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最新更新日:2025/07/18 |
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いよいよ明日(10/7)は文化祭!![]() ![]() ![]() 朝、校門前を歩いて行かれる方から「校舎から響いてくる歌声を聞いて元気をもらっています。」と言われた。うれしいことである。 取り組みの最中にはいいことばかりではなかったであろう。考え方の違いで、いさかいもあったに違いない。涙したこともあるかもしれない。でもそのことにこそが意味があるのである。スローガンは「響けVoice! 響けHeart!」である。彼らが心震える感動を体験できることを願う。下記はプログラムの挨拶に書いたものであるが、たくさんのご参加を願いたい。 「東日本大震災や台風12号の残した試練に対して、人は耐え、復興に向けて努力を続けています。そのような「人間力」に心が高鳴っています。 もうすぐ朝夕、清々しい季節になることでしょう。平素は本校教育にご理解ご協力賜り誠にありがとうございます。皆様方におかれましては、益々ご健勝にお過ごしのこととお慶び申し上げます。 さて、来る10月7日に文化祭を開催いたします。合唱コンクールや舞台発表、展示発表の取組を通して、教科学習ではなかなか築き上げにくい学級・学年の心の繋がりを更に確かなものにしようと、毎日、生徒、教職員共にいい汗を流しています。つきましては,ご多用とは存じますが,お誘い合わせのうえ,是非ともご来校いただき,生徒たちの学習の成果をご覧いただきましたら、子ども達のいい励みになるものと存じます。どうぞ宜しくお願い致します。」 有終の美![]() 「すいぶつーしん」(吹奏楽部の通信)にその意気込みが書いてある。「自慢は先輩です。」というものやら、「(自らを)先輩としてしっかりしろ」と自戒の念など、すべていい内容だ。その中に短いが「自分のことですが、部活に入って、よく笑うようになったと思います。」というのがなぜか胸を熱くした。どの部活にしても、好きで始めたもの、好きではなかったけど好きになっていったものが嫌いにならないような指導を願いたい。 私も吹奏楽部の隠れ部員として、誘われていたが練習ができていず、申し訳ないが、残念ではあるが辞退した。来年こそはと・・・思ってはいる。ドレミファソラシドは吹けるけれど、「ここにあるレバーは何だ?」と思うものがいっぱいある。生徒はこんな複雑な機械のような楽器をよく吹けるものだと、尊敬する。 10月1日(土)は醍醐保育園の運動会があった。小さな幼児はただ動いているだけで感動するものだ。背中に電池が入っているのかと思うほどだ。写真はその時のものである。この子たちが醍醐中に来るときには私はすでに退職しているが、この世にいることさえも疑わしいが、にこにこ笑って、そのままの君たちでいてくれと願うことであった。2日(日)は区民運動会が本校で行われ賑わっていた。急な挨拶依頼でびっくりしたが、世の中想定外のことが起こるのが常になっている。 10月9日(日)は9:30より醍醐中学校でサッカーの新人戦、11:30より京都駅で駅ビルコンサート(吹奏楽部の新人デビュー)13:30より大畑誠也氏の「元気の出る教育講演会」(京都駅横 キャンパスプラザ京都)がある。この講演の対象者は教育関係者と、教育に関心のある方、子育て,育児中の方となっているので前もって配布文書コーナーで紹介しています。はしごをするのはややハードではあるが「元気が出る」ということなので聞いてみようと思っている。一緒にどうですか。 笑っているような缶のフタ!![]() ![]() ![]() 今、教育の世界では「規範意識」と「学力向上」が叫ばれている。今に限ったことではないかもしれないが、要するにそれらが希薄であるということであろう。 規範が保たれていない、無秩序な学校、学級では落ち着いた授業は望めない。そのようなところから学力向上にはつながらない。 教職員はそのことを理解し、懸命にやってくれていると思う。ささやかでもできることをできる人が、できるところでやっていくことが大切であろう。 昔、「印刷室がきれいになっているなあ!」とそばにいた若い教師に言うと「先生が、学校のために何かいいことを1日に二つやってくれ!と言われたからです。」と返ってきてうれしかったことがある。 学校が健全であることのバロメーターとして分かりやすいのが体育の授業である。指示がしっかり伝わり、実技活動が展開されている。そのことをうれしいと思う。 分かりやすい授業の教材研究、居心地のいい学級、掲示物・・また教育環境というのは非常に大切なものであると考える。用務員さんは草や枯れ葉等の処理、できる先生が校舎のはげた壁のペンキ塗り、植物の手入れ、放課後の職員室前の自主学習・・手が入っている。 私も何かしようと思い、金ばさみとチリトリを持って校舎周りを回る。そのとき、MDR活動のときに転がった缶のフタだろう、きらっと輝いた。取ろうと手を伸ばすと「にっこり」フタが笑った。偶然にもそのような作りになっていた。意識したわけではないだろうが、それがうれしかった。 |
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