年生が琵琶湖疏水の社会見学に行きました。
浜大津から小関越えをして山科まで、さらに蹴上でインクラインの見学をしました。 浜大津に着くと、少し雨が降ってきました。でも雲の合間からの日差しで虹が見えました。 ここ琵琶湖から、「命の水」が京都に流れていくのです。 「あいさつ」について考えよう 2
それぞれのパターンについて、見ていた子どもたちが感じたことを発表しました。
1年生から6年生までの多くの子が手を挙げて、自分が思ったことを率直に話してくれました。 相手が教職員や友達の時だけではなく、「PTAの方」や「学校に来られたお客様」の時についても考えてみました。 計画委員の活躍で、「あいさつの大切さ」を改めて分かってくれたことと思います。 理解するだけではなく、実践できればすばらしいです。 「あいさつ」について考えよう 1
体育館で12月の児童集会がありました。
今回の児童集会は、全校で「あいさつ」について考えました。 まず計画委員の子が、全校児童の前で寸劇をしてくれました。 最初は、すれ違っても知らんぷりで通り過ぎるパターンです。 次は、お互い気持のいいあいさつを交わすパターンです。 |
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